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13.抱きたい抱かれたい

【前回のあらすじ】


夫に誘われたドライブの最中もムーちゃんのことを考えてしまう琴乃。

僅かな時間をみつけてムーちゃんに連絡を取ろうとするが、彼の反応は冷たい。


どうしたらいいのかわからなくなってしまう琴乃。口癖のように「会えない」を繰り返すムーちゃんの言葉を思い出し、私をいつまでも都合のいい女にしておかないでと心の中で叫ぶ琴乃だった。

 休日の夜、ベッドに横たわり薄汚れた天井を眺めている。


(琴乃からのメッセージがなければ、ボクはとてもこの部屋の中で過ごせそうにないな……)


 ボクには一緒に時間を過ごしてくれる友人もいなければ家族もない。これまで、他人を近づけなかったツケを一気に支払わされている気がした。


 煩わしい煩わしいと愚痴をこぼしながら、なぜ人が他人との付き合いに必死でしがみつくのか、その理由がようやくわかった気がする。みんな絶対的な孤独に陥らないための布石を打っていたのだ。ボクのように全く不用意に絶対的な孤独に陥ってしまうことの絶望を、本能的に回避していたんだと知る。


(孤独の何が恐ろしいんだ、誰にも干渉されず、何をするのも自由、それがどれだけ満足のいく状態か)


 これまでのボクは、孤独を嫌う連中をどこかで軽蔑していた。しかし、今、誰一人頼るべき人を持たない我が身を振り返るとき、これから延々に続く孤独の底なしの怖さが身に染みた。


(だけど、彼女は巻き込めない。できるはずがない……)


 瞬きもせず天井を睨みつけ、ボクは頑な気持ちをさらに固くする。

 彼女をこの孤独な世界に巻き込むことをよしとしない自分もいる。この孤独はボクの自業自得なのだから。




「別居はいいわよ、あなたの好きにすれば。ここはもともとあなたのものじゃないし」


 これまでの生活と一切変わらぬ生活の保障、さらに養育費とマンションの所有維持管理に関する費用のすべてをボクが支払い続けること、それが別居の条件だった。この約束は最低でも娘が大学を卒業するまで続く。それ以降のことは娘も含めての話し合いで決める、そういう条件だ。

 わかりやすく言うと、このマンションからボクだけが単にいなくなるだけ、それならいいという訳だ。


 条件闘争する気はなかった。ボクは争いたくなかった。妻の憤りもよくわかっていたし、自分が家族を省みなかった長い時間も事実としてある。そして、何より無理を重ねて手に入れた妻でもあった。だから、その妻を放り出すつもりはなかった。他方で家族のしがらみから逃れたい自分もいる。結局ボクの身勝手を押し通すのだ。だから条件闘争などそもそも成り立たない。

 

(誰かひとりだけでいい、自分の全てを受け入れ、理解してくれる人が欲しい)


 ずっとそう思い焦がれていた。家族は、その強い思いの末に辿り着いた終着点のはずだった。


 しかし、人に対して期待することは決して意味のある結末を用意しないこと、結局、人は孤独だという結論を得ただけだった。その時はそんな虚無的な結論に達していたから、ひとりになれるなら、もうどんな条件でも構わなかった。


 食つなぐ僅かばかりの金さえあれば、着る物も、持ち物にもなんら拘りはなかった。もっと言えば、食べることにも拘りなどない。極端に言えば、最低限、命をつなぐだけの栄養素、そのための錠剤でもあれば、それで十分だと思うほどだった。


 ボクが唯一拘ったのは、娘とはいつでも自由に会える、この一条件だけだった。今思えば、この条件こそ、ボクが孤独には耐えられないということの証明だったかもしれないが……


 いずれにしても、その他はすべて放棄し、すべてを負担し続ける、そういう決断を下した。


(どうせもう誰かを愛することもない。愛することなど意味もない)


 そう思っていた。




 そんなことを思い出しながら、天井を眺めている。態勢をかえて横向きなる。缶ビールが散らかる部屋を眺める。現実世界のボクを思い知る。




 琴乃の存在は確かにボクの気持ちを変えた。生への執着、彼女との穏やかで幸福な時間を夢見るようになってから、ボクは我が身の不自由さを嘆いた。すべてのしがらみから逃れたはずが、たったひとつの愛すら成就させられない我が身になり果てている現実に気づき、それを嘆いた。

