2話「出会い。そして何かが来る!」
誰かが来る。
それだけの理由でクシャナさんは俺に警戒を促した。
これが世紀末的な異世界だったら正しい判断だろうけど、何せここは日本だ。人が来たくらいでそんなに警戒しなくても大丈夫なはず。
そうは思いつつも、クシャナさんを邪険にできない俺は素直に立ち止まって遊歩道の行く手に注意を向けた。
少しして緩やかにカーブした遊歩道のブラインドの向こうから現れたのは身長が160センチくらいの人物だった。
「なんだろ、あれ」
そいつはちょっと変なやつだった。何て言うか服装が変だ。ローブみたいなのを羽織ってて魔法使いみたいな恰好だ。それは日本で昼間から着る服じゃないだろ。しかもフードを目深に被ってるから顔もわかりゃしない。そんなやつが遊歩道の先から必死に走ってくるんだから、俺もクシャナさんも立ち止まったまま様子を見るしかなかった。
「た、助けて!」
そいつはある程度近づいてきて俺たちに気付くとそう叫んだ。若い女の声だ。
一方、俺とクシャナさんはいきなり助けろと言われて思わず顔を見合わせる。
「追われてるのよ。お願い!」
いきなりずいぶん世紀末な頼みだな。帰って来て早々これとか、6年の間に日本の治安はどうしちゃったんだよ。
まぁ、追っ手って言っても街のチンピラとかヤクザだろ。異世界じゃ本物の化け物とかに襲われるからな。それに比べりゃビビって見ない振りをするほどのことでもない。
俺はローブの女に手を貸そうと一歩踏み出しかけたが、でもクシャナさんの手は俺の肩を放してくれなかった。
「迂闊ですよ、シュウジ。安易に行動してはいけないといつも言っているでしょう?」
言われてる言われてる。しかもクシャナさんが止めてくれたおかげで何回も命拾いしてるんだよな、俺。
それを思うとやっぱりこの人の言うことは無視できないんだけど、でもここは日本だからなぁ。
「大丈夫だって。この国ってあくびが出るくらい平和だって何回も言ったじゃん」
「ええ。いつも話してくれましたね。ですがだからと言って無関係の騒ぎに首をつっこむこともありません。つまらないことであなたが怪我したらどうするんですか」
「心配し過ぎだって」
俺はクシャナさんのすべすべした手をやんわりと振りほどき、目の前までたどり着いたローブの女へと視線を変えた。
「なぁ、お前大丈夫か? つーかそのカッコ暑くね?」
だって今この世界は夏前だし。ローブなんかずっぽり被ってたらそりゃ蒸されるだろ。まぁ、そう言いつつも俺もクシャナさんも長袖だけどな。世界転移する時は向こう側の季節がよく分からないから、気温的な対応に幅を持たせるためにどうしても中途半端な恰好にならざるを得ない。そんなわけで、俺自身ちょっと暑苦しい思いをしてるんだけど、さすがにローブはねーよ、ローブは。
「――大丈夫。ええ、大丈夫よ……」
どっちの質問に答えたんだか、女はそう言ってフードを外して顔を見せた。うん。やっぱり若かったな。16か17歳くらいっぽい。俺が16だからタメって可能性もある。
となると、そうか今時の同世代はこんな感じか。もっと末期的にギャルってんのかと思ってたけど、逆に化粧っ気が減ってんのね。まぁ、この女の場合、元が相当いいみたいだから特別なだけかも。肌は白いし目も大きい。黒髪だってほとんどローブに隠れちゃってるけど綺麗なロングヘア―だろ。どっちかって言うと気が強そうな女だけど、肌がきれいなせいかどこか子供じみた無邪気さも感じる。こいつに笑顔を向けられたら大抵の男は即落ちだろうな。
つっても俺にはクシャナさんが居るから関係ない。クシャナさんはあくまでも家族だけど、美形度で言ったら全異世界で最強にイカしてると思ってる。薄く紫がかった腰まである髪も、一見して冷たそうな切れ長の目も、あんまり多くは喋らない薄い唇も全てが完璧だ。
「で、何をどうすりゃいいんだ?」
「助けてくれるの?」
いや、そこでキョトンとすんなって。お前が助けてくれって頼んだんじゃねーか。
「できる範囲で、な。世界を救えとか無茶言わなけりゃある程度のことはやってやるよ」
逆に世界を滅ぼすのならできるけどな。実際クシャナさん前科あるし。いや、もちろんそれは向こうの自業自得よ? ろくでなしの悪鬼羅刹しか居なかった世界とは言え、騙し打ちで俺を殺したりするからクシャナさんがブチ切れて全世界を生贄にした反魂の術で生き返らせてくれたんじゃねーか。もっとも成功率的にマジで奇跡の部類だから二度とごめんだけど。
まぁ、それはともかくこの日本で起こるような個人的なトラブルを解決するくらいどうってことないってことだ。
「いいの? 本当に?」
そう言って女は上目づかいで俺を見上げてくる。あ、ヤバい。やっぱりこいつ可愛いかも。このまま頼まれたら神でも殺せるわ、俺。
「でもやっぱり悪いし。それに私にもまだ良心が……」
何かブツブツ言ってんな。さっさと頼んでくれりゃ断らなないのに。意外と打算的なやつじゃねーのかな?
「追われてんだろ? とりあえず後ろに隠れとけって」
あんまりじれったいんで俺の方から話しを進めることにした。
「そ、そうね。ありがとう。助かるわ」
女が後ろに回り、週刊誌を足元に捨てた俺は、立ちふさがるように追っ手を待ち構えた。すぐ隣ではクシャナさんが無言で肩を並べてくれてる。
なんだかんだで優しいんだよ、この人は。でも何か微妙に殺気立ってるのは……、やる気の現れ?
「あ、殺しちゃだめだからね、この世界はそういうのにすごいうるさいから」
「分かっています。それから、人間らしく、でしょう?」
クシャナさんは若干後ろの女を振り返りながら意味深にそう言った。
そうそう、ちゃんと人間のフリをして通さないと。もしクシャナさんの正体が世間に知れたら自衛隊とかと戦う羽目になるからな。いや、マジでそういうパターン多いんだよ。討伐隊として差し向けられてきた王国騎士団とかをクシャナさんが返り討ちにするのはもう形式美のレベルだっての。
「そろそろ追っ手が来るみたいですが、これは、妙ですね……」
何を感じ取ったのか、クシャナさんが怪訝な無表情を浮かべた。
でも妙ってたってここは日本だ。クシャナさんには初体験なものでも俺が驚くようなもんじゃないだろ。
そんなことを思っていると、遊歩道の先にほんとに妙なやつが1体現れた。
「は? 何だよあれ?」
前言撤回。
姿を現した追っ手を一目見た俺は、そのあまりに場違いな相手に驚きを隠せなかった。
そいつは全体を鱗に覆われた大きな体を2本の足と1本の尻尾で直立させて走ってくる。ただそいつの種族は元々が水棲の魔物だからあんまり走るのは得意じゃないはずだ。実際がに股気味にドスドス走ってるし。
「シュウジ。あなたの世界には魔物のたぐいは一切居ないと言っていませんでしたか?」
「そ、そのはずなんだけど、何であんなのがここに……」
そう。その追っ手とは魔物としてはポピュラーな、しかしこの世界には居るはずのないリザードマン。
その登場に俺とクシャナさんはまたしても顔を見合わせることになってしまった。