来訪者の不満
「ここか……」
俺は水筒の水を一口飲み、山合いに残された古城を見上げた。
城は夕日を背にし、鳥たちはそこを今日の宿と集まってきている。蔦とコケに覆われ、吸血鬼が潜んでいそうな城だ。
ヤトエクツルエルの話では、ここに召喚勇者が現れることになっている。
フレデフォート伯爵からの依頼で、俺は信託で得られた勇者の情報を探しているが、実は既にすべてを知っているのだ。
東方の三博士は神の子の生まれる場所を流れ星で知ったというが、それより正確に……そして先に知っている。
まあこれも一種のインチキだな。
本来知っているはずのない情報を持っている。
そう言った種類のインチキだ。
「エクス ルクス エト デイズ」
俺は簡単な魔法語を唱え溜まりまくっているTポイントを使い、頭上に光球を作り出した。
実のところ、俺は魔法があまり得意ではない。
あまりに多くの世界で転生を繰り返すため、その都度いろいろな魔法形態に晒されてきた弊害だ。
簡単な魔法や緊急性のない魔法なら問題ないが、複雑な構成だったり咄嗟の判断で行う魔法はどうしても昔の癖が出てしまう。
便利な道具に慣れたころ、使用方法の違う新しい道具が出てきて乗り換えばかりしている。そう言えばわかるだろうか?
魔法の理論や形態が同じならば、そんな面倒もないのだが……。
お陰でTポイントが貯まり続ける有様だ。
俺は光球を伴い、古城の門を潜った。
安眠を妨害されるのを嫌がったのか、それとも俺を恐れたのか鳥たちが羽ばたいて一斉に逃げていく。
そうして開けた石畳の道を奥へと進む。
「こりゃ……本当に吸血鬼でもいそうだな」
窓が小さく数が少ない。朽ちた内装がぶら下がり、古城というより廃城だ。
俺は奥に進んで、いるであろう召喚勇者を探した。
いくつかの部屋を覗き込んでみたが、この城は廃墟という他ない。
だが一つだけ立派な扉で閉ざされた部屋があった。
俺はここであろうと、扉を押し開ける。
果たして、奥まったその部屋には天蓋付きのベッドが置かれていた。
先ほど持ち込まれたような代物だ。明らかに不自然である。
そのベッドには、十代半ばの女性が静かに眠っていた。
意志の強そうな眉と、それを強調するようにおでこを晒した髪型。
こんな廃城で一人寝ているのに、どこか笑みを浮かべている。
日本人にしては少し目鼻立ちがくっきりしている少女だ。パーツの組み合わせは個性的だが、十分に美形のうちに入るだろう。
「こいつがそうか?」
古城に住み着いた変人。ということも万が一ある。
そんなことは、まずないだろうが……。
「……。おい。よく寝てるところ悪いが起きてくれ、おい」
起きるまで待とうかと思ったが、思い切って彼女を肩を揺さぶった。
眠りが浅かったのか、彼女はパッチリと目を開けて周囲を見回す。
そして俺をじっと見つめ、小さな口を開いて彼女は言った。
「あ、もう異世界なの? ここ」
彼女の表情に驚きはあるが戸惑いはない。
「話が早いな。天界で説明を受けたのか」
少女は俺の目を見てしっかりとうなづいた。事情も全て天界で聞かされているのだろう。
異世界へ召喚。というより、異世界に転移させられたのだろう。
少女はゆっくりと上体を起こし、恐る恐る肘や肩を動かして身体を確認している。
「良かった。怪我もない……。ああ、痛かったなぁ……」
胸のあたりを押さえ、少女はホッとした様子で言った。
ぼんやりと見覚えのある女子の学生服。たしかブレザーとかいうものだ。
なんとも利発そうな娘である。
起きて先ず自分の身体を確認する彼女に、俺は一種の才能を感じた。
見知らぬ地で目を覚ました時、たいていの者は周囲を確認したり跳ね起きてあたりを調べてしまうものだ。
だがなによりまず自分の身体に異常がないかを、彼女はまず調べた。
落ち着いているのは事情を知っているからだろうが、根はかなり慎重な子なのだろう。
「その様子だと、死にかけたところで天界に呼び出されて、転移させられた……ってところか」
「はい、そうです……。死ぬ代わりに異世界へ転移して魔王と戦えとか……。うーん。確か、私はトラックに跳ねられて……」
「テンプレかよ」
ありきたりな転移状況に俺は突っ込んだ。
「……そのままひき逃げされて、私は死に損なって半身不随で一年くらい入院。たったひとりの兄が看病してくれてたんだけど、もう看病疲れでボロボロだし、不況も直撃で生活も苦しくなって……。でも兄が一緒に死んでくれるって言うから、二人で心中したんだけど私だけ死にきれなくてついに全身麻痺。そうしたら兄のストーカーが『あんたのせいでカレが……』と恨まれて動けないところをメッタ刺しに……。そうしたら気がついたら私は神様の前にいたんです」
「突っ込めねーよっ! 重っ! つらっ! 洒落になんねーっ!」
頼むから、もうちょっと気楽で軽快な異世界転移してくれよ!
