87話「あらがい」
時間が遅く感じる――。
白夜に向かって飛び出した俺は、ねっとりとまとわりつくような時間の中に居た。
今まさに白夜を襲おうとしてる雷撃は、どういうわけか稲妻と言うほどには速くない。
本当ならとっくに着弾してるはずのそれが、今はたしかに目で見て追いかけることが出来てた。
対して、俺は思った以上に速く動けてる。
相対的には絶望的なスピード差のはずなのに、あの雷撃に先回りするように白夜の体に手を掛けつつある。
この状況は不思議だ。
スローモーションな感覚自体は、脳の火事場の馬鹿力的なクロックアップだろう。
でもそれでスピード差を覆せるわけじゃない。
いくらハイパーバリーを使ってるからって言って、稲妻の走る速度は越えられない。
そこにはなにかのカラクリが必要なはずだけど、俺自身にそんなものを使った覚えはない。
となると……。
そうか、遅延魔法。
白夜を襲う射線上、その空中に、盾のように描かれた魔法陣。
いつの間にかブラックアイズが敷設したあれのせいだ。
蒸気雲の向こうから撃たれた雷撃は、まずあの魔法陣に引っかかってスピードを殺された。
それでも十分速いことに変わりはないけど、必死でがんばればギリ間に合う!
「モロちんダイビング、とうッ!」
俺は最後の最後、ラストスパートの部分を跳躍することで短縮した。
いわゆるヘッドスライディング。
白夜に向かって飛びつき抱き着き押し倒す。
俺がクッションになるように一応かばいつつ、2人でもみくちゃになりながら回廊を転がった。
「あっぶね。間に合ってよかった」
俺が白夜を押し退けた次の瞬間、雷撃が遅れて通過していくのが分かった。
通過して、遅延魔法の効果が切れた雷撃は、どこか遠くの方に一瞬で消え去る。
間一髪。
我ながらマジでファインプレー。
あとちょっとでも遅かったら白夜がアウトで残念な結末だった。
いや、人間やれば出来るもんだね。
もちろん俺一人の功績じゃないけど、結果的に白夜が無事でよかった。
この結果には本人も大感謝、だと思ったんだけど――。
「ちょっと! 触ってる、触ってるってば!」
元気なことに変わりないにしても、感謝って言うより抗議って感じだった。
そう言えば右手になにか妙な感触があるっけ。
「気にするなって。助けてやったんだし? お約束的だし? クシャナさんのに比べたらこずかいみたいなもんだろ?」
「ふざっけないでよ! そりゃたしかにクシャーナに比べたら……、だけど、こずかいってなによ、こずかいって!」
そう言って白夜は自分だけ身を起こすと、俺にのしかかるように顔を突き合わせてきた。
「いや、それにごわごわしてて正直あんまり楽しいさわり心地じゃないしさ。ぶっちゃけ逆に損した気分?」
「ブラ!? だったらじかに触りなさいよ! そこまでバカにされたらこっちだって逆に引き下がれないんだから!」
「OH! りありー?」
こいつ無鉄砲なところあるな、とは思ってたけどまさかこれほどとは。
そんなに簡単にさわらせてたらありがたみが無くなるぞ。
若さゆえの過ちか?
「楽しそうなところ悪いけれど、生憎、敵はまだ生きているよ。出来れば今は戦いに集中してくれるかい?」
「分かってるって!」
「分かってるってば!」
集中しろとかブラックアイズには言われたくないけどね。
いや、ブラックアイズにまで言われるのがダメなのか、俺。
どっちにしろ正論だし、このまま白夜と寝っ転がってるのは危険だ。
俺たちはお互い我先に立ち上がって戦闘態勢を取り直す。
「でもどうするんだよ。さっきみたいなのを一斉に撃ってこられたらまずくないか?」
「だろうね。それでなくとも数が多い敵が相手だと長期戦は不利だよ。このまま長引けばどちらにしろ押し切られる可能性が大きい」
「簡単に言うなって。ここまで来てそんなことになったら意味ないだろ。お前らなんか色々知ってるみたいだし、あいつらの弱点とか無いのか?」
「それは君の知っての通りだよ。彼らにはこれと言った弱みが無いからね。正攻法で打ち勝つしかないのが辛いところだよ」
やっぱりか。
クシャナさんだって特別苦手なものってないからね。
同族なら物理にも魔法にもかなりの耐性があるはずだ。
あと強いて言えば、クシャナさんほど知的じゃないってことが救いかな。
あれでもっと計算高いとかだったらとっくに負けてる。
まぁ、そろそろ俺たちの方が限界っぽいけど。
「もうかなり囲まれてきたわ。無理にでも囲いを抜けないとほんとにまずいわ」
「なら強行突破するか。このままじり貧になるくらいだったら、イチかバチかやってみるだけやってみた方がマシだろ」
「仕方ないね。最果てまでもう少しだし、どうせなら死神と競争してみるのも面白いかもね」
それってつまり追いつかれたらジ・エンドって意味だろ。
「面白くねーよ」
「ほんっと笑えないわね」
「むしろ最悪だと思うな、ボク」
「え、え、えっと、その、お兄さんといっしょなら地獄でも天国です」
「俺ぁむしろもうすでに生きた心地がしねぇよ」
それぞれがそれぞれに不満を口にしつつ(一部除く)、それでもその顔には諦めの色は浮かんでない。
「愛理。うららとラーズを頼むからな。お前はとにかく逃げてくれ」
「分かってるってば。修司こそ白夜ちゃんを危ない目にあわさないように、しっかり囮の役目を果たさないとだめだからね」
「いや、それはそうなんだけど、なんか俺の扱いひどくない?」
「いいから、いいから。それじゃ後ろは任せたよ」
愛理は俺の心配なんかするそぶりもなくコインを投げて錬成を開始した。
今度はなにを出すのかと思ったら、なんとも絵に描いたような魔法の絨毯。
赤くてヒラヒラ宙に浮くそれは、箒と並んで魔法使いの二大飛行ユニットだ。
それに愛理が乗っかるのに続いてうららとラーズが後に続く。
どことなく不安そうだけどあとは愛理しだいってわけだ。
ともかくそれで準備は完了。
あとは出たとこ勝負の逃避行。
「ジュリエッタ。行くよ」
ブラックアイズのいつもより心なし強めな声を合図に、俺たちは前方への突破を開始した。