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10.私が必要としている人

【前回のあらすじ】


一度は別れを口にしたものの、「ボク」に琴乃を忘れることなど到底むりだった。

彼女を愛していることを素直に認めて、これからは穏やかに愛そうと決めた「ボク」だったが、彼女の夫の単身赴任がまもなく解消されると聞かされ、再び動揺する。

 母の涙を見て、私の気持ちは揺らいだ。私は、現実世界の周囲の人々を誰一人幸せにしていない気がした。そして同時に、ムーちゃんのことも幸せにしていない気がした。愛しているのは事実だけど、その言葉を伝えるだけで、ムーちゃんが幸せでいてくれるとは思えなくなった。だって、私は何一つしてあげることがない。日常の細々したことを代わりにやってあげることも、彼の愛情に応えることもできない。振り返ってみれば、彼は私の言葉にただ反応してくれているだけのようにも思えた。彼が先に私に声をかけたけど、恋に落ちたのは明らかに私が先で、彼はその私に付き合って恋の真似事をしてくれているだけなのかもしれない。


 母の涙が私を少し冷静にさせ、その分、私は盲目の恋から覚醒してしまったのだろう。


 半日ほどの別れの時間を経験した後、彼は優しくなった。だけど、私の不安は拭えなくなった。彼の熱情がいつかまた荒れ始めるのかと思うと、いつまでも安らぎのないこの恋が、どういう決着点に向かうのか、想像できなくなっていた。このまま愛されていたいと強く思う反面で、愛されることへの恐怖を感じ始めることの異常さ、私はムーちゃんに対してある種の罪悪感を感じ始めていた。


「単身赴任じゃなくなるからね」


 突然言われて、私はどう反応していいかわからなかった。嬉しそうな顔をしなきゃと思っても自然に笑顔になんかなれない。私はいつからこの人のことを思わなくなったんだろうかと思うと、心の底から申し訳ない気持ちでいっぱいになった。この人のことを嫌ったことはない。だけど、思うように素直になれない時間が長すぎた。


 この人のことを先に好きになったのは私だった。告白したのも私から。好きなタイプかと問われれば、タイプではないかもしれなかった。でも、屈託なく大声で笑う姿に、私は救われたことが確かにあった。

 でもそのことはもう忘れていた。むしろ、結婚直後から始めた不妊治療で彼に感じた違和感を今は拭えなくなっている。


 彼は子供を欲しがった。私も子供が嫌いじゃなかったけど、子供を産むことが自然に任せてできないのなら、ふたりの生活を楽しむという選択肢もありだと思っていたから、不妊治療がふたりの間で話題に上っても、私は最初から乗り気ではなかった。

 実際に痛みを伴う治療も辛かったけど、もっと辛かったのは、その気がなくても決められた日に営みを行わなきゃいけないという義務感が辛かった。もともと、性行為に対して何故かいい感情はない。快感を得そうになると、そういう自分を否定する別の自分が現れる。そして私を非難する。快感を得るなど恥ずべきことだと非難する。私はきっと結婚直後から精神的なバランスを崩していたんだと思う。


 家の人は優しい。不妊治療を止めたいと言った時、彼は何も言わず受け入れてくれた。自分たちの時間を大切にすればいいよと言ってくれた。

 だけどそれが本心じゃないのは、街角で子供連れをぼんやり眺めている彼の姿を見ているとわかる。その頃はそんな顔をする彼のことが許せなかった。心の底では子供を産めない私を非難しているんじゃないかと思うと、夜の営みに応じられなくなった。どうしても受け入れられない。それは彼を受け入れられないだけではなく、私自身のすべてをも受け入れられない感じだった。


 そんな日々が二年くらい続いて、私はムーちゃんと知り合った。肉体関係を持ちようがないムーちゃんとは、精神世界だけで満足できたから、安心して私は裸になれた。気付くと、彼に話していないことなどないと思う。ただ、彼が名乗らない以上、私も名乗らないし、詳しいことは聞かなかった。知らなくていいと思った。メッセージで繋がってる、心の奥底で繋がってる、それで充分だった。




「嬉しくなさそうだね」


 家の人が話しかける。ぼんやりしていたから、そんな顔だったのだろう。


「急だったから…。おめでとうと言った方がいいの?それともありがとう?」


「ハハハ、良かったねじゃないの?」


「…そうだね。良かったです」


「理子ちゃんはいつまでたっても僕のふしぎちゃんだよ」


 久しぶりに会話した気がした。ムーちゃんとの終わりのないHangoutに比べたら、この人からのLineにはひと言だけしか返すことがなく、それも遅れ気味だった。ムーちゃんとのやり取りに気を取られて、送ってこなければいいのにとすら思ったこともある。そういう数か月間の事が思い出された。


 だけど、愛しているのはこの人じゃない、同時に強くそう思った。私が必要としているのは、目の前のこの人ではなく、ムーちゃんだ。そのことだけは変わりなかった。


 だから、単身赴任が終わるよと伝えたとき、そのことがムーちゃんに大きな痛みとして受け止められるとは思ってもいなかった。私は変わらない、絶対に変わらない、愛しているのはムーちゃんだけだと言い続けているのに、それを受け入れてくれないムーちゃんが恨めしかった。私の気持ちをなぜ疑うの?私は今、目の前の人を見ててさえあなたを選んでいるのに、その気持ちがなぜあなたに伝わらないの…

 悲しいというより、空しかった。ムーちゃんとでさえ分かり合えないなら、私は多分、一生誰とも真に分かり合えることなどできないとまで思った。それほどショックだった。


「ボクね、前から腑に落ちなかったんだよ。琴乃が家の人に大事にされている、愛されていると思うということと、ボクを愛している、ボク以外には絶対に抱かれないという言葉が、どうして同じ人の口から出てくるのかが、わからなかったよ。わかんない、わかんない…… もうわかんないよ…… 寝る!」


激しい言葉でメッセージが終わった時、いつもなら何時まででも追いかけたと思うのに、その日は追いかけられなかった。大好きでたまらないのに、もう指先が動かない。ただひたすら、わかって、お願いだから、私のことをわかって…… そう心の中でつぶやくしかなかった。


ムーちゃん…… 本当に好きなんだよ…… どうしてわかってくれないの

読んでくださってありがとうございました。

いかがでしたでしょうか?


ご意見ご感想お聞かせいただくと嬉しいです。


次回は彼女と連絡が取れない休日を、不安定な精神状態のまま過ごす「ボク」を描きます。

引き続きお読みいただけると幸せです。よろしくお願いします。

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