淡々と言っているせいで、見ようによっては冗談にも聞こえる。だが語る彼女のその目には光がない。
3000回も転生を繰り返してると、嘘を見抜ける特技くらい身につけてる。彼女の目はガチの目だ。もしも演技だとしたら大したものだ。
「あ、ああ。あなたがヨーヘイさんですね。はじめまして」
ドン引きしている俺の顔を見上げ、笑顔を取り戻した少女が挨拶をした。
「……そうだ。この世界ではヨルヘルだがな」
俺は少し戸惑いを残したまま頷いた。
あのダ女神は俺の名を、最初の名前で呼ぶ。
―ーいや、違うか。
転生を繰り返す前の記憶にない人生があったとしたら、ヨーヘイはという名前は最初の名前ではない。
俺の洋平という名は、転生を繰り返す中で記憶にあるもっとも古い名前だ。
「そうなんですか? 女神さんになるべくヨーヘイさんと呼んで上げてくれと言われたのですが」
「そうなのか?」
「ええ。ヨーヘイさんが『最初の名前』を忘れないようにって」
「っ!」
思わず胸が熱くなる。
理解する前に目頭が熱くなる。
3000回も転生していれば、最初のころの名前など覚えてない。いや、数回前の名前すら怪しい。
その中でも記憶で一番古い名前。
それを忘れないように、あのダ女神は……女神は気を使っててくれたのかーー。
「でも苗字は女神さんも忘れたそうですが」
「オゥ! そぉんなことだろうと思ったよッ!」
脅威の吸引力で涙が引っ込んだ。
「と、ところでこの世界の事は知っているか?」
俺は目を隠すように頭を掻いて訊ねた。
「はい。Jato EX Turielさんから、だいたい聞きました」
「え? い、いあぁとえ……。だ、誰?」
「Jato EX Turielさんですよー。女神さんです。ヨーヘイちゃんによろしくって言ってました」
「え? あ、ああ……。ヤトエクツルエルの事か」
長年の付き合いだが、本当はそういう発音なのだろう。
「ノンノン。Jato EX Turielさんですよー。イァート エク トゥルエル。アンダスタン?」
「ウゼェッ!」
俺は逆ギレで誤魔化すことにした。
実際、ウザイし。
と……名前といえば、この子の名前をまだ聞いてない。
「あっとそうだ。ダ女神の名前の正しい発音とかどうでもいい。お前の名前は?」
「山田み……わ、私の名前はミラグロス・カレスティア!」
「そうか分かった。山田光子か」
どこかで異世界用の名前でも考えていたのだろう。本名を言いかけたが、直ぐに訂正して『ミラグロス・カレスティア』などと彼女は言い放った。
どこのスペイン人だよ。
「み、光子じゃないですよ! 『み』までしか言ってないじゃないですか。ミラグロスです!」
光子はベッドから飛び降り、激しく詰め寄って俺に訂正を求めてくる。
光子けっこう、胸でかいな。
「でも苗字は山田なんだろ?」
しかし俺は胸をスルー。ツッコミを重視。
「……ぅぐ」
光子は言葉を失ってよろめいた。
うわ、泣きそう。
「わかったよ。ミラって呼んでやるよ」
泣かれても困るし、可哀想だからミラと呼んであげよう。
ミラは安心したのか、大きな胸に手を当てて肩の力を抜いた。
「ミラだから、みっちゃんな」
「ひーどーいーっ!」
日本からきた異邦人は、朽ちた古城に不満を響き渡らせた。