11話「指輪売りの少年」
身分証がない。
これは現代日本みたいな管理社会じゃ致命的な問題だ。
身分が証明できなきゃ仕事にもつけないしアパートだって借りられない。そのことにもっと早く気付くべきだったんだろうけど、俺がこの世界で暮らしてたのは10歳までだからな。そのあと転々としたのは身分確認ガバガバな異世界ばっかりだから、俺には身分証の大切さなんてあんまり実感なかった。大抵は他所から来た冒険者を名乗るか、貴金属やら宝石やらで身分を買うかで事足りた。
でもさすがにこの日本じゃむりだろ。いや、俺の知ってる日本とはだいぶ違うけど、それでもやっぱり今の状態の日本でも無理っぽい気がする。網膜スキャンなんてもんまで普及してんだし、その辺の管理は割としっかりしてるだろうからな。
さて、言ってみれば幽霊みたいなこの状況をどうするか。いざとなれば異世界の拠点に戻ればいいとは言ったけど、それにだって制約がある。
俺の世界転移能力は異世界とのゲートを開くのに一定のインターバルが必要だ。ゲートを開くのに必要な間隔はどれだけの規模の転移をしたかで決まってくる。大量の人や荷物と一緒に転移したらそれだけ多くのインターバルが必要だ。
今回はクシャナさんと二人だけで転移してきたから3日もあれば十分だろう。もっと早くいけるかもしれないけど、間隔が短すぎるとゲートが不安定で何が起こるか分からない。だから確実に転移するなら3日必要だ。
あとクシャナさんの持ってる転移能力だけど、これは俺のと違っていつでも使えるけど他人と一緒に転移はできない。俺の転移能力は世界と世界の間にトンネルを作って移動するイメージだけど、クシャナさんの場合は世界の壁を切り裂いて異世界との狭間の空間を自力で移動するらしい。で、その狭間の空間ってのが厄介でクシャナさん以外の物や生物がそこに入ると物理的な意味で形を破壊されちゃう。鉄だろうがオリハルコンだろうが人だろうが竜だろうが関係なしにグチャグチャだ。じゃあどうしてクシャナさんだけは入れるのかって疑問だけど、はっきり言って誰にも答えは分からない。たぶん生まれ持った種族的な特性なんだろうけど、クシャナさん自身孤児だからな。教えてくれる仲間なんて居なかったみたいだし、本人もできるものはできるとしか思ってない。
そんなわけで、クシャナさんだけならすぐに異世界の拠点に戻れるけど俺は3日後まで戻れない。それまでこの世界で食事と寝床を何とかしないとダメってことだ。
これは地味につらいよ。そりゃ死にはしないけどさ、みんなが普通に生活してる横で自分だけ飲まず食わずの野宿3日だぞ。惨めさで心が折れるわ。
それにクシャナさんだって俺を置いて自分だけ拠点に戻ったりはしないだろうから結局つき合わせちゃうことになる。
むしろそっちの方が俺のプライドが許さないな。
「と言うわけでやっぱりお金を稼ごうと思うんだ」
「何が、と言うわけで、なんですか?」
代官山の町を歩きながら言った俺の言葉に、クシャナさんはまるっきり訳が分からないって感じの無表情をした。
「いや、だってさ、金目の物を持ってないってわけじゃないんだよ? それなのに換金もできずに何も食べれないとかおかしいじゃん」
「おかしいかどうかは分かりませんが、たしかに換金できなかったのは残念でしたね。ですがシュウジには他に金銭を得る心当たりがあるんですか?」
「だから物を売って金に換えるんだよ。ただし今度は店じゃなくて個人にね」
「個人と言うと?」
「ほら、見てよあいつ」
俺は歩きながら町の一点に視線を送ってクシャナさんに注目を促した。
そこでは一人の男が通行人にしつこく付きまとって宝石だかお薬だかを売りつけようとしてる。
「ああいう相手なら身分証なんて見せなくていいし、安く売ってやれば向こうだって喜ぶんだし楽勝だよ」
「なるほど行商のたぐいですか。確かにあなたは押しが強いですからああいうのが得意でしたね。ですが押しが強すぎてよくトラブルになっていたじゃありませんか」
「だいじょぶ、だいじょぶ。俺にとってはこの世界は地元なんだから一番上手くやれるって。まぁ、とりあえず見ててよ」
「あ、こら。シュウジ!」
俺はクシャナさんから離れて雑踏に飛び込んで、パッと見のフィーリングでちょろそうなヤツに目星をつけた。
