71話「黄泉帰る理想」
「……精霊? あれがゲオルギウス?」
そいつの姿を凝視した白夜が戸惑いの声を上げた。
そりゃ無理もないよ。
あんなのが急に出て来たら誰だってびっくりするし、実際、俺だってびっくりしてる。
だって見るからに人間じゃないし、白夜の言う通りたぶん精霊のたぐいには間違いないんだから。
そいつはなんて言うか、妙に気品のある金髪の男だった。
ただし、体は半分透き通ってて、歩き方もどこか宙をすべるような、地に足がついてない感じ。
さらに言うと、実はこれがけっこうな美男子。
長い金髪のゴージャス感もあって貴族とか王族的な風格がある。
そんなだから、霊体にしてもただの幽霊って言うには違和感バリバリ。
初見でただ者じゃないって分からせる雰囲気を纏ってる。
もっとも確実に善人じゃないのも残念ながらの確定事項だけどね。
だって目、赤いし。
いや、もう間違い無しでしょ。
無言でゆっくり近づいてくる目の赤い霊体なんて、正体が幽霊だろうと精霊だろうと神様だろうと同じ。
カテゴリーは一括りで『災厄』だ。
しかもこの場合、お祓いしたくても相手が神社から出て来ただけに耐性持ってそうでヤな感じだ。
まぁ、ぶっちゃけ詳しいことは俺には判断出来ないんだけど……。
「なぁ、愛理。どうなんだよ。あれってほんとにゲオルギウスか?」
その言葉といっしょに、俺は視線を愛理に投げてみた。
だけど、当の愛理は件の精霊を見据えたままこっちをチラリともしなかった。
「どうだか、ね。いきなり出て来たのを一目で見抜けって言われても困るよ。ゲオルギウスは肖像画だって一枚も残ってないんだし、容姿に関しては手がかり無しだよ……」
「そう言えば俺もそんなの見たことなかったな」
って言うか、ゲオルギウス関連の遺物なんて全部愛理に任せっきりだったからな。
そこになにが書いてあったとか、あるいは描いてあったとか、愛理が知らないことを俺が知ってるはずがない。
だって俺はあくまでもレトリックの使い手、ほんとただそれだけだから。
レトリックを含めて、ゲオルギウス本人とその錬金術を研究してるのは99%くらい愛理の仕事だ。
だからこそ、こういうときは愛理だけが頼みの綱になってくる。
まさかゲオルギウスの本人確認をしなきゃいけない日が来るとは思ってなかったからさ、本気で俺には手の出しようが無い話だ。
まったく世の中なにが起こるか分からないね。
「とは言え、見た目のことはさておき、だよ。あれを本物のゲオルギウスって認めるには、色々説明をつけなきゃいけないことがあるよね」
「説明?」
「そりゃ当然要るでしょ。だって彼がこんなところに存在してるはずがない前提が、二重、三重にもあるんだからさ」
「それって、ゲオルギウスはこの世界にとっては異世界人で、おまけにとっくの昔に死んでるってはずだって話か?」
「そうだよ。ついでに言えば、ゲオルギウスは純粋な人間だったはずで、精霊の血なんて一滴も混ざってなかったはずだよ。それなのに、見てよあの人。少なめに見積もっても7割方は精霊寄りだよ。霊圧だって並大抵じゃないし、単に悪霊になって化けて出ただけなんてオチもあり得ないんだよね」
そっか。
愛理からみてもあれはやっぱりヤバめのやつか。
まぁ、さっきからクシャナさんが後ろから俺を抱きしめてきてる時点で、いまさらあえて確認することでもないけど。
「愛理、どうしますか? 先制攻撃をするなら間合いはできるだけ遠いうちがいいのですが」
「んんー、どうしよっかな。あれの正体が分からないと手を出していいのか悪いのか判断つかないんだけどなー」
なんて作戦会議を俺たちがしてる間にも、ゲオルギウス(仮)は、高床式みたいになった神社の本殿から木の階段をゆっくり降りて来る。
出来れば止まってほしい。
止まって、愛理に考える時間を与えてほしい。
でもダメなんだろうな。
止まる気配なんてまるでない。
そりゃそうだ。
向こうにはこっちの事情なんて関係ないんだから。
でもそうなると愛理が、な。
こいつって追いつめられると変に割り切りがよくなるから怖いんだよね。
なんてこと俺が思ってると、
「ま、いっか。クシャナちゃん、主砲はっしゃー」
ほら!
言ったそばからこれだよ!
愛理のやつ、なんの躊躇も無く引き金を引いてくれちゃったよ!
しかもクシャナさんもクシャナさんで容赦が無いもんだから大変だ。
即座に攻撃態勢に入って攻撃魔法を展開。
ざわつく大気に揺れるクシャナさんの長い髪。
そして空中に出現した不気味な光球。
雷を発生する太陽を中心に閉じ込めたガラス玉みたいなそれは、 いつだったか神竜の心臓を打ち抜いたこともあるまさに主砲クラスの一発。
初手から殺しにいくところがさすがクシャナさんだ。
「おい、待て! ありゃクラルヴァインだ。勘違いすんな!」
マジで!?
発射の寸前にラーズが言った意外な一言。
ゲオルギウスじゃなくて、クラルヴァイン!?
「クシャナちゃん、一応手加減!」
その指示が一応間に合ったのか間に合わなかったのか。
そもそも攻撃力的に微妙な手加減が難しいクシャナさんは、とっさに射線を斜め上にずらした。
でも残念ながらクシャナさんの攻撃力は高すぎた。
外れたはずの攻撃が、クラルヴァインに致命的なダメージを与える。
「わっ。ざんこくー」
残酷って言うか、クシャナさん的には直撃を避けたつもりだったはずだと思うんだけどね。
クラルヴァインの頭上を通過したクシャナさんの一撃は、その余波だけで相手の上半身をもっていった。
直撃なら跡形も残らなかっただろうし、そっちほ方がヴィジュアル的にはきれいだったと思うんだけどね。
中途半端に半分残っちゃったからむしろ逆に悲壮感?
なんかその、ごめん。
「おいおい。マジでやっちまいやがって、どうすんだよこれ?」
地面に立ったまま残されたクラルヴァインの下半身を見て、ラーズは若干青ざめてそう言った。
背景的にも神社が半壊してるけど、気にしてるのはそれじゃないのは確実だ。
「ねぇ。あれ、ほんとにクラルヴァイン?」
「お前ら、相手の顔も知らねぇでケンカしてやがったのか?」
「いや、なんて言うか、まさか精霊だとは思わなくて……」
「はん。基本情報も頭に叩き込まずに、それでよく代官を相手取ったもんだぜ。クラルヴァインと言やぁ日本でも有数の、由緒あるイキガミの家計だぜ。つまりゃ精霊っつうか地霊っつうか、半分は土地神みてぇなもんだ。いくら帰還者でも、それっくらいのことは事前にしっとけっつんだよ」
そのへんはあれじゃない?
ちゃんと念を押して教えといてくれなかったアルトレイアのミスじゃない?
「で、でもよかったんでしょうか? その、最初からいきなりこんなことして……」
「ほんとよね。当たってもない攻撃で精霊が一撃であんなになるなんて……。情けも容赦も無いってこのことよね」
「いや、でもほかのやつらは生きてるし、割と手加減成功したっぽいって」
「手加減って言うか、クシャーナが攻撃態勢に入った瞬間には、白いのはもう逃げ出してたじゃない。しかもそれですら逃げきれてないし、死ななかったのはただの運ね」
それでも、だ。
クラルヴァインはああなっちゃったけど、白ローブたちは吹き飛ばされて気絶したりで行動不能になっただけ。
とりあえず敵の頭だけを潰した格好だし、必要最小限の武力行使で済んだってことにはならないか?
「ぐ……」
と、そんな状況でも白ローブのリーダー格だけは立ち上がろうとしてる。
致命傷はなさそうだけど、無傷って言うにも程遠い。
「いや、もう止めた方がよくない? これ以上クシャナさんとやりあっても勝ち目ゼロだよ?」
味方が全員やられた以上、白ローブのリーダー格は、事実上、行動可能な最後の1人だ。
それが分かってるのか分かろうとしてるのか、足を引きずりながらクラルヴァインの体の残りのところまで戻ってきたリーダーは、その亡骸に暗い視線を落とした。
「なにを企んでたのかよく分かんないけど、協力者のクラルヴァインもそんなになっちゃったんだしさ。もう諦めなよ」
と言うかこれで諦めてほしい。
じゃないとクシャナさんは相手が最後の1人でもためらい無くとどめを刺す。
「……勘違いを、するな。ここに御座すは我らが頭目にして偉大なる師、紛うことなき、かの『黄金のゲオルギウス』。奉行職の如きしがらみに縛られた哀れな精霊の姿を借りてはおるが、まだ見ぬ偉業の成就のため、ここに再臨願ったのだ」
「なにそれ。姿を借りた……?」
「憑代……、ってことじゃない? ゲオルギウスっていうのが死んだはずの人間なら、生き返らせるためにはそういうのも有効でしょ?」
「たしかにいかにもありそうな話ですけど、精霊のクラルヴァインさんに対してそんなことできるんでしょうか?」
どうなんだろうな。
