幕間その3「変幻万化」
「おいおい、こりゃいったいどういう状況なんだ?」
魔物注意報の避難誘導を逆手に取り現場に急行したラーズだったが、その状況を一目見ただけではどう解釈すべきか判断に迷った。それは獅子雄にしろ緒方にしろ同じなようで、二人ともラーズと肩を並べて眉をひそめている。
辺り一帯は散々たる有り様だ。
街路樹はなぎ倒され、車は横転して散乱し、いたるところにヒュドラの首が落ちている。
相当に激しい戦いがあったのだろう。何人もの怪我人が道路上に倒れていて、代官所の兵たちが懸命に安全地帯まで運び出している。
問題なのは、まるで救助活動に専念する兵たちを守るように、ヒュドラの正面に立ちふさがった一人の女の存在だった。
その立ち姿は一輪の花のようであり、同時に物言わぬ彫刻のようでもある。しかしその実、それは獲物前にした狩人であり、恐らくは無慈悲な殺戮者なのだろう。
果たしてその本性の片鱗を知るラーズは、だからこそその行動を理解出来ない。
「あの女、ヒュドラと敵対してやがるのか?」
それは中目黒公園で出会った、邪神じみたスキルを持った女に間違いなかった。
いや、遭遇自体は予想されていたのだ。ここに来れば鉢合わせする可能性は十分にあることは分かっていた。元々そのつもりで駆けつけてきたのだから狙いは当たったと言える。
しかしまさかこんな形で騒動の渦中に居るとは予想外だった。
ラーズの予想ではヒュドラと目される魔物こそが女であるか、そうでなくとも人に危害を加える側として関わっているかのどちらかだと思っていた。だが実際に現場に来てみれば、少なくとも形の上では人間を守っているのだから困惑せずにはいられない。
ラーズは女のスキル構成を知っている。そしてスキルの取得には、その人間の経験や物事に対する練度が大きく関係していることも熟知している。
そういう意味ではスキルとは人生の足跡だとラーズは思っている。経験上、スキル構成を見ればどんな状況を生き抜いてきたかだいたいの想像がつくからだ。
だからこそラーズはあの女を最大限に警戒する。
あんなスキル構成になるような生き方をしてきた奴が、他種族に対して友好的であるはずがない、と。
「対立構図としては都合がいいが、事情が分からないだけに不安だな。完全に味方なのかどうか分からない」
「まさか餌の奪い合い、なんてこたぁねぇだろうな……」
「考えたくもないな。だがすぐそばにいる民間人、彼らには特別危害は加えられてないみたいだ。ラーズ。あの中に居るのが彼女の片割れか?」
女のすぐ後ろには4人の民間人が居る。日本刀を持ったがっしりとした体格の男。退廃的なバンドグループにでも居そうな髪型の若者。術士用の杖を持った大人しそうな少女。
そして――
「ああ。間違いねぇ。髪の黒いガキ。あれだよ」
最後の一人。他の3人と何やら話しをしている黒髪の少年。それはまさしく中目黒公園でラーズに不可解な質問を投げかけてきた相手だった。
「彼の方は民間人と普通に接してるな。威圧的でもないみたいだし、彼なら話しができるかもしれない」
「話し、ねぇ。あの女の仲間にゃ変わりねぇんだし、人間だからって無害とは限らねぇぜ?」
「そもそもあの少年はどうして彼女と一緒に居るんだろうな。交渉役とか世話役か?」
「さぁな。少なくとも飼い主じゃねぇだろうぜ。あのガキのスキルレベルじゃ女を従えらせれねぇ。大方従僕か何かだろ」
「どちらにしても彼一人ならそう危険じゃなさそうだ。女の方とヒュドラが戦闘状態に入ったらその隙に接触してみよう」
その言葉にラーズはあえて賛成はしなかったが、それでも任務を放棄できない以上、選択肢としては最善だろうと思った。
仮にあの少年が敵対的な反応をしたとしても、スキルレベル的に自分と緒方で十分に対処できる相手だ。最悪、女がヒュドラを倒しきる前に会話を切り上げてこの場を離れれば命だけは守れるだろう。
と、女が民間人たちに向かって何かを言い、少年は足元の鉄パイプを拾った。声までは拾えないが民間人と話し合ったあと、少年は女から何かを受け取った。
そしてそのままヒュドラに向かって歩いて行く。
「あいつ、まさか戦る気か?」
思いがけない展開にラーズも思わず声を上げた。
あり得ない。女の方なら何の疑問も無いが、あの少年がヒュドラと戦おうなどどう考えても無謀だ。
「確認するが、彼のスキルレベルは――」
「ああ。一桁だよ、中佐。ヒュドラどころかゴブリンと戯れてるレベルだ。間違っても勝負にゃならねぇ」
そうだ。あの少年は術士と戦士の二束の草鞋を履いているせいで個々のスキルレベルが低い。誰がどう考えてもここで矢面に立つのは無謀すぎる。
だがこちらの困惑をよそに、少年はヒュドラへと躊躇無く向かって行く。
そしてさらに、驚くべきことが起こった。