売り込むのは特殊な効果のない普通の指輪だ。値段が手ごろで金に換えやすいから、新しい世界に転移する時はこういうのをいくつかは持って行くことにしてる。
「ねぇ、兄さん。最近彼女と上手くいってる? たまにはサプライズプレゼントとかすると喜ばれるよ。どう、この指輪。シンプルだけどそこがいいでしょ。こういうのをポンって送られたら彼女だって――」
逃げられた。
だけどこういうのは一人や二人の失敗を気にしてちゃいけない。数で勝負だ、数で。要は誰か一人にでも売れりゃいいんだからな。
「おねーさん、おねーさん。ファッションセンスいいね。でもちょっと手元が寂しくない? 今ちょうどおねーさんに似合いそうな――」
俺は町行く人に片っ端から声をかけセールストークを振りまく。さすがにアイテムの町だけあってみんな目が肥えてるのかなかなか引っかかるヤツがいない。
でも俺の感じゃもうすぐだ。もうすぐ獲物がかかりそうな気配がする。
すると案の定背後から声をかけられた。
「そこの指輪売りのお兄ちゃん。景気よさそうだね。ちょっとそれ見せてくれるかな?」
「ああ、いいよ。安くするから気に入ったら――」
商魂たっぷりで俺が振り返ると、そこに居たのはあろうことかライフル銃を背負った二人の兵士だった。
「ああ、君ね。ここで路上販売やるのには目黒区のお代官の許可が要るんだけど知ってるかな? 勝手にやると一応逮捕しないといけないんだけど、君、未成年だよね? どっかのショップのバイトかな?」
ヤバい。こいつら噂の悪代官の手下だ。中目黒駅のリョウスケが立てたフラグがやっぱり発動しやがった。
つか何で俺だけ? 他にも売ってる奴ら居ただろって居なくなってるし。逃げ足はえーな、オイ。
でもどうする。逮捕されるってことは牢屋に入れられるってことだぞ。異世界から帰還した初日でもう逮捕歴付いちゃうのか、俺は。いや、でも牢屋に入ればご飯くらい食べさせてくれるだろうし、とりあえず寝床は確保できるからそれはそれでいいのか、っていいわけねーよ。クシャナさんがめっちゃこっち見てるよ。あれは外敵を排除するタイミングを計ってる時の目だよ。NONO。クシャナさん、NOよ。公衆の面前でスプラッタはNOよ。
「とりあえずこっちきて話し聞かせてくれるかな?」
代官の手下AとBは完全に俺をロックオンしたらしく詰所かどこかに連れて行く気だ。
まずいな。クシャナさんが強硬手段で助けに来る前になんとかしないと。
「あ、あのウチには寝たきりの母親と小さい妹が居て、それで――」
「家族のため、か? そうかそうか、そりゃ立派だな。おじさんにも奥さんと娘が居るから分かるよ。でもそれだったらなおさらちゃんとしたやり方でお金を稼がないとな」
ダメだ。お涙トークが通用しない。異世界だと意外と使えるんだけどな、これ。やっぱこの世界じゃ陳腐過ぎるか。
何か他のネタ、他のネタ。
俺は頭をフル回転させてこの窮地からどうやって脱出するか考える。
賄賂は危ないか。通用しない可能性もあるし、成功しても金銭的に損が出る。
こうなったらいっそ走って逃げるか? 向こうだってこんな人ごみの中で銃なんてそうそう撃てないだろ。
俺はそう方針を決めて走り出すタイミングを計る。
その時だった。
「化け物だ。化け物が出たぞ!」
突然どこかで上がった叫びに俺は行動を中断する。
化け物? まさかクシャナさんのこと言ってんのか? クシャナさんは本当の姿の時が最高にイカしてるのに化け物呼ばわりとか俺が許さんよ?
と思ってクシャナさんの方を見ると違った。クシャナさんはまだ化身を解いてない。
「早く逃げろ。食われるぞ」
おいおい、こえーこと言うなよ。真昼間のショッピング街で人食いモンスター襲来とかアナザー東京過酷すぎるだろ。
ほんとにどうなってんだと思ってその声のした方を振り向くと、確かに人間を食いそうなくらいデカい蛇が居た。ただし普通の形の蛇じゃない。頭が5つもある大蛇だ。俗に言うヒュドラ。こいつは厄介な魔物だ。再生と増殖を繰り返すからな。
そんなのがなんでこんな街中にいきなり出て来てんだよ。マムシじゃねーんだぞ。
「君。もういいから早くここから離れなさい」
代官の手下二人は俺を放逐してヒュドラへと向かって行く。
あらら。何か見逃してくれたけど向こうは大変なことになったな。
俺は立ち去らずにそのまましばらく様子を見ることにした。