17話「蛇に睨まれた蛙たちの戦い」
ヒュドラがダメージの回復を終えたのは俺たちが行動を開始したのとほぼ同時だった。
こっちがちょっと話してる間に完全に元通りになった尻尾でのたくるようにゆっくりと俺たちに接近してくる。
大した時間もかけてないのに全回とか、さすがに不死と混同されるだけの回復力だ。
こりゃ立ちふさがり甲斐のある敵だわ。俺も防波堤としてがんばるからみんなも頼むよ?
気合一発。怪我人の救助に取り掛かった3人を素通りして、俺は一直線にヒュドラの正面に走りこむ。
やっぱりデカい。一人だけで見上げると余計に大きく見えるな。もう強者のオーラがめちゃめちゃ出てる。
いや、待て待て。今さらビビッてどうする。守りに入ったら確実に負けだぞ。どんだけ防御を固めても押しつぶされるだけなんだ。とにかく動いて撹乱だ、撹乱。
俺は高速移動スキル陣足を使ってさらにヒュドラに接近する。
ヒュドラの周りはさっきの尻尾の薙ぎ払いで車だの何だのが吹き飛ばされて空白地帯になってた。障害物が無いから走り安い。ここぞとばかりに一気に距離を詰める。
すると早速ヒュドラの首の何本かが反応して襲いかかってきた。
俺は、頭上から次々に打ち下ろされる噛み付き攻撃を右に左にと進路を変えて回避する。
俺の使う陣足は、元々とある異世界の剣術流派の歩法だ。それも一対一だけを想定した決闘剣術でもなければお上品な道場試合だけの流派でもない。いつ合戦が起こってもおかしくない世界の戦場を生き抜くための剣術流派だ。だから歩法にも短距離用から長距離用までが色々あって、陣足は乱戦になった時に場をかき回すための中距離高機動歩法だ。
その真髄は敵や味方の間を縫って走り抜けるフットワークの軽さ。それを最大限に利用してヒュドラの攻撃を回避する。
右へ、左へ。また切り返すと見せかけて今度は進行方向への加速。
ヒュドラの周りを周回するような目まぐるしい乱数回避の撹乱で俺は今や注目の的。
でも次々に襲い掛かってくる6つの頭には一撃で俺を行動不能にしかねない攻撃力がある。
死にたくなけりゃかわし続けるしかない。
もちろん死にたくないからがんばるよ? つかめちゃがんばってる。
止まれば的。動いてても的。
苦しいけど、でも囮の役割は十分果たせてる。
そう思った俺は横目で3人の進捗状況を確認した。
避難誘導はまだ始まったばかりだけど、出だしとしては好調に見える。
文句言ってた割にパンク兄ちゃんは頑張ってるし、一番力のあるおっさんは二人まとめて肩に担いで運んでる。術士っ子は筋力的に負傷者を担ぎ上げるのは無理だから、比較的軽症の奴に肩をかしてるみたいだ。
あと気付いたのは、最初の予定じゃ負傷者は後ろに下げる手はずだったけど、三人は手近な建物の奥やビルとビルの間の裏路地へ連れ込んでる。
確かにそれならヒュドラの攻撃から身を守れるし、いちいち遠くまで運ぶ必要が無いから避難も捗る。
誰が言い出したのか知らないけどいい判断だ。
俺が一人で関心していると、パンク兄ちゃんから逆に叱責が飛んできた。
「なにボサっとしてんだ。気を付けろ!」
急停止して慌ててヒュドラを確認すると、頭の一つが大きく口を開けて俺を捕捉してた。しかも喉奥で紫色の瘴気が渦巻いてるのが見える。
「やっべ」
俺は慌てて周囲の状況を確認する。
右よし、左よし、後ろは……、ダメだ、みんなが居る。この位置関係はまずいぞ。俺を挟んでヒュドラと負傷者やパーティーメンバー3人が一直線上に並んでる。
ダメだ。ダメだ。その事実は俺から回避という選択肢を奪う。
「チッ――」
俺が舌打ちした次の瞬間、ヒュドラの口から紫色の瘴気が火山流みたく噴き出した。
毒ブレス。ヒュドラが恐れられるもう一つの理由。その威力は不死神が不死であることを返上するほどの痛みを与える。当然人間が耐えられる代物じゃない。
俺はその毒ブレスに対して真っ向勝負の構えを取る。普通ならわざわざこんなことしない。俺の陣足なら十分回避できる間合いだった。だけど俺の後ろにみんなが居る以上逃げるわけにはいかない。俺が何もせずただ避けただけじゃ射線上のみんなは直撃を受けて間違いなく死ぬ。
だから俺は逃げれない。踏みとどまって、盾になる。
俺は右腕を後ろに引き絞り、アンダースローで大きく腕を振り上げる。
途端、ヒュドラに向かって突風が吹き荒れ眼前まで迫っていた毒ブレスを押し返した。
「人様に向かって臭い息吹きかけてんじゃねぇ!」
使ったのは俺が持つ二つの魔法スキルの内の片割れ、その名も素敵、ウィンドだ。
ぶっちゃけちょっとした風を起こすだけの初心者用スキルだけど、俺が秘密の能力でチョメチョメするとご覧の通りの暴風っぷりだ。それどころか、その気になりゃ人間がほとんど身動きできなくなるくらいの風圧にさえなる。
なんで俺がそんなことできるのかって言うと、いや、今は戦闘中だ。その話しは置いとこう。
とにかく毒ブレスは防いだ。
そのピンチ自体俺が招いたような気もするけどドンマイドンマイ。被害は無かったんだからノーカンだよね。
と思ったらパンク兄ちゃんが俺のことめっちゃ睨んでた。
「おい、てめぇ――」
「さすがです、お兄さん!」
パンク兄ちゃんがたぶん文句を言いかけただろう瞬間、術士っ子が声援を被せてきた。
いいよ。いい支援よ。お兄さんそれだけでうれしくなっちゃう。
っと。ブレスを防がれたのが気に障ったのか、ヒュドラが俺に向かって突進を仕掛けてきた。
さすがにこいつは風圧じゃ止めれない。かと言ってここを通すわけにはいかないから俺はやむを得ず応戦する。
使うのは斬波だ。間違っても首を切断しないように威力を抑えての攻撃。ただし連射だ。
パンク兄ちゃんが連続攻撃でヒュドラのヘイトを鷲掴みにしたのに倣う。とにかくチクチク嫌がらせしてこっちに気を取られてもらう。これはこれで問題ある行為だけど構ってらんない。
斬波。斬波。斬波。斬波。とにかく斬波。
斬って再生されて斬って再生されてを次々と繰り返す。
OK。ヒュドラは俺だけを見てる。これならもうしばらく粘れそうだな。
俺がそう思った時だった。
「あ、あ゛あ゛あ゛――」
突然上がった悲鳴で辺り一帯の時間が一瞬止まった。
何だ? 何の悲鳴だ?
俺はバックステップでヒュドラから距離を取って声の主を探す。
居た。後ろの方で瓦礫の下敷きになってる男が叫び声の発生源だ。
「足が、俺の足が――!」
男は瓦礫に挟まれた足の付け根を両手で鷲掴みにしながら叫び続けた。
足を瓦礫に潰されて骨折でもしてるのか?
でも何で今さら。
「どうやら気絶していたのが今目を覚ましたらしいな」
なるほどね。
さすがおっさんはベテランだな。よく気が付いた。
たしかにそういうこともあるだろうな。気が付いたら骨折してんだからそりゃ痛いだろう。気絶してたせいでアドレナリンとかもあんま出てないだろうしさ。
とにかくこいつを先になんとかしてやらなきゃマズイか。位置的には後ろの方だから順番的には後回しなんだけど、あれだけ叫ばれちゃほっとけないからな。
とりあえずおっさんに瓦礫をどけてもらって――
「お兄さん、ヒュドラが!」
げ。やばい。ヒュドラの頭全部が叫んでる男の方を見てる。
あんまりデカい声出すから気を引いちゃってんじゃねーか。
まずい。これはまずいぞ。あんなに後ろに居る奴がヘイト取っちゃったら他の連中までヒュドラの攻撃圏内に巻き込まれる。
「くそったれ」
何としてもヘイトを取り返すべく、俺はヒュドラに対して積極的攻撃に転じた。