精霊ってのは魔法だとか術式だとかへの耐性が高いのが基本だし。
普通に考えたら難しそうだ。
「どうかなー。案外、精霊だからこそ選ばれたのかもね」
「わざわざ精霊なんて憑代に選ぶ理由なんてあるのか?」
「単にポテンシャルの問題だよ。ゲオルギウスは希代の天才錬金術師だったんだから、その辺のてきとーな人じゃ代用にはならないでしょ。それに憑代が土地神なら術式に使う魔力の供給には困らないだろうしね」
なるほど。
耐性を持ってる分厄介だけど、精霊を憑代にするのにはそれなりにメリットがあるわけか。
「でもそれも無駄に終わったな。せっかく生き返らせてもいきなりやられちゃったんじゃ意味無いし」
「んんー。ちょっと残念だなー。どうせなら少し話しをしてみたかったよ、ボク」
ゲオルギウスはレトリックの元ネタの作者だからな。
残念と言えば残念か。
「案ずるな。これしきのことで我らの悲願が潰えるものか。クラルヴァインを選んだのも、このようなことも想定してのことよ」
「え?」
俺は一瞬自分の目を疑った。
上半身を吹き飛ばされた元クラルヴァインの体の断面から、黒い水銀みたいなのがあふれ出てきたからだ。
それはスライムみたいに蠢いてクラルヴァインの足を飲み込むと、そこからさらに膨張して徐々に人型に近づいていってる。
「まさか、再生……?」
と言うよりは再構成か?
クラルヴァインの体はもともと霊体だったけど、今のあれはどう見ても物体化してきてる。
だんだんと形がはっきりしてきたから言えるけど、どうみてもこれは受肉的ななにかだぞ。
「おお。我が師、我が理想、我が希望よ。世界はついにあなたを取り返した。これでようやくいつかの夢が現実となりましょう」
その昔、弟子の1人だった男は、改めて姿を成した天才錬金術師に向かってそう言った。
感極まったような口ぶりは、それ自体が1つの事実を言い表してる。
「見た目が変わった……? あれが本物のゲオルギウス?」
そこに立ってるのは、さっきまで居た金髪のイケメン青年じゃない。
俺とそう歳の違わない、ぶっきらぼうそうな兄ちゃんだった。
なんだろ。
俺のイメージしてたのとはなんか違うな。
でも白ローブの様子からすれば間違いない。
あれがゲオルギウス本人だってことはほぼ確定なんだよな。
「若い、わね」
「それに術士っぽくないって言うか、ちょっと怖そうな人です」
そう言えばどことなくパンク兄ちゃんっぽいっし、うららの苦手なタイプかも。
でもどうだろ。
生きてた頃のゲオルギウスは割といいやつだったらしいし、さっきまでの禍々しさも今は消え失せてる。
もしかして完全に復活して理性が戻ったのかもしれない。
「再会を待ちわびておりました、師よ。あなたを失ってからというもの、世界はいよいよ陰り、人は誰も彼もうつむいてしまった。愚かでしょう。哀れでしょう。所詮、俗人とは失わなければ分からぬのです。本物の偉大さもありがたみも、その光が消え去ってから気づいたのです、あの子羊たちは。ですが我ら一同、あなたの教えに従い泣き言は謹んでまいりました。少なくとも、理想を共有出来る同志がどこかに存在しているのだと信じればこそ、我らは再起を期してあらゆる術法を学び今日まで生きながらえ、ついにこの瞬間までたどり着いた」
白ローブはゲオルギウスに向かって押し殺したような熱意で語り掛ける。
話し方はゆっくりでも、語気とか視線からどれだけ執念を募らせてたのかが分かっちゃうのが怖い。
よっぽどだよ、この連中。
それだけの事情があるのか、それとも純粋にゲオルギウスに心酔してるのか。
どっちにしろ並大抵の気持ちじゃない。
そんなものを内に抱えてたならこの状況はまさに悲願の時ってやつだろう。
「さぁ、我が師よ。共に参りましょう。そしてあの理想を今こそ――」
突然の、出来事だった。
語り掛けて来る弟子に向かって、ゲオルギウスが不意に手をかざした。
ほんとになんの前振りも無く、ごく自然な動作だった。
だからその動きに誰も危機感を覚えなかったし、なんの反応も起こさなかった。
それは白ローブにしてもそうだったけど、結果としてそれが本人の命取りだった。
「――、な……ぜ?」
自分の体を胸の辺りから末端に向かって黄金色に染めながら、白ローブは最後に一言だけ絞り出した。
そしてそれっきり、驚いた表情のまま、白ローブは一体の金の像みたく動かなくなった。
「マジかよ。即行で仲間割れするの?」
驚く俺たちを前に、ゲオルギウスはまたしても目を赤く光らせた。