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98話「愚かで偉大な意志。その追憶」

 暗闇。

 そこは暗闇だった。

 どこか遠い静寂の中を、俺の意識ははただ漠然と漂ってる。

……。

 違う。

 ほんとは静かなわけじゃない。

 微かになにかの音が聞こえる。

 ただ、それがなにのどんな音なのか、そしてどこから聞こえてくるのかわからない。

 方向も音の種類もぼやけてて、まるで暗闇全体がなにかを喋ってるみたいだ。

 それを上手く理解出来ないまま俺は音のする暗闇の中を漂って、不意に、どこか近くに誰かの気配があることを悟った。


「そろそろ起きたらどうだ?」


 まったく知らない男の声だった。

 責めるでもなく怒るでもなく、ただなんとなく、とりあえず声をかけてみた感じの言い方だった。


「ん、うーん。あれ。俺どうしたんだっけ?」


 不意に光がさして視界が広がった。

 なんだ、俺寝てたのか。

 さっきまでのは暗闇の空間に居たんじゃなくて、ただ目をつむってただけか。

 音がぼやけてて上手く聞き取れなかったのも、俺の意識がはっきりしてなかったからだ。

 その証拠に、俺の耳は今はもうちゃんと色んな音を聞き分けてる。

 男の声がした方向もわかるし、そっちから器具か何かを使う音がしてくるのもわかる。

 って言うかほとんど正面。

 俺は小さな部屋の真ん中でテーブルの椅子に座ってて、その向こうの壁際にある作業台のとこに男が居る。

 背中向きで何をしてるのかよく見えないけど、周りに置いてあるのは錬金術師が使う小道具だ。


「えーっと……、一回これ飲んでいい?」


 状況がよく呑み込めない俺は、目の前に置いてあった木製のコップを手に取った。

 なにか飲んでちょっと気持ちを落ち着けないと。


「ずいぶん図々しいやつだな。別に構わないが、ここでの飲み食いは意味を成さないぞ」


 いやいや、ディスられても背に腹は変えられない。

 俺は、コップの中で湯気を立てるホットミルクみたいなのを思い切って飲み込んだ。

 あ、だめだ。

 びっくりするくらい無味無臭でおまけに温度も感じない。

 なにこれ。

 VR空間か、ここは?


「これ意味なくない?」

「だから言っただろう。まさかこんなに助言のしがいのないやつが来るとは、さすがにそこまでの予測はつかなかったな」

「どういう意味?」

「そのままだ。俺のレトリケーを手に入れた人間が、いずれこのディアレクティケーの原初領域に接触してくることはわかっていた。いや。そうなるように種を蒔いておいたのさ」


 そう言って男は俺の方に振り返った。

 ゲオルギウス。

 こいつゲオルギウスだ。

 地上で見た偽ゲオルギウスに顔がそっくりだから間違いない。

 っていうか、今さっきすっごい大事なこと言わなかった?


「えっと、いきなりでなんだけどさ、もしかしてあんたが俺の世界をめちゃくちゃにした黒幕だったってこと?」

「早とちりするな。とことん落ち着きの無いやつだな。ディアレクティケーで大掛かりな創世を行おうとするなら、そのひな形にふさわしい世界が要る。それも、世界秩序の崩壊しかかった終末的な状態の、な。そして、いつどこの世界がその状態になり得るか、俺はあらゆる計算を行い予測を立てていた。それがお前たちの世界だ」

「ああ。なんか俺たちの世界ってそういう状態らしいけど、だからそれを利用して理想郷を作ろうとしたんじゃないの?」

「最初はそのつもりだったさ。だが研究が進むにつれ、やはりその方法でも目的は達成不能だと悟った。いや、そもそも自分の理想という鋳型に世界のすべてを押し込もうとしたのが間違いだったと、ようやく気付いただけだな」

「鋳型?」


 ゲオルギウスの表情は意外にも穏やかだ。

 仮にも人類史上稀に見るバカな大挑戦に失敗した男の顔には思えない。

 普通もっとこう、あるんじゃないの?

『ぐや゜じい゜』、とか『まだだ、まだ終わらんよ』とか。


「所詮、人間は世界に内包される存在だ。ましてや一個人の思想が世界のすべてを内包するなんて逆転は起こりえない。それが可能なのは、唯一、世界の創造主たる神だけだろう」

「よくわかんないけど、失敗するって思ったっていうわりには、ちゃっかりうちの世界にディアレクティケー持ち込んでるよね?」

「正しくは俺ではなく俺の縁者が、だな。まぁ、そうなることが予測出来ていて、あえてそれをやめさせるようなことはしなかったのは事実だ」

「いや、ほんとよくわかんないよ。なんで自分で使わなかったくせに弟子が持ち出すのを止めなかったんだよ。どうせ失敗作だから誰がどうしようと責任持たないって意味? そのせいでうちの世界めっちゃ迷惑してるんだけど?」

「そう邪険にするな。お前たちの世界は元々自然崩壊を始めていたんだ。かたちはどうあれ、世の中の変貌は避けられなかったはずだ」

「じゃあなんでディアレクティケーをこっちによこしたんだよ。どっちにしてもカオスっちゃうなら、ディアレクティケーがあっても無くてもいっしょじゃんか」

「たしかにディアレクティケーの干渉があっても世界が変貌することに変わりは無い。だか変貌は防げなくとも、最終的な崩壊は防げるかもしれない。そのためにディアレクティケーが使われるのなら、それはそれでよかったからな」

「え? ちょっと待って。今、整理するから。えっと、俺が久しぶりに元の世界に帰ってみたらなんか異世界化してて、しかも最終的には崩壊しちゃうからってなんとかしようって色々やってたら、お前の弟子の白ローブの連中が『ディアレクティケーで理想の復活』とか言ってて、それを止めようとここに来てみたら、ディアレクティケーを作ったお前自身はこの世界の崩壊を止めるために弟子の行動を見て見ぬふりしたって……。あれ? どういうこと?」 


 なんだこれ。

 話のつじつまが全然合わないぞ。

 それとも俺が白ローブのこと誤解してたのか?


「あのさ、お前の弟子の連中って、この世界を助けに来てくれたりしてたりする? 俺が話した時はそんな感じじゃなかったんだけど……?」

「いや。あいつらにそんな意識は無い。単純に、かつて夢見たものを諦めきれずに追いかけ続けただけだ」


 だよね。

 完全に自分たちでそう言ってたし。

 だとすればやっぱりつじつまが合わない。

 愛理の推測が正しければ、ディアレクティケーが巻き起こしてるこの状態は世界の崩壊を止めることにはつながらない。

 むしろディアレクティケーを止めないとヤバいって話だった。

 おまけにこの口ぶりからすればゲオルギウスだってそれがわかってる。

 完全に想定内って感じだ。

 だからこそよけいに不自然。

 そこまで見通しが立ってたならなんのためのディアレクティケーなのか。


「俺は、ディアレクティケーの基礎部分を作り出すために運命率の研究に手を付けた。だが運命と言っても最初からすべてが決まりきっているという意味ではない。それは道ではなく標だ。どんな道もいずれは他の道と交差し、そして再び別れていく。その分岐と交差の連続をして、人は運命と呼んでいる。決して細かいことすべてが精密に組み上げられた唯一の道があるわけじゃない」


 つまり可能性としては色んな道があるけど、ある程度決まったチェックポイントは通過しないといけないってことだろ?


「なんかどっちかって言うとパラレルワールドっぽいかも」

「パラレルワールド?」

「えっと、並行世界……って言えばわかる?」

「ああ。似たようなものだな。あるいは世界線とも言うが、その世界線の交差をあらかじめ設定しておくことが可能なら、運命率の操作も事実上可能になる。それが俺の、ディアレクティケーの基礎理論だ」

「いや。簡単に言うけどさ、それってつまり未来に干渉するってことでしょ。そんなのどう考えても無理じゃん。人間は自分が今どうするかしか選べないんだから」

「そうでもないさ。人間には元来、己の運命を操作する能力が備わっている。ディアレクティケーはをただそれを拡大させただけだ」

「うっそ、マジで? って言うか俺そんなの全然持ってないんだけど?」

「いいや、そんなことはない。その能力は誰しもが必ず持っていて、しかしその有効性を正しく見出した者は少ない。それでもたしかにそれはあるんだ。なにを隠そう、その能力を俺たち人間は『意志』と呼んでいる」

「は? 『意志』って、ほんとに? ほんとにあの『意志』?」


 どういうことだよ。

 ここまで御託を並べて、最後に出てきたタネと仕掛けが『意志』って……。

 それじゃあつまり「全部、僕がやりました」って言ってるだけなのと同じだろ。

 それともわけのわからない話をして俺を煙にまこうとしてるのか?


「そんなに詐欺師を見るような目で俺を見るな。意志と言っても単純な気持ちや思考のことを言っているんじゃない。意志というのはな、平たく言うと『然るべきところへ向かおうとする力』、だ。それとも『目的を達成しようとする運動』と言った方がわかりやすいかもしれんな。少々語弊はあるが」

「よけいに胡散臭いって。然るべきところとか目的とか、それがいったいなんになるって言うんだよ?」

「単純な話だ。お前、腹が減ったらどう思う?」

「なんか食べたいな、って」

「そう思ったら次はどうする?」

「そりゃ料理するか食べに行くかするけど」

「それが意志の作用だ。空腹を満たすには何かを食べる必要があり、お前は料理をするか外食をするかどちらかの道を通って目的を達成する。どちらの道も、目的という交差点に結局はたどり着く」

「あー、まぁ、そうだね。あんたの言ってることは、当たり前だと思うよ」


 ほんと、当たり前過ぎてバカバカしい。


「でもだからってそれがなに? そんなことがディアレクティケーとなんか関係ある? 俺が自分の世界の崩壊を止めなきゃいけないこととなんか関係ある?」

「大有りだ。どんな可能性を、どんな選択肢を、どんな世界線を通っても、必ずその交差点には『お前の目的』がある。今一度はっきりさせるぞ。お前はなぜここに来た? お前はなんの目的で俺のところにやって来た?」

「そりゃあんたが作ったディアレクティケーが悪さをしたっぽかったらか、それをなんとかして世界の崩壊を止めようと――」


 あれ?


「そらみろ。お前はまんまと、『お前の世界の崩壊を止めよう』と思った俺の意志に操られただろう?」


 いや。

 いや、いや。

 いや、いや、いや。

 そんなはずはない。

 俺は俺の意志に従ったはずだ。

 ここまで来たのはやむなく仕方なくだ。

 この世界に戻って来てからこっち、ゲオルギウスの存在なんてつい最近まで意識してなかった。


「お、俺は目の前の状況に対処しただけだし、ここに来たのもディアレクティケーを止めるためにだから、むしろあんたにとっては邪魔者じゃないかな、って……」

「俺が運命率を操作するために作ったディアレクティケーは、様々な能力を取り込み自立進化していく魔導器だが、それらは関わり合いを持った者がある目的を持たざるを得ない状況を作り出すために使われる。すなわち、ディアレクティケーは干渉対象に目的を持たせることでそれを達成せんとする意志を生じさせ行動を操作するということだ。その連鎖と波及の末、お前は俺が必要としたものに進化したレトリケーの使い手として、ここで俺の目的を果たすことになる。すなわち、レトリケーをもってディアレクティケーの本質を変貌させ、世界の維持を司るものへと昇華させることでな」

「そのための、事実改変機能……?」

「そういうことだ」


 俺のレトリックは、愛理の手でゲオルギウスのレトリケーだったころとは別物に仕立て直されてる。

 それは、単独で見れば実用性を重視したぶん魔導器としてはスケールダウンしちゃった。

 けど、そこにディアレクティケーっていう干渉する対象があればどうだ。

 ディアレクティケーは自立進化の過程でとてつもない種類のスキルを取り込んでる。

 恐ろしいことに、それがこの話のキモだ。

 レトリックは、自分以外の生き物にはほとんど干渉出来ないけど、ただの魔導器に過ぎないディアレクティケーなら話はべつ。

 レトリックで上手くいじればとんでもないものに化ける可能性がある。

 なんたってクシャナさんの種族の能力さえ取り込んじゃってるくらいなんだから、レトリックで微調整すればあるいは……。


「ほんとに、完全に手のひらの上かよ……」


 信じられない。

『意志』とかたったそれだけのことで、何千年も先の未来の異世界に干渉したっていうのか。

 せめて愛理みたいに理解不能なくらいの説明をされた方がまだマシだ。

 高度で複雑な理論があればワンチャン可能性もあるかもだし。

 いや。

 だからなのか?

 むしろ単純だったから方法として上手くいったのかもしれない。

 レトリックの開発コンセプトだってそんな感じだもんな。

 そういう意味だと、天才っていうのは難しいことを単純化するのが上手い人のことを言うのかもしれない。


「でも、異世界人のお前が俺たちの世界のためになんでそこまでしてくれたのかがわからないんだよ。よその世界のことなんて全然関係無いはずなのに」

「完全に無関係ということも無いさ。全ての世界は大なり小なり影響しあって存在しているからな。それに沈みかかった船を見つけてしまった行きがかり上、放っておくわけにもいかんだろう」

「そう言えばみんなが幸せになれる世界を目指してたんだっけ。なんて言うか、すごい執念だと思うよ」

「それを含めてあとは道すがら話すとして、そろそろ行くとしよう」

「行くってどこに?」

「もちろんディアレクティケーの核が収められている場所にだ」


 いよいよか。

 って言うか、ここにあるわけじゃないのか。

 部屋の中の様子だと、一応、錬金術師の工房っぽかったからなにかしら関係あるのかと思ってた。


「外に出るのはいいけど、さっきまでなにかしてたやつはもういいの? 研究的なことしてたんじゃないの?」


 俺が目を覚ました時、ゲオルギウスは作業台のところでビーカーみたいなのをガラス棒で混ぜてた。

 錬金術関係だと思うけど、俺が来たせいで途中投げになっちゃってる。


「構わん。あれはただ単に混ぜていただけだ。特に意味があるわけじゃない」

「混ぜてただけって、なんで? 練れば練るほど色が変わるから?」

「なんだそれは。本当に無意味だな。そうではなくて、俺はこの閉じた時間軸の中でレトリケーの帰還を待ち続けるだけの存在に過ぎんから、もはや生前のようになにかの成果を上げることは出来ないんだ」

「え? ってことは、もしかしてお前って幽霊かなにか?」


 いまさらだけど、冷静に考えてみたらゲオルギウスがここに居るってのは変な話だよな。

 こいつの弟子の連中だっていまだに生きてるけど、どうも不老の術かなにかを会得したっぽい。

 でもゲオルギウスの場合はディアレクティケーの内部の『閉じた時間軸』とかいうやつの中でしか存在出来ないんだろうし、白ローブたちとは別の話だと思う。


「幽霊なんてきちんとしたものじゃないな。今の俺は、単にディアレクティケーに欠けている指向性を決定する機能を補完するだけの存在だ。こればっかりは作り物では仕方がないからな。自分自身のものを移植するしかなかった」

「移植って、まさかそれがお前の……」


 正直言って、記録上のゲオルギウスの最期っていうのはハッキリしない。

 公に残ってる文献だけでも諸説あるうえに、愛理の持つゲオルギウスの日記も現存する一部分でしかないから細かいことまでわからない。

 とくに人生後半については日記自体書いてなかった可能性もあって、ほとんどが想像の域を出ないって感じだった。

 ぎりぎり明言出来るのは、レトリケーが失敗に終わったあと、夢破れたゲオルギウスは表舞台を去りはしたけど、それでも辛うじて生きていたってことくらいだ。

 何パターンかの伝承にあるように、世界を救うために竜と戦って死んだとか、神々の謀略によって暗殺されたってわけじゃないらしい。

 かなり危ない状況もあったみたいだけど、とりあえず命を奪われることだけは避けられたはずだ。

 でもそれから、人前から姿を消したあと、どこに行ってどういう死に方をしたのか不思議に思ってたけど、どうやらこの男は最期まで自分の夢に殉じたらしい。


「でも、だとしたら俺が今、話してるのはゲオルギウスの残留思念ってことになるのか?」

「と、言うよりは残留意志だな」

「残留意志?」


 これまた妙な状態なことで。


「さっきも言った通り、意志とは『然るべきところへ向かおうとする力』で、なおかつ『目的を達成しようとする運動』だ。魔導器という人工物に過ぎないディアレクティケーにはそんなものが自然に備わるはずもないからそこは別に用意する必要があった。となれば、俺の目的を達成させるには俺の意志そのものを保存して組み込むしか無いだろう?」

「いや。無いだろう、って言われても……」


 その発想自体が普通は無いと思うんだ、俺。


「まぁ、いい。とにかくついてこい。俺はお前を導くためにこんなことをしたんだ。口を動かすのは足と同時にでも出来る」

「はいはい。こっちだってみんなを待たせてるし、手助けしてくれるなら幽霊でも残留思念でも意志でも文句は言わないよ」


 なんてそんな俺の返事なんか待つでもなく、ゲオルギウスは出口のドアを開いてる。

 向こう側には木と草と土しか無いような風景。

 田舎じみた、って言うにしてもあまりにものどか過ぎる光景だ。

 ゲオルギウスほどの錬金術師がほんとにこんな辺境で生まれ育ったのか?


「一応言っておくが、勝手にうろちょろするなよ。ここはディアレクティケーの中でもほぼ核心とも言える領域だから、些細なことで取り返しのつかない事態になりかねん。お前はそういうところに無神経そうだからな。心配を的中させてくれるな?」

「わかってるって」


 分かってるけど、そういうことはっきり言っちゃうのも無神経じゃない?

 当たってるけど。


「なら構わん」


 ゲオルギウスはなおも疑り深い目で俺を見ながらドアをくぐった。

 当然、俺も後に続いてこの小屋みたいな家から外に出る。

 すると妙に単調な風が通り過ぎて行った。

 風速が一定でうねりも流れもあったもんじゃない。

 言ってみればまるで扇風機。

 気持ちわる。


「少し歩くがへばるんじゃないぞ」

「だいじょぶ、だいじょぶ。距離にもよるけど、それなりに歩きなれてるから」

「そうか。奇抜なわりには小奇麗な服を着ているから、おおかた都の大商人のバカ息子かなにかかと思ったが、体力に自信があるなら好都合だ」

「バカ息子とか言うなし。そもそも俺は金持ちとかそんなんじゃないから。一応、これでも冒険者だから、山を1つ2つ越えるくらいわけないって」

「冒険者? そんなものは知らん」


 堂々とそう言い切ったゲオルギウスの顔は実に不遜だ。

 なんだよ、冒険者知らないのかよ。

 異世界カルチャーショックなのか、ただのジェネレーションギャップなのか、そりゃそういうこともままあるけどさ。


「どちらにしても心配は不要だ。別にそこまで遠出するわけでもない。ただし、人里からは離れるがな」

「おっけー」


 英語の意味が分からないのか、俺の返事をいぶかしみながらそれでも歩き出したゲオルギウスに遅れないように肩を並べる。

 それにしてもほんとに平和な光景だ。

 ゲオルギウスの家の前には左右に伸びる道がある。

 それをさかいに、手前が集落、反対側が田園地帯。

 つまりゲオルギウスの家は村の中でも畑に一番近い部類ってことになる。

 ほんと、錬金術師のくせに変なとこに住んでたんだな。

 普通ならこういう立地は農家にとっての一等地だ。

 実際、道沿いのほかの家なんかだと、いかにも農家っぽい人たちが家と畑を行ったり来たりしてる。

 本来これがあるべき姿だよね。

 農家でも漁師でも仕事場は近い方がいいんだから。

 もっとも、小さなな村だし、そのあたりはみんなあんまり気にしてないのかも。


「ところでさっきから素通りしちゃってるけど、出かけるなら出かけるで村の人にあいさつしないでいいの?」


 そうなんだよね。

 もう何人もすれ違ってるのに、ゲオルギウスはまったくあいさつしなかった。

 そうなると、いっしょに歩いてる俺としてもなにも言えないし、相手だってこっちには見向きもしない。

 なんかすごいアウェー感。

 普通もっとこうアットホームな雰囲気じゃない?

 

「気にするな。ここはディアレクティケーが俺の記憶にある生まれ故郷を再現した疑似空間だ。見てくれはよく出来ているが、その実、すべての時が止まった繰り返しの紙芝居に過ぎん。物も、人も、時間も、何もかもがすでに失われてしまったまぼろしだ」


 どこか遠くを見るような目でゲオルギウスはそう言った。

 自分自身もこの中で保存されてる存在でもやっぱり思うところがあるのかもしれない。


「で、でも静かでいいところだね。俺、好きだよ。こういう感じ」


 さっきの風といい村人のモブ感といい、作り物じみてるのは否めない。

 でも本物のこの村はきっといいとこだ。

 景色はきれいだしきっと空気もおいしいに違いない。

 あと虫もいっぱい居そうだしね。


「そう思うか? ならもっと畑をよく見てみろ。この村の実情を知ればそうも言えんさ」


 畑?

 そう言われてもほとんどなにも生えてないも同然だぞ。

 何人かのお百姓さんがクワで耕してるみたいだけど、そんなの見てもな。

 と、思ったけど、お百姓さんたちは土の中からなにかを取り出してる。

 あれは、芋か?

 ってことは収穫期?

 いや、まさかな。

 だってあんなの売り物にするどころか、自分の家で食べるにしてもショボ過ぎるだろ。


「この辺りは土地が痩せていてな。なにを植えてもなかなかうまく育たなかった」

「それはなんて言うか、大変だね……」


 たまたま不作だったならまだしもあれがデフォルトか。

 いっつもこんな感じだと生活も苦しそう。


「あ。もしかしてそれで錬金術?」

「……。まぁ、そんなところだ」


 なるほどね。

 錬金術師にしては変なとこに住んでると思ったら逆か。

 生活が厳しい辺境に生まれたから錬金術でなんとかしようと思ったわけだ。


「だが世の中も人生もままならんものだ。俺は結局、この村を救うどころかよけいに不幸にしてしまった」

「なんで? お前の錬金術は黄金錬成に成功したんだろ。だったら村の生活だってよくなったんじゃないのか?」


 ゲオルギウスの黄金化の術に関して、その原理も条件も俺は知らない。

 でも黄金の都を造ったっていうくらいなんだからかなり効率がよかったはず。

 それで失敗だったっていうのがどうしてだか、ね。


「もちろん生活は豊かになったさ。だが人々の心は逆に貧しくなった。それこそ見る影もなく、な」

「……」

「俺が愚かだったのさ。安易な施しは未曽有の災厄になり得る。そう悟った時にはもう手遅れだった」


 そうか。

 だから偽ゲオルギウスが黄金化の術を使ったとき、白ローブたちはあんなに驚いてたのか。


「最初は感謝だったものがやがて要求へと変わり、義務的な善意の配給という矛盾が生じた。だというのに、噂を聞きつけた簒奪者たちとの戦いに気を取られた俺は、黄金郷が理想とは程遠い魔女の窯へと成り下がったことに、最後の最後まで気づけなかった」


 その告白は、まるで罪人の懺悔そのものだった。

 ゲオルギウスを責める権利なんて誰にも無いだろうに、そのくせ誰よりも自分自身が許せないと言うように。


「この疑似空間の村はな、俺が台無しにしてしまう前のそれだ。貧しくともみんなで力を合わせて苦楽を共にしていた頃のな。さっきこの感じが好きだと言ったお前に、村の実情を知ればそうとも言えなえなくなるとは言ったが、あれは嘘だ。たしかに裕福ではなかったが、全員が家族のようないい村だった」


 家族、か。

 ゲオルギウスにとってこの村がどれだけ大切だったか、それ以上の言葉を聞くまでもないことだった。

 俺にとって唯一の家族であるクシャナさんがかけがえの無いように、ゲオルギウスにとってもここがそれくらい大事だったってことは十分感じ取れた。

 そして、だからこそ、こいつがどうしてここまで後悔を残してしまったのかも。


「俺がよけいなことをしなければ、誰もあんな風にならずにすんだのにな……」


 そもそもの間違いがなんだったのか、そんな問いはきっと意味を持たない。

 みんなの役に立ちたいと思ったゲオルギウスの気持ちも、そのために錬金術を必死で学んだことも、それ自体はなにも間違ってなんてなかったはずだ。

 ただ世界はあまりにもいっぱいの歯車が噛み合ってるから、最初に思い描いた通りには回ってくれなかったってことなんだろう。


「レトリケーはな、そうやって狂ってしまったものをどうにか修正しようと悪あがきした成果だ。止せばいいものを、その段になっても俺はまだ『どうやったら都合のいい結果が転がり込んでくるか』、ということに自ら頭を縛り付けていたのさ。そのせいで危うく友人を1人不幸にしかけて、さすがに道を誤ったと痛感した。それが一応の幕引きをした理由だ」


 ブラックアイズ。

 おそらくはゲオルギウス版レトリケーの使い手だった男。

 あの飄々としたにやけ面からは、どうやっても正義感や誠実さとかは感じない。

 でも、たぶん今でもゲオルギウスのことを思って行動してるのだけはたしかだ。


「あー、そいつなら、きっとお前を恨んではないと思うよ」


 俺がそう言うと、ゲオルギウスは可笑しそうに少しだけ口元を緩めた。


「だろうな。あいつはバカだから損得勘定が出来ないんだよ。こっちが付き合わされる時は敵わんが、向こうを付き合わさせるぶんには適任だ」


 どういう友人関係だよ。

 今の口ぶりだと、昔、実際に色々あったっぽいな。


「お前ら、実はお互いにともだち失格だろ」


 だって俺に言わせれば損得勘定が出来ないのはゲオルギウスもいっしょだし。


「ああ。それはたしかにそうかもな」


 あっさり言い切ってくれちゃった。

 まったくもって遠慮の無い関係だことで。


「だがそれでも俺はあいつを信頼していたし、あいつも俺に遠慮なんかしなかった。いや、俺たちだけじゃない。本当ならこの村の全員がそういう関係だった」


 畑にも村にも、その人たちがまるで本物のように、そこに居る。


「あそこで畑を掘り起こしている体格のいい男はデミトリオだ。見ての通り、畑仕事でも山仕事でも頼りになるが、嫁のヘレナには尻に敷かれて頭があがらん。しかもなぜか喧嘩するたび別々に俺のところに相談にくるものだから、毎度板挟みにされて取り持つのに苦労した」


 言われてゲオルギウスの視線を追うと、言葉の通り、畑を耕すその寡黙そうな大男に行き当たった。

 たしかにちょっと威圧感ある感じだけど、そっか奥さんには弱いのか。


「それからあっちの小さい双子はニコとイオだ」


 次にゲオルギウスが目をやったのは、別の畑で芋を集めながら大はしゃぎする子供の2人組だった。


「以前、兄のニコに虹を作る錬金術を教えてやったら妹のイオがズルいズルいと騒ぎだしてな。次は自分にイケメンの彼氏を作る錬金術を教えろと迫られてずいぶんと難儀したさ。そんなもの法術のたぐいで手に入れてどうすると説いてもまだ聞き分けるような歳でもないし、いや、そもそも彼氏を欲しがるような歳でもないはずなんだが、苦し紛れに、虹を出したのは実は錬金術ではなく空に水を撒けば誰でも再現できるただの自然現象なんだ、とバラしたらこんどはニコからもひんしゅくを買う始末だ。そのせいで、結局、俺は子供相手に錬金術の師匠のまねごとをするはめになってしまった」


 理不尽だな、子供たちは。

 でもまさか後々白ローブのメンバーになったりしてないよな。

 それらしいのは居なかったけど……。


「あと、そっちで山羊に囲まれて身動き取れなくなっているのはソロン爺さんだ。爺さんは村一番の嘘つきで、よく子供たち相手に、森の奥で妖精にさらわれそうになっただの、沼で魔物に足をつかまれただの言って脅かしていたな。だが今にして思えば、あれは爺さんなりの教育だったのかもしれん。かなり懇意的な解釈だがな」


 いや、普通にただの嘘つき爺さんだろ。

 なんでもかんでも思い出を美化するのはよくない。


「それで、お前の友達失格な相棒は?」


 ブラックアイズ。

 あいつからは農村出身っぽいところは感じなかったけど、ここでいったいどういう生活をしてたんだ?


「あいつはこの村の生まれじゃなくてな。親代わりの魔女といっしょに他所の土地から流れてきた流浪人だ。ずいぶんと多芸で、最初は薬師か吟遊詩人か計りかねていたが、ふたを開けてみれば専門分野違いの同類だったからな。俺にとっても村にとっても重宝しがいのある師弟だったな」


 あ、やっぱそういうポジションなんだ。

 あの顔に農作業は絶対似合わないと思ってたよ。


「そっか。お前らはそうやって魔術を磨きあった仲ってわけか」

「結果的には、な。どちらかと言うと、俺たちはもう1人に振り回されつつ苦労を共にした相方だな」

「もう1人?」

「ああ。馬車馬が居て、俺たちはその荷台の両輪だ」


 どういう相棒だよと俺が思ったとき、ふとゲオルギウスの表情の色が濃くなった。

 それは懐かしんでいるのかそれとも悲しんでいるのか、どちらなのか判断がつかない。

 でも表情が変化したわけは、たぶん道の向こうから歩いてきた1人の少女だろう。

 いかにも田舎娘っぽい服装に、取り立てて特徴は無いけどミス我が村クラスの整った顔立ち。

 そしてなにより生命力に満ち溢れた目の輝きは、思わず見とれてしまいそうな魅力がる。

 そのすれ違いざま――


「馬鹿正直に真っすぐにしか進まないけん引役のせいでとんだ苦労を背負い込むことになったが、そこはもう、俺たちの負けなんだろうな」


 俺ではなく、ゲオルギウスはたしかにその少女に向かってその言葉を言った。

 それはたぶん、言うべきときに言えなかった言葉の代わりなんだろう。

 だというのに、少女はゲオルギウスを気に留めることなく通り過ぎて行く。

 届くはずがない。

 ここはディアレクティケー内部の疑似空間。

 希代の夢想家の意志を保存するために、その記憶を再現した紙芝居の世界。

 ここに居るゲオルギウスがその残り香でしかないように、あの少女もゲオルギウスの記憶の中の、在りし日の姿でしかないんだから。


「なぁ、もう一回声をかけてみるとか、せめて顔だけでももうちょっと見とかないでいいの?」

 

 それでも俺はそう聞かずにはいられなかった。

 だってゲオルギウスは、今まさに夢の終わりの直前に居るはずだから。


「俺なら大丈夫だ。今はお前の帰りを待っている者たちのために先に進むぞ」


 この男は強い。

 たったひとことの返事でそう確信した。

 この局面にまで行きついて、なおこの意志のぶれの無さは本物だ。

 例えば俺がクシャナさんとさよならしないといけないなんてことになったら、最後の最後のそのあとまで泣きわめく自信がある。

 もし本人がすでに遠いところに行っちゃって手元にデフォルメフィギュアしか残ってなかったら、それを握りしめて絶対離したりしない。

 でもゲオルギウスは、表面的には毅然としてる。

 そういうところが俺たちの、凡人と偉人の違いなのかもしれない。

 ゲオルギウスにだって未練も後悔もあるはずなのに、そのすべてを振り切って、この男は自ら計画した結末へと向かって歩いていく。


「見えてきたぞ。あそこが目的地だ」


 村のはずれをしばらく進んだ先にそれはあった。


「目的地って、なにあれ?」


 前方に見えてきたのは小高い山と、そのふもとの山肌にくっつくようにして造られた粗末な家だ。

 と言うか、洞窟に板をはめて出入り口の玄関扉を付けただけな感じ……。


「あれは俺の師、老ゲオルギウスの岩屋だ」

「へぇ、そうなんだって、ええ!?」


 俺は前方の岩屋と目の前の男の顔を順番に何度も見直して頭の中を整理する。


「待て待て。いまさらそんな重要情報をサプライズするな。ここまでさんざんお前の身の上話を聞かされたのに、いまさらゲオルギウスとは別人ってどういうことだよ。ちょっと感動して、『この男は強い』とか思っちゃったぞ、俺!?」


 師匠がゲオルギウスなら、じゃあお前は誰だよって話。

 もちろん最初に名前を確認しなかったのも悪かったけど、だからってこんなフェイント仕掛けてくるとかひどいじゃん。

 勝手に勘違いして別人と喋ってたとかダサすぎだろ。


「別にだましたつもりはないぞ。俺は師匠から錬金術の技といっしょに名前も継いだからな。だから師匠もゲオルギウスだが俺もゲオルギウスだ。知らなかっただろう?」

「くっそ。お前わざと紛らわしいこといいやがったな」


 俺の反応を見てニヤリとしたゲオルギウスの顔を見て確信した。

 こいつは悪い。

 ブラックアイズと友達だっていうのもなんとなく納得だ。


「もうお前とはぜったい仲良くしない。ぜったいだぞ」

「ははは。それでいい。お前の運命を導いたのは、なにも感傷に付き合ってもらうためでもなければ、なれ合いをするためでもない。お前はよけいなことは考えず、自分の成すべきことを成せ。いいな。けっして俺に遠慮なんかして躊躇するんじゃないぞ」

「安心しろよ。今のでそんな気ぜんぜんなくなったから」

「結構だ。それなら早いところ戦闘準備を整えろ」

「え。いきなり?」


 ゲオルギウスの顔はいつの間にかシリアスだ。

 俺はそれをに気づいて慌てて岩屋の方を確認する。

 まさにその時だった。

 岩屋の扉が音も無く開いて、中から幽霊みたいな人影が現れた。

 老人だ。

 茶色いローブみたいな質素な服に身を包んで、生気の無い顔でこっちを見てる。


「あれは誰だ、って聞く方がバカだよな……」


 だってあの岩屋が誰の家かって話をしたばっかりなんだから、当然、中から出てきたのはその持ち主に決まってる。


「あー、わかった。そっか。おーけー、おーけー。つまり、あの人が俺たちの敵ってことね」


 なんて言うか、ちょっとやるせない感じ。

 ただ単におじいちゃんってだけじゃなくて、ゲオルギウスの師匠だもんな。

 それと戦うってのはあんまりいい気分じゃない。


「馬鹿言え。ここはディアレクティケーの内部だぞ。敵があれだけのはずがないだろう」


 嫌な予感。

 俺はゆっくり後ろを振り返る。

 居てはる。

 村の皆さん、総出で付いて来てらっしゃる。

 なお、農具武装アンド無表情。


「もう一度言うが、すべてはディアレクティケーの見せる幻の姿だ。俺に遠慮は要らんから思いっきりやれ」


 こいつ、それを徹底させるためにさっきわざと憎たらしい態度とったな。

 空の太陽が赤い月に急速に変貌して不気味な影を落とすなか、俺はゲオルギウスのどうしようもない人間性をあらためて理解した。

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