 客観的に無理なのだ。ボクには時間はあっても、彼女を受け入れる具体的、物理的空間を用意できない。彼女が万が一今の生活を捨て去ってしまっても、彼女を受け入れる態勢をボクは整えることができないのだ。


(この部屋に琴乃が来る? ハハハ、あり得ん…… いい加減にしろ)


 憐れな話だと思った。情けない話だ。だから、本当は最初から諦めていた。諦めなければならないとも思っていた。それを伏せて、ボクは彼女を躓かせただけなのだ。その罪の重さを考えると、ボクは一刻も早く彼女を現実世界に戻さなければならないと思う。理性がそう語りかける。


(別に構わないじゃないか。彼女次第だろ)


 ボクの中に巣くう情動が理性の声をかき消す。愛する彼女に拘泥し、どこまでも彼女を求めろと催促する。彼女のすべてを奪い尽くせと唆す。ボクのことを信頼してずっと追いかけてくる彼女のすべてを奪い去ればいい。どこかで破綻し、ふたりが死という結末を迎え、彼女の周囲の人間が傷つこうとも、それは愛の美名のものとには仕方のない犠牲なのだと唆す。


 もうずっとボクはこの解決のつかない矛盾の中にあった。




 Flow tone が鳴る。琴乃だ。


「ムーちゃん、こんばんは。遅くなりました」


 彼女はいつでも礼儀正しく、そしてボクを信じて疑わない。ボクが醜い心の葛藤の末にろくでもないことを考えていようと、彼女は常に美しいままでボクのことだけを考えてくれている。


「大丈夫なの? もういいの?」


「うん。ごめんね、昼間は。嫌な思いをさせたでしょ」


「仕方がないし、わかってたことだから、ボクが琴乃を責めるのは間違ってると思った」


「ごめんなさい。きっとムーちゃんを傷つけてると思ったら、もう苦しくて……」


「傷ついてなんかいないよ、大丈夫」


「これからも私のことを好きでいてくれる?」


「変わらないよ。ずっと琴乃が好きだ。愛してる」


「ありがとう、ムーちゃん。私もずっと大事にするよ」


 美しい言葉が並ぶ。ボクが自分の気持ちを抑え、彼女のできる範囲のことを受け止める限り、きっとボクたちはお互いの不足しあう部分を補い合いながら、精神世界でそれなりのつながりを保てるのだろう。それでいいじゃないかという理性の声がする。ところが……



「でも、時々言葉は空しいね。ボクは琴乃にどんなふうに大事にされているんだろうね」



 どうしてこんな書き込みをしてしまうんだろう。この数文字が彼女の心を痛めつけ、ボクたちの関係を再び重苦しいものに変えてしまうだけと知りつつ、なぜこんなことを書き送ってしまうのだろう。ボクは本当は別れて楽になりたいんじゃないだろうかと自分を疑ってかかる。


(楽になりたい…… )


 その気持ちがないわけではない。彼女に拘泥しなくなれば楽にはなるはずなのだ。


 だが、できない。それはできない。琴乃以外にボクにはもう何も残されていない。そう思うと、彼女がいなくなった後の空虚感、喪失感、絶望感を予感し、それだけで胸が塞がってしまう。


(どんな言葉でもいいから、ボクをその絶望の淵から救ってくれ…… )


「なにもできない…… でもムーちゃんが好き。

 世界中の誰よりも…… たったひとりだけ好き」


(いいじゃないかそれで。これ以上の何を求めるというのだ。彼女を受け入れられないボクが、彼女から一体何を得ようというのだ?)


 この激しい自己矛盾にボクは何の答えも持っていない。




「琴乃を抱きたい…… ボクだけのものにしたい…… 

 そんな気持ちでいっぱいだよ…… ハハハ」


 冗談めかして言うしかなかった。


「私も…… 抱かれたい」


「できないけどね」


「うん…… できないけど」


会いたい、会いたいね、でもできないね、うんできないね

抱きたい、抱かれたい、でもできないね、うんできないね


何度も何度も繰り返された会話だった。メッセージだった。ボクたちはそれぞれの前に立ちはだかる現実の壁の高さをその都度確認していたのだろう。


いや、壁があったのはボクの方だけだったのかも知れない……

読んでくださってありがとうございました。

いかがでしたでしょうか?


ご意見ご感想お聞かせいただくと嬉しいです。


次回は妹の痛烈な批判に動揺しながら、それでも「ボク」を追い求める琴乃がある決断をします。

引き続きお読みいただけると幸せです。よろしくお願いします。

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最愛~Flow toneの女~

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