橘 美夜
私は、彼女ほど面倒くさがりな人間を見たことがない。
「美夜ー、代わりにトイレ行ってきて」
「漏れるよ」
稀に人間の生命活動すら怠ろうとする。
そんな彼女だが人望は厚いのだ。
「原ー、この間の数学の宿題見せてー。今日当たるんだよねー」
「三回回ってワンって言って逆立ちして先日の俺の真剣な相談を笑ったことを謝るなら見せてやろう」
「ワン」
「お前一番簡単なの選んだだろ?!セレクトじゃねえんだよ!」
「いーよ、他の人に見せてもらうからー。じゃあ……槙くーん!今日のパンツの色教えてあげるから数学の宿題見せてー!」
「それは俺に利益がないことを分かっての交渉か?」
「またまたあ、そんなこと言ってえ。気になるでしょ?あたしのパ・ン・ツ!」
「お前へのパ・ン・チなら大いに興味をそそられるがな」
「もー、つれないなあ!じゃあねえ………あ、そこのクズ。数学の宿題見せなさい」
「何故九尾であるわしにだけ命令形?!それが人にものを頼む態度か?!」
「あんたには頼んでないからね。さあ、早く」
「誰がお前なんかに見せるものかあああ!」
「ちぃっ!あんたなんか、その薄い髪の毛をカラスに摘ままれて禿げて植毛をするか育毛をするか鏡の前に立つ度に悩んでそれで更に禿げてしまえ!」
「途中から微妙にリアル!」
厚、い……?
いや、皆の愛情表情が少々過激なだけなのだ。そうに決まっている。
私はそんな彼女に最近あることを打ち明けた。
それは、私には前世の記憶がある、ということだ。
彼女は信じきった訳ではないが、疑っているという訳でもなく、ただ受け止めてくれたような印象を受けた。
私はそれにほっとした。
もし、彼女が私を気味悪がって離れてしまったらどうしようかと内心怯えていたのだから。
「美夜ー、皆が私をいじめるよー」
「どちらかというと、芽生がいじめていたように見えたのは私の見間違いかな?」
「あんたったら、目まで悪くなったの?」
「他の悪いところって何かな?芽生の回答次第では明日の朝日は拝めないと思ってね」
「すみませんでした」
彼女と話していると真面目に考える自分が馬鹿らしく思えてくる。
綺麗な土下座を見せている彼女に溜め息を吐きながら、「駅前のパフェで手をうってあげる」と言った。
「神様仏様美夜様!あたしはこんな友達想いの親友を持って幸せです!ああ、あたしの親友は何て優しいのでしょう!」
「分かった分かった。それじゃあ持ってくるからちょっと待っ」
「優しい美夜様は、ついでに英文の和訳をも見せてくれることでしょう!」
「Lady It is a fool!(貴女は馬鹿ですね!)」
「ああ、何て言っているか分からないけど、貶されているのは仄かに伝わる!」
本当に、彼女は一体何を考えて生きているのだろう。
…………きっと何も考えてないのだろうな。
再び深い溜め息を吐いた私に、肩を叩いて「み、美夜ちゃん」と呼び掛ける声がした。
後ろを振り向くと、緊張した笑いのような表情をした中山香菜がいた。
「み、美夜ちゃん1人だと、その、大変だろうから、えっと、よかったらなんだけど、私の、和訳を、見せるっていうのは、その」
「マイスウィートエンジェーーール!何てことだ私には二人も救世主がいるなんて!ああ、生きていてよかった……!」
「お、大げさだよ…!あ、あの、持ってくるね!」
「愛してるよー!香菜ちゃーん!」
香菜ちゃんは、クラスメイトの1人で何かと芽生を慕う素振りを見せる珍しい女子だ。
何故珍しいのかというのは、察してほしい。
少し人見知りの気がある彼女は、誰とでも分け隔てなく接する芽生に助けられているのかもしれない。
かくいう私も、本当は芽生には感謝しているのだ。
彼女は、前世の記憶が戻って不安定になっている私の近くで、一等気にかけてくれていたのだから。
自分の信じていた者全てに裏切られ、断罪されたあの記憶に、私は人を信じられなくなっていた。
彼女と出会った最初の言葉は今でも思い出せる。
『そんなに警戒しなくても、あんたのお菓子はとらないよ』
そう、その時と同じように脱力するくらいには。
出会った時から彼女は彼女だった。
「橘さーん、さっきの授業のノートちょこーっと見せてくれない?ね?チョコあげるから!なんちて!」「橘さんって、美夜っていうんだー。可愛い名前だねー、あたしの次くらいに!」「美夜ー、あたしの代わりに息して」………うん、芽生は変わらない。少しは変わっていいと思う。特に最後。
何だかんだ彼女に脱力していたら人間不振もどこかに行っていた。
そんな訳で彼女には感謝しているのだ。………していいよね?
だから、面倒くさがりな彼女には、今度は私が恩を返さなくてはいけないのだ。
目の前で必死に手を動かす彼女を見て、溜め息を吐く。
「ん?あんた、何で笑ってんの?」
「ううん、何でもない」
仕方がないから、これからも友達でいてあげるよ。
恥ずかしいから、そんなこと彼女には言わないけれど。