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いびつな関係  作者: 森 ちよ
3/9

日常

「伊織」


次の授業の為、化学室に向かってる途中で不意に呼び止められ、振り返ると春馬がいた。

『坂下 伊織』これが私の名前だ。

けれど、私の苗字は授業中に先生に呼ばれることはあるけれど、名前を呼び捨てで春馬以外に呼んでくれる人は、もういない。


「何ですか?」

春馬が私を呼ぶ時は命令がある時だけなので、私は常に質問で返事をする。


「これ、放課後俺の家に届けといて。鍵はいつもの所だから」


そう言って春馬が渡してきたのは、大きな紙袋だった。

中身は恐らく、貢物だろう。

少し重たいそれを頷きながら受け取り、私は自分の教室に置きに戻るために踵を返す。


「ああ、それと」


今思い出したかのように、彼は歩き出した私に話しかけた。

私は顔だけ振り返る。


「俺の昼飯買っといて」


それだけ告げると、彼はもう用はないとばかりに背中を見せ去って行った。

周りからクスクスと笑い声が聞こえる。

声の主は春馬の取り巻きの女達だ。

こんな扱いを受けても彼の命令を聞く私を嘲笑いたいのだろう。

だが、彼女たちにとって、私という存在は必要不可欠と言える。

春馬は服を着替えるように『彼女』を次々と替えるから、容赦なく捨てられていく『彼女』だった人達は私を見て安堵するのだ。

「まだあれよりマシだ」と、「奴隷でしかないあれより、私は女として見てもらえたのだ」と思えるから。


彼女達から見れば、「あんなに尽くしているのに報われない可哀想な女」なのだろう。

でも、それは当てはまらない事を彼女達は知らない。

私が「報われない可哀想な女」になるためには、私が春馬に対して恋愛感情をまず持っていなければならない。

だけど、私は未だかつて春馬はもちろん、他の異性に対してもそんな感情を持ったことはない。

持ちたくても、持てない。


だって、『人間』は苦手。

多分、春馬のあのビスクドールのような人間離れした容姿がなければ、春馬も苦手な『人間』に過ぎない。


私は思考を中断させ、任された任務を遂行するために歩き出す。

私を嗤う笑い声は止まることはなかった。


お昼時間になると、私は教室を誰よりも先に出て春馬の教室へと向かった。

食堂に向かう生徒や中庭に向かう生徒が移動していく中、春馬が私を見つけてこちらにやって来る。

私が持っていた紙袋を取ると中身を確認して、「ふーん、カツサンドか。悪くないチョイスだな」と、そう言って私にお金を渡す。

私は少しばかり期待を持ちながら、彼の次の言葉を待った。


「行くぞ」


彼は私を促して歩き出す。

これは、今日は私と一緒に食べるということだ。

ほんの少ししか期待していなかったけど、一緒に食べれることが嬉しくて心なしか足取り軽く彼について行く。

春馬と食べる時は特に、何かを話すわけでもないけれど、それでも私にとって他の人間と食事ができる貴重な時間だった。

一人で食べる食事はひどく味気ないから、かといって他の人間と食べることは苦行に等しい。

食べてもすぐに吐き出してしまう程に、受け入れられないのだ。


私と春馬以外知らない鍵のついていない空き教室に入ると定位置の椅子にお互い座り食べ始める。


「お前、まだバイト続けてんの?」


食べ始めてしばらくして春馬が私にそう話しかけてきた。


「はい。私が続けられそうな唯一のバイトですから」


この会話は今が初めてではない。

春馬は思い出したかのように突然この質問をするのだ。

そして、続けて決まった質問が続く。


「お前さ、俺以外の人間にまだ興味持たないの?」


「はい。春馬以外の人間にはできれば関わりたくないです」


「そんなに俺の側にいたい?」


「出来れば・・・、許される範囲で側にいたいです」


「なら伊織は、俺のために存在してればいいよ」


「・・・・・・」


彼はいつも通り、会話をそう締めくくった。

他の人間がこんな発言をすれば白けた目を向けられるに違いないけど、春馬はそれが許されるだけの人間に思えるから不思議だ。


容姿だけでなく、文武に長け、家柄も申し分ない.

言うなれば絶対王者のような雰囲気が春馬にはあった。


だけど、

他の女の子なら先ほどの彼の言葉に狂喜乱舞するだろうけど、私は残念ながら彼のために存在してるわけではないと断言できる。


私の魂から何もかも私の物でしかないからだ。

春馬が誰の物でもないように、私も、他の人間だってそうだ。


でも、ここで否定すれば彼は機嫌を損ね、私は側にいれなくなるかもしれない。

それは底なし沼のような恐怖を私に与えるに等しい。

今の私には。


彼の側ならいれるのだ。

彼となら私は、ご飯も一緒に食べれるし、緊張せず話せるし、今はしないけれど小学生の頃のように手を握れる。

そんな人にこの先出会えるかなんてわからない。

私にとって、彼は奇跡のような人だ。


お父さんやお母さんが生きてたのなら、私はもう少し早くに彼を解放できたと思う。


「春馬」


私が彼の名前を呼ぶと私の目をじっと見つめてきた。


「何?」


春馬が答える。


「ごめんなさい」


私の脈絡のない謝罪に春馬は眉を顰めた。


「何それ。謝ることでもした?」


少し怒っているとわかる口調で春馬が私に問いただす。


「側にいる事を、まだ願ってしまって・・・、ごめんなさい」


その答えに春馬は表情を柔くし、


「お前は、何も考えずに今まで通り俺の言うこと聞いてればいいんだよ」


そう言って、私の頭を人形のように綺麗な手で優しく撫でた。

その手は人形のようでも人の熱を帯びていて、気持ち悪かった。



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