イェニ・ルームの街
呆然とするマスターが正気に返り、本気で怒りをぶつけてくる前に一方的にカウンターに金を置いて颯爽と喫茶店ポチから退散した俺達は、その後も人の集まる公園の噴水の前や時計台の周りで発見した知り合いのプレイヤーの頭上に片っ端からタライを降らせ、煙の出るスイッチを投げ込み、悲鳴と笑いと迷惑を産み出していった。
メルクリウスのラボ(正式社員2名)のMOD制作を一手に引き受けるユキ氏によると、この金ダライの奇襲攻撃は元々自分用に使うという発想だったらしい。まだ俺たちみたいな人間が画面の向こうでゲームをしていたその昔、オンラインゲームには自分の感情を伝える様々な要素として、ゲームと関係ない動きをさせる機能があったそうだ。手を振ったりお辞儀したり踊ったり土下座したりを、チャットと共に繰り出すことで感情をより伝えやすくしていたのだ。
で、それをヒントにケイオス向けに作り出したのがこのタライ。言うまでもないような古典的な笑いの技法だが、現実でやるのはまあ、ちと難しい。んで、ショックを受けた時の感情表現としてゲーム内で使えたら面白いのではないかとユキはまず考えたらしいのだが、じゃあむしろ自分に落とすよりやっぱり他人に突然落としたほうが面白いだろうという事で、立派な攻撃魔法と相成りました。
消費MP、ダメージともに1。たまに相手をスタン……というか独自エフェクトのピヨり状態にさせるが、限界戦闘域ならダメージは軽く一億を超えるこのゲームにおいて、当然の如く全く実戦向きではない。それはもう完全に遊び用である。まあとはいえ遊びでベヒーモスなんかに落として、たまに金ダライで怯む強モンスターの愛らしい(?)姿を拝んだりもできるわけだが。そんなニッチな遊び方をするのはユキぐらい尖がった脳みその持ち主だけではなかろうか。
まあ、こういうのが俺たち(というかほぼユキさん)の仕事の一端なわけである。小銭で遊べる暇つぶしのギミックを創造してプレイヤーを退屈させないようにするのも、今やMOD製作者の仕事場、腕と想像力の見せどころというわけだ。とはいえ、これは流石にユキのお遊びの一貫に過ぎないようだが。キャンペーンにおまけとしてつけるみたいだな。
けど遊びというのが案外大事な概念で、ゲームなんていう遊ぶ事そのものが目的の場所で一際楽しそうに遊んでる奴がいたら、自然と興味を持った人間が寄ってくる、とそんな宣伝理念らしい。遊ぶのも仕事のうち、といえば聞こえはいいが、俺の場合は遊んでいるだけなので気が引ける……という感覚も今や麻痺してしまった。俺の職業欄に遊び人と付け足してもいいかもしれない。口笛も吹けやしないけど。
さて、別のプレイヤーから呼び出しを受けていたのでユキとは別行動になった俺だが、そろそろ自分の隠し設定とかいう奴を披露させてもらうことになりそうだ。これでこのお話が本当はいかに荒唐無稽なお話なのか理解してもらえるかもしれない。
そろそろ日が傾くだろうかという時間帯に呼び出しを受けていた俺は、家(ゲーム内のほうね)からすぐのところにある橋の前で腕を組んで一人の女を待っていた。まあ流石にプレイヤーが男か女か確認するMODなんて便利すぎるものはこのご時世にも存在していないので、女なのはゲーム内だけで実際は男かもしれないのだが、多分それはないと思う。
連中……魔術師とはそういう奴らだからだ。
ハープを持って弾き語りをするオーソドックスなスタイルの吟遊詩人達の歌声にもそろそろ飽きはじめた頃、そいつは現れた。
「いやーぁお待たせしましたねぇ」
どこまでも軽くそいつは言った。
いつも通り露出が多くて身軽そうで、申し訳程度にわずかな防具を装備し、しかし腰回りだけはじゃらじゃらