幕間その2「掴んだ行方」
リザードマンのラーズが緒方と共に代官山駅に到着した時、そこにはすでに獅子雄頼綱の姿があった。
平日とは言え多くの人でごった返す中、周囲から頭一つ抜けた獅子雄の大柄な軍服姿はよく目立つ。
3人はすれ違うことなく速やかに合流した。
「早かったな。僕もちょうど今来たところだ」
獅子雄はラーズと緒方を見つけるなりそう言った。
その口ぶりはいつも通りの平静な態度に見える。それがかえってラーズの感情を刺激した。
「ああ、そりゃよかった。こっちゃ徒歩だけにずいぶん待たせたんじゃねぇかと思ったぜ。それとも気ぃ利かせてんだったらそういうのは女に言ってやりな、中佐」
「何だ。ずいぶんと機嫌が悪いじゃないか、ラーズ。これから例の彼らに接触するかもしれないんだ。くれぐれも相手の気分を害するような言動は慎んでくれよ。じゃないと命に関わる」
もともとラーズは口を開けば悪態と減らず口が出ると言われる男だ。だが今に限って一段とその傾向が強いのは、他でもなく獅子雄のせいだとラーズ本人は思っている。
理由は至極単純で、ラーズが今一番関わりたくない案件の情報を獅子雄が見つけてきたからだ。
それは言わずもがな、任務中のラーズの前に現れた異世界人と思しき二人組の消息に関するものだ。詳しい話しを聞くのはこれからだが、少なくとも二人組がこの代官山に現れたところまでは掴んでいるらしい。
そしてラーズと緒方が呼び寄せられたのは、これから彼らとコンタクトを取るのに同伴させられるからだ。
だから、まったく余計な話しを、とラーズは憂鬱な気分を引きずってここまで来たのだった。
「で、連中はこの世界の土産に何を買ったって? タレ込んできたのはどこの店だ?」
事前の話しでは、獅子雄は周辺一帯に広がる情報屋のネットワークに件の二人組の外見的特徴を流し目撃情報を募ったのだという。
ネットワークなどと言えば大層なもののように聞こえるが、実際には本職の情報屋が個人的に顔を繋いだ一般人が大半だ。学生、サラリーマン、ショップ店員、冒険者。特殊な人間はそう居ない。
とは言えその情報網として価値は侮れない。
何せ子供から大人まで、あらゆる場所、あらゆる時間、あらゆるコミュニティを網羅するネットワークだ。一人一人の人間の持つ情報は狭く小さくとも、それが何百人何千人と膨れ上がればどうだ。それは世間を多角的に覗き見るウェブカメラのようなものだ。
つまるところ情報屋は普段は気のいい友人として交友を広め、いざと言いう時はメール一本で彼らの目と耳を千里眼のように使いこなすある種の特殊能力者なのだ。
そして今日はその能力が如何なく発揮された結果、目的の二人を見つけ出したということだ。
「現れたのはアイテムショップだ。ただし買おうとしたんじゃなくて売ろうとしたらしい。まぁ、出してきたのが本物か偽物か竜の鱗だっただけに買取を断ると、結局何も売らずに帰ったらしいが」
「ハッ。そりゃすげぇ。さすが異世界人さまはとんでもねぇもんさらりと出しやがる。しかし、それじゃ何か。もうそこには居ねぇわけか」
「そうなるな。だが直近の情報だけにまだ付近に居る可能性は高い。これからそのショップを中心に捜索……、ん?」
そこまで言いかけて、突然鳴り出したスマートフォンの着信音に獅子雄は言葉を止めた。
いや、獅子雄のものだけでなく、ラーズを含めた辺り一帯の通行人のスマートフォンが一斉に鳴り出している。
「なんだ?」
各人がそうするように、ラーズもスマートフォンを取り出し確認する。
着信ではなく、避難情報だった。
「魔物注意報だぁ? すぐ近くじゃねぇか」
魔物注意報、正確には魔物出現警報は、人間に危害を加える可能性がある魔物が都市圏で確認された時に発せられる避難情報だ。
ラーズのスマートフォンには、代官山の、しかもこの場所からそう遠くない場所にヒュドラが出現したとある。
だがその情報にラーズは半信半疑だ。
ヒュドラは非常に危険な魔物だ。同時に非常に珍しい魔物でもある。少なくとも都心部にいきなり現れるようなものではない。だいたい大型の魔物なだけに人目につく。見つかるにしても、もっと郊外で発見されるはずだ。
それがどうしてこんな街中に突如現れたというのか。
「まずいな。たぶん……これはまずい」
同じようにスマートフォンの魔物注意報を確認していた獅子雄が深刻そうにつぶやいた。
そしてラーズはその様子を不審がる。
童顔でいまいち頼りなく見える獅子雄だが、それでも本職の軍人だ。たとえヒュドラと言えど、魔物が一匹出現しただけでこうも動揺しないはずだ。少なくともラーズは獅子雄を腰抜けだとは思っていない。
それが今の獅子雄はスマートフォンの情報に明らかに狼狽えている。
「この魔物の出現場所、例の二人組が見つかったショップのすぐ近くだ」
「げ、それじゃこのヒュドラは連中に関係があるんじゃねぇか?」
獅子雄の言葉にラーズも嫌な予感に襲われた。
何せヒュドラのような大型の魔物が突然街中に現れること自体が不自然だ。物理的に言って陸を這って移動してきたとは考えづらい。ならばどうやってそこまで来たのか。召喚か、何らかの擬態か。
「つーかそのヒュドラの正体、あの女じゃねぇだろうな」
あり得なくはないだろう、とラーズは思う。
少なくともその場所に居たのは確かだ。何らかの理由で本性を現したのかもしれない。
ただその場合、ヒュドラではないだろう。
中目黒公園で見たあの女のスキルの数々。それは今思い出しても身が震えるような、中に秘められた凶悪な本性の片鱗だ。
だがあのスキル構成はヒュドラとは全くの別物だった。ならば女の正体が何か他の、蛇のような怪物だったとしたら。それを魔物注意報ではヒュドラと間違えて情報を流しているだけで、現場ではヒュドラなど及びもつかない邪神級の魔物が荒れ狂っているのではなかろうか。
「その可能性も無くはないな……。とにかく行ってみよう。ただのヒュドラかあの女が正体を現したのかはともかく放ってはおけない。場合によっては、緒方大尉、頼むぞ」
「……潔く土になります」
「ああ。すまないな」
緒方の返事を受け、獅子雄が先導して走り出した。さほど疑問には思っていないようだ。
土になる。
土になる気でがんばる。
土になる覚悟で死ぬ気でがんばる。
そんなところだろうか、と分析してみる。ラーズは緒方とそれほど長い付き合いではない。だから彼の簡潔な言葉の意味をどう受け止めるべきか分からない時がある。まさか最初から死ぬ気ではないと思いたい。
「チッ。仕方ねぇか」
獅子雄に続きながらつぶやく。
いざとなったら出来る限りの支援をするしかない。
ラーズは人知れずそう覚悟を決めるのだった。