少年の右手に握られている鉄パイプが両刃の長剣へと形を変えたのだ。それも何をするでもなくひとりでに、だ。
「何だ、何をした? あんなスキル聞いてないぞ」
獅子雄のその言葉に、ラーズは慌てて両手の指で輪を作ってスキルスコープを発動させた。
中目黒公園で視た時、少年のスキルは4つだった。
魔法スキルとしてファイヤーとウィンド。戦技スキルとして斬波と陣足。
間違いない。今見ても少年のスキルはその4つ。鉄パイプをロングソードに作り替えられるようなスキルは持っていない。
「あのガキ、どうやった? スキルを隠し持ってんのか?」
それは不可解と言えばあまりに不可解だ。
物質の形状を再構築するなどスキルも無しにできるはずがない。少年がそれを成したなら、絶対に何らかの技能系スキルを持っているはずだ。
だがスキルスコープには戦闘系スキル以外何も映らない。何かがおかしい。あの少年には秘密があるに違いない。
ラーズが真っ先に疑ったのは、鑑定を妨害されている可能性だった。実は少年には今見えている4つ以外にもスキルがあり、それを何らかの方法で隠しているのではないか。
実際そういう研究はされているのだ。鑑定系スキルは相手の秘された情報を読み取るため、スパイ対策として妨害手段が必要だからだ。
例えば一番簡単な妨害手段は、鑑定者に対してあえて過度な情報を与えることだ。読み取られたくない情報源を同種の偽装情報を持ったダミーで囲ってしまうのだ。情報が煩雑すれば鑑定者はターゲットが持つ本当の情報を見分けられなくなる。
実際ラーズも群衆の中に紛れた個人のスキルを読み取ることはほとんどできない。ターゲットのスキル情報と周囲の人間のスキル情報が混濁して、誰がどのスキルを持っているか判断出来なくなるからだ。
そういった原始的な妨害工作からもっと高度な魔術的な欺瞞まで含めると、少年がスキルを隠している可能性はある。
だが仮に欺瞞が行われていたとしてもいくつかの疑問が残る。
例えば戦闘系のスキルはそのままに技能系スキルだけをどうやって隠匿しているのか。持っているスキルすべてを隠すことは出来るかもしれないが、一部のスキルだけを選択的に隠すのは難しい。その方法にラーズは心当たりが無い。
それに何故そのスキルだけを選んで隠しているのか、その理由も謎だ。物質の再構成というのはレアリティの高いスキルかもしれないが、あえて隠すようなものでもない。持っていたとしても誰かに咎められるようなことでもなければ、目を付けられることも無いはずだ。それをあえて隠す理由は果たしてなんだろうか。
ラーズはスキルスコープを維持したまま少年の動向に注視した。
少年がスキルを隠しているのに理由があるなら、このタイミングでヒュドラに戦いを挑もうとしていることにヒントが隠されているかもしれない。
あるいは少年がもう一度物質再構成を行えばその瞬間には鑑定が有効になるかもしれない。
その思いでラーズはスキルスコープで少年を捉え続け、そして結果的に思いもかけないものを見た。
少年がヒュドラに対して突撃を敢行した瞬間、陣足というスキルのレベルが跳ね上がったのだ。元々Lv8だったものが、踏み込みの瞬間にはLv80にまで唐突な上昇を遂げた。むろんそんなことは通常起こり得ない。今まで多種多様な種族のスキル保有者を見てきたが、これと同じことは一度も起らなかった。
常識的に考えてスキルレベルが急に10倍に成長することなどあり得ない。
だがこれは事実だった。
爆発的な加速でヒュドラに肉薄した少年は、襲い来る頭の数々スピードだけで翻弄し、あまつさえ踏み台にして空上空へと昇って行く。
その機動力はスキルレベルの急激な上昇が事実であることを認めるのに十分な証拠だった。あまりの速さにラーズはスキルスコープで少年を捉え続けることさえできなかった。肉眼で追いきれないほどの運動性だ。スキルレベルが一桁ではこうはいかない。たしかに少年の陣足のレベルは上方修正されたのだ。
しかしいったいどうしてそんなことが起こったのか理解できない。もともとLv80だったものを偽装していたのか、あるいは瞬間的にレベルを上昇させる手段を持っているのか。
ラーズがその予想を立てる前に、少年はさらに驚くべき隠し玉を披露した。
上空高く飛び上がった少年は斬撃属性の攻撃力を持った竜巻を発生させた。
スキル名ブレイズトルネード。
つい先ほどまで影も形もなかったスキルが、少年の中に確かに存在していた。いったいどういう訳でこのスキルが出現したのかは分からない。ただ代わりに斬波とウィンドのスキルが消滅し、陣足もLv8に戻っている。本当に訳が分からない。
ここまでくるともはやラーズは思考力を完全に失った。あり得ないという言葉だけが脳内にあふれ出し思考領域を埋め尽くしていく。
この瞬間、ラーズは鑑定者として求められる最低限の分析さえも出来なくなっていた。




