82話「道ばたに華やぐ(後)」
愛理が呪文を唱えると同時に床に浮かび上がる魔法陣。
その中で、ばらまかれた小銭が形を失う。
まるで溶け出した氷が水を張るように、魔法陣は一面を水銀の膜で覆われた。
銀の水面。
そこにたたずむ愛理と、水面下から浮上してくる一つの物体。
錬金術師、天能寺愛理に錬成された1つの魔導具。
「っぽいって言えばぽいけど、お前にしたら常識的だな」
愛理が生み出したのは1本の箒。
なぜか昔から魔女、女の術士には定番のアイテムだし、これを出してきたのも分からなくもない。
「修司に思いやりがあればわざわざ魔力を使わなくて済んだのに。いざっていう時のために出来るだけ温存しときたかったのになー」
「鬼か、お前は。その場合、俺の体力がトレードオフじゃねーか。そんな鬼畜な等価交換に応じられるか」
その『いざという時』に愛理だけ元気で俺がヘロヘロでどうするんだよ。
どう考えても俺が見捨てられるパターンじゃねーか。
「さて、と。これでよしかな」
魔法陣が消え去ると、愛理は箒を縦にしたまま柄を掴む。
それから地面を掃くワサワサの方に足を掛ける。
するとちょうど踏み台を作るようにワサワサがカールする。
で、立ち乗りのまま浮く。
「あ。それってそういう乗り方なのな?」
こいつはほんと、とことんひねくれてるな。
箒って言ったら横にして跨って乗るのが定番だろ。
って言うか、それ以外のライディングスタイルを俺は見たことが無い。
「女の子の体はデリケートだから跨ぐと痛いんだよね。知ってた?」
「知らないって。って言うか、それ以前に俺は普段からそんなこと考えてるようなキャラじゃないっての」
「どうだかねー。そんなことよりうららちゃんもおいでよ。いっしょに乗ろ?」
自分で振っといて『そんなこと』かよ。
箒で宙に浮いた愛理は俺をほったらかしにてうららを手招で呼び寄せた。
「わぁ。遊園地みたいで楽しいです、これ」
愛理の手ほどきで箒に相乗りしたうららは、ちょっとおっかなびっくりだけど、乗り心地は悪くなさそうだ。
年少組2人を乗せた箒は、進行方向に傾きながら、空中を滑るように周囲を移動して見せる。
なんだろ。
ちょっとうらやましくなってきた。
純粋に乗り物として楽しそう。
これは仲間に混ぜてもらわない手は無いぞ。
「おーい。ついでだから俺も乗せてくれよ」
俺は箒が近づいて来たタイミングで柄に手を伸ばした。
ところが、その手をすり抜けるように箒の柄が素早く動いたかと思うと鋭い一撃。
手に掴むどころか、俺は箒の柄できれいな剣道の面を打たれた。
「いてぇな! なにすんだよ、愛理!」
思わずおでこを押さえて抗議する。
まさかそんな攻撃してくるとは思わなかったから油断してた。
この地味に痛いのがむかつく。
「ええー、なんでボクのせいにするのさ。犯人はほかに居るかもしれないじゃない?」
「しらばっくれんな。お前に決まってるだろ。ほかに誰が居るんだよ?」
「可能性としてはいっしょに乗ってるうららちゃんだって容疑者の1人だよ。修司がボクだけ疑うなんて、ショックだなー」
「普段の行いを考えろ、普段の行いを。お前と違ってうららが俺にそんなことするわけないだろ」
「そうかもしれないけど、この箒は思考伝達型のコントロールだらね。修司がいきなり手を伸ばしたから、びっくりしたうららちゃんの心理的動揺が箒の挙動に現れたかもしれないんだよ」
「ええ!? そうだったんですか?」
愛理に名指しされたうららが盛大に焦る。
そんなに慌ててると箒から落ちるぞ?
「修司が近くに来たとき、うららちゃんがなにも思わなかったなら大丈夫だよ」
「なにもって、べべ、別にいやとか思ってないですよ? 手が触りそうだったから、ちょっとドキドキしちゃっただけで……」
「あーはん。つまり修司を意識しちゃったんだ? そのうえでドキドキな葛藤が心の中でうず巻いてたとなると……」
そこで愛理はにやりとして俺を見た。
「今のは無かったことにしてあげなよ。女の子の心は複雑だからね。嫌いじゃなくても『ダメ!』ってなっちゃう瞬間くらい誰にでもあるからさ」
それはいいけどうららの顔が真っ赤だぞ。
愛理こそあんまり変なこと言わないでやった方がいいんじゃないか?
「えっと、それで、俺はいっしょに乗っても大丈夫なのか?」
嫌われてないにせよ、ダメならダメでこの面白そうな乗り物に俺は乗れない。
「いえ、むしろぜひお願いします!」
「え? あ、ああ」
遠慮した方がいいのかと思ったら、むしろ断れないくらいの勢いで返された。
うららってたまに圧力すごいよね。
「じゃあちょっとお邪魔させてもらおうかな」
「は、はい。狭いところですが、どうぞ」
そんな言い方されると、うららの家に上がり込むみたいでこっちが緊張するわ。
でもまぁ、さっきの二の舞にならないように注意して、っと。
俺はうららを動揺させないように箒の柄にゆっくりと手を伸ばす。
今度こそ大丈夫。
そう思った瞬間だった。
「痛っ! この箒また、痛っ!」
二度までもどころか三度目まで。
やっぱり突然機敏な動作で俺の頭を狙い撃つ箒。
叩くたびに、『スコーン! スコーン!』っていい音をさせやがる。
しかも箒はさらに続けて俺を叩きに来る。
「あわわ。お兄さん、大丈夫ですかって、え? 私? え?」
俺を叩くたびに大きく揺れる箒にしがみつきながらうろたえるうらら。
こうならないように気を付けてただろうから、この有り様に半ばパニックだ。
「ぷぷー。修司ってばよっぽどこの箒に乗るべきじゃないんだねー。いっそもう諦めて自分の足で歩いたら?」
これも1つの異常事態に違いないだろうに、愛理の方は心底楽しそうだ。
つーか邪悪。
そうか、こいつ……。
そういうことか。
「違うんです! 決してお兄さんに乗ってほしくないとかそういうことではなくて――」
「いや、そうじゃな、痛っ。だまされるな、うらら。やっぱりこれ愛理が犯人、痛っ」
怪しい怪しいと思ってたけど、あの顔を見て確信した。
うららの動揺が箒に悪影響を与えたなんて全部ウソ。
最初から愛理がわざとやってやがった!
「ああー。修司がボクを悪者に仕立てようとしてるー。ひどいなー。横暴だなー。人権問題だなー」
「うっさい。いいからちょっとそこから降りろ。お前にはやっていいことと悪いことの区別を教えてやる!」
俺は荒ぶる箒の先端を手でキャッチ。
動きを封じてから、もう一方の腕を抵抗する愛理の腰に回して箒から引っぺがしにかかる。
「やだやだー! 修司に襲われる! 助けてー!」
引きずり降ろされた愛理は、それでも元に戻ろうと必死に抵抗する。
押さえつけようとする俺の腕の中で身もだえしながらなんとか箒の柄を掴もうと躍起だ。
もちろん俺はそれを許さない。
後ろから愛理の両腕を捕まえて抱き込むように羽交い絞めにする。
「あははー。分かった、分かったってば。あやまるから許してよー」
ちびっ子がいくら暴れても、完全にホールドしちゃえばこっちのもんだ。
かなわないと分かって、愛理はついに降参を宣言した。
「もう。修司のせいで余計な時間使っちゃったよ。ほんとにいつまでたっても子供なんだから」
解放してやると、愛理は服や髪の乱れを直しながらそう言った。
なんだよ。
結局俺が悪者じゃねーか。
しかも妙に満足そうだし。
「お兄さんって、愛理さんともすごく仲がいいんですね……」
他人からすればそう見えるのか。
見えるんだろうな。
「まぁ、腐れ縁だし、お互い遠慮が無いだけかもだな」
長い付き合いの中で、我ながら愛理の扱いにずいぶん慣れちゃった気がする。
こいつは、たまにこうやってじゃれてやらないと機嫌が悪くなる猫みたいなやつだ。
そういう性格はだてに猫目をしてないってとこか。
「とにかく先に進もうぜ。愛理のせいで余計な時間使っちゃったからな」
結局俺は愛理の箒に乗ることは諦めて、白夜たちといっしょに歩いて先に進むことにした。