1話「はじまりの朝」
昔々、とある異世界に一人の錬金術師が居た。
そいつはとにかく器用な奴で、でもただ一つ生きることにだけは不器用だった。
他人の不幸も苦しみも悲しみも、全部受け流して生きていったら人の一生はきっと楽になる。
そんなことは誰もが分かってるはずなのに、そいつはそんな生き方の真逆を行った。
背負わなくてもいいものを背負って、悩まなくていいものに悩んで、挙句、世界のすべての不条理に戦いを挑み、そして惨敗した。
誰かのために戦い、誰のためにもならない負け戦。
勝てるはずもない、負けるべくして負けた愚か者のその末路。
敗者は歴史から消え去って、あとには夢の残骸だけが残された。
そして今、その残されたものは――
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「んん……」
まぶたを通して感じる眩しさに、俺の意識は無理やり覚醒させられた。
目を開けて最初に飛び込んで来たのは薄紫の髪の毛。
俺に腕枕されたクシャナさんの頭だった。
体が小さくなっちゃってから、腕枕するのは俺の仕事だ。
何せ今のクシャナさんはほんとに9歳児くらいだから、サイズ的に当然って感じ。
え? そもそも腕枕する必要あるのかって?
だから仲いいのよ。ウチの家族は。
「シュウジ。おはようございます」
俺が身じろぎしたのが伝わったのか、クシャナさんが顔を上げた。
元々が超絶美人なだけに、クシャナさんは小さくなっても美形だ。
そしてそんなクシャナさんが俺の腕枕に頭を乗せたまま上目遣いしてくるんだからほってはおけない。
「んんー。クシャナさーん」
とりあえず意味もなくクシャナさんの小さい体を抱きしめてみる。
前とは違って柔らかさには欠けるけどサイズ感は手ごろ。
「もう。シュウジは朝から甘えん坊ですね」
「あと5分。あと5分だけ……」
「ふふ。そう言って昨日も30分は放してくれなかったでしょう? 今日は約束があるんですから、ちゃんと起きてください」
言ってクシャナさんは、抱きしめられたまま器用に俺に馬乗りになって引っ張り起こそうとしてくる。
でも残念。
今の体じゃ全然力不足。
俺は上になったクシャナさんの抱きしめなおしてそのまま惰眠を貪る。
髪の毛からいい匂いもするし、このしあわせ時間を終わらせるなんて絶対無理。
「仕方ありませんね。そんなに言うことが聞けない子には、こうです」
「ふひッ!?」
突然左右両方の脇腹をつつかれて、俺はクシャナさんごと跳ね起きた。
でもまだだ。
それでも攻撃は止まらない。
俺の膝の上に座る恰好になったクシャナさんは、さらに脇腹をこちょこちょしてくる。
「あはははは。やめてやめて、クシャナさんやめて」
「抵抗しても無駄です。あなたの弱点はぜんぶ知っていますからね」
言うだけあってクシャナさんの攻撃はかなり的確。
俺の一番弱いとこを確実に攻めてくる。
だめだ。このままじゃ笑い死ぬ。
俺はクシャナさんを押し倒して両手を捕まえ、寂しくなった胸の上に顔を突っ伏した。
「はぁはぁはぁ……。クシャナさん、ひどいよ」
「どうです? 目は覚めましたか?」
そりゃあれだけやられればいやでも起きるって。
「……うん。おはよう、クシャナさん」
俺が体を起こすとクシャナさんも一緒に起き上がる。
とりあえず朝のコミュニケーションは終了。
朝からこんなことにも付き合ってくれるクシャナさんはやっぱりイカしてる。
「起きたらちゃんと顔を洗ってごはんを食べに行きましょう。あんまりのんびりしていると約束の時間に遅れますよ」
そうかな?
まだ全然余裕だと思うけど。
まぁ、待たせたら待たせたでうるさい相手だし、早めに支度しとくか。
そんなわけで、とりあえず俺はクシャナさんと一緒に洗面所に行くのだった。
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「修司。遅いよ。いったいいつまで待たせるつもりだったのさ?」
原宿駅の出口で俺の顔を見つけるなり、愛理はそう言って頬っぺたを膨らませた。
「遅くねーって。そっちが早すぎるんだろ」
「ぶっぶー。女の子と待ち合わせするなら、相手より早く来るのが男の子の甲斐性だよ。そんなんじゃいつまでもモテないんだからね?」
「ほっとけ。俺にはクシャナさんが居るからいいんだよ」
俺は当然のようにそう言い切る。
「そんなこと言って、そのうちクシャナちゃんにも愛想尽かされたりしてね。ね、クシャナちゃん?」
「大丈夫です。私が修司を手放すなんてありませんから」
「むむー。クシャナちゃんがそうやって甘やかすから、いつまで経っても修司が子供なんだと思うなー」
「ふふ。すみません。気をつけてはいるのですが、可愛いものですから、つい」
「おい、愛理。あんまりクシャナさんに変な言いがかりつけるなよ」
「べつに言いがかりじゃないと思うけどね。まぁ、いいや。白夜ちゃんももう来てるし、とにかくこれで全員揃ったね」
そう言った愛理の後ろにはたしかに白夜が居る。
今日はこいつが居ないと始まらないからな。
ちゃんと来てくれててよかったよかった。
「よう。今日はちゃんとした恰好してるんだな。似合ってるぞ、それ」
今日の白夜は黒の生地にちょっとだけ白のフリフリが付いたワンピースだ。
街中でも全然違和感無い感じだし、こいつもちゃんと進歩してるな。
「そう? ありがとう。このあいだ愛理と買いに行って来たんだけど、よかったわ」
「なんだよ。お前ら俺の知らないとこで仲良くなってるんじゃねーか」
「まぁねー。ボクはこっちの世界の現状をまだよく知らないから、案内をお願いしたついでにね」
「そっか。じゃあ白夜。その調子で今日はデイドリームのところまで迷わず連れてってくれよ?」
「あの子、人払いの魔術を調整するって言ってたけど、あれだけ探して見つからなかったのに、それで本当に辿り着けるようになるのか……。はっきり言って自信無いわよ?」
「まぁ、いいから行ってみようぜ。とりあえず探して見つからなきゃ考えればいいんだし」
そして俺たちはデイドリームの根城を探して歩き出した。




