訪問
頼まれた荷物を運びに、春馬の家の前までやってきた。
門を通り、一旦庭まで回る。
春馬の家は屋敷と言っていい程の大きさだ。
両親の仕事は未だ知らないけれど、昔はお手伝いさんも雇っていたぐらいだ。
春馬が中学生になると、お手伝いさんがいるのは逆に不自由だったらしく、彼の一存で解雇したと聞いた。
庭には噴水まであり、その中に私は手を突っ込み目当てのもの取り出す。
春馬の家の鍵だ。
9年前から変わらないこの隠し場所はいい加減変えるべきだ。
冬場にこの中へ手を入れるのは冷たくて仕方がないから。
扉を開け、広すぎる玄関ホールへと脚を踏み入れる。
その瞬間、私は後悔した。
バイト前にと思って先に荷物を置きに来たが、バイト終わりにすればよかったと。
春馬の部屋の扉は開け放たれてるのだろう。
この玄関ホールまで響く女の声がその証拠とばかりに私の耳にも声がまとわりつくように聞こえてくる。
リズム良く聞こえる艶声に、何をしてるかなんてすぐに分かってしまう。
春馬がお手伝いさんを解雇したのはこの為だ。
好きな時に女を連れ込み、抱く為と言ってもいい。
すぐそこで行われてる情事に、私は吐き気が込み上げてくる。
春馬の情事に遭遇することは珍しくはない。
あえて私に見せつけるかのように、最中を見せられた事さえある。
そんな彼の意図は未だ理解できないが、私には耐え難い苦痛でしかなく、いつも泣きながら吐き気を押さえ込むことになる。
今日、春馬と一緒に食べた昼食が私の食道を逆流してくるのを感じ、荷物を床に乱暴に置き玄関のドアノブに手をかけたところで、春馬が「いるんだろ。もう終わるから待ってろ」と玄関に聞こえる声で命令をした。
私は朦朧とする頭でただ待つしかなく、それでも込み上げてくる吐き気に生理的な涙がボロボロとこぼれた。
春馬の言葉通り、しばらくすると声は途絶えて、それからさらに時間が経つと一人の女の子が階段から降りてくる。
着ている制服で同じ学校だとわかる。
口を押さえ蹲り涙を流す私に、彼女は憐れみたっぷりの目で見下ろし、薄く笑った。
「ねえ、あなた。春馬に抱かれたことすらないんですってね。あんなに尽くしてるのに可哀想。ふふ」
彼女はさらに続けた。
「春馬ってば凄く上手なのよ。あれ程極上な男に抱かれるって最高に幸せなんだから。でも、あなたとっても憐れよね。そんなに泣いても相手にもされないなんて。・・・ねえ、もう春馬のことは諦めた方がいいんじゃない?」
どうでもいい彼女の言い分に私は答える気もなく、ただ吐き気と戦う。
彼女の香水の匂いがさらに吐き気を増長させ、さらに涙が出てくる。
どうやら、その涙を長年の恋心が報われない私の涙と思ったらしく、彼女はさらに機嫌良さそうに口角を上げる。
さらに彼女は私に話しかけようとしたところで、春馬が階段から降りてくる。
「そいつにかまうな。さっさと帰れよ」
機嫌が悪いのか、そう言われ私はなんとか立ち上がり帰ろうとする。
女の子は得意げに私に鼻で笑う。
かまってなどいないし、そもそも引き止めたのはどこの誰だと思わなくないが、何よりこの場から離れたい気持ちが勝る。
だけど、歩き出そうとした足は春馬が私の腕を掴んだことで阻まれた。
「早く帰れって」
もう一度春馬が女の子に向かって言った。
私ではなく女の子に言ってたとは思わなかったので、当の本人も同じようで、驚きの表情を浮かべ、瞬時に怒りの表情に変わった。
「私は真実を話してただけよ!こんな子がこれからも貴方の側にいるなんて間違ってる!おかしいわよ!」
女の子が春馬に噛みつくようにそう言った。
その通りだと思った。
間違っている。
春馬の側にいるのは、この目の前の女の子のように華やかな子であるべきで、私の我儘で居るべき場所ではない。
もう少しの勇気があれば、私はもっと早くに春馬の側からいなくなれたのに。
「俺に指図する気?」
春馬が怒って言った。
彼はどちらかというと指図する側の人間でされる側ではない。
よって、人に行動を口出しされるのをひどく嫌う。
女の子もさすがにやばいと感じたのか、駆け足で出て行った。
扉は音を立て閉まり、私は再びその場に蹲る。
吐き気は収まらず、涙も止まらない。
そんな私にゆっくりと春馬は近づいてくる。
「そんなに泣いて、お前・・・俺が他の女抱くのはそんなにつらいのか?」
クスクスと笑って春馬はそう言った。
春馬もさっきの女の子と同じように、私のこの状態を勘違いしている。
そうやって、私を上から見下して、優位に立ち、馬鹿にするのだ。
それが楽しくて仕方ないのか、たまに今日のような場面に私を遭遇させ、その反応を見て悦に浸る。
そんな春馬のどこを好きになればいいのだろう。
彼の容姿はビスクドールだけど、中身も人形のように空虚だと思う。
だから、私は彼の側にいれるのだけど。
春馬がそっと、私の私の頬に流れる涙を綺麗な指ですくい取る。
人形のような人間。
私にとって奇跡のような存在。
小学生の頃はよく泣く私の涙を拭ってくれた。
「泣かないで」と私の体を腕を精一杯伸ばして抱きしめてくれた。
両親以外の人の温もりを私に与えてくれた。
惜しみなく。
小学生のままの春馬になら、もしかしたら、恋に落ちていたのかもしれないなと、無表情のまま私の涙をすくい取る春馬を見ながら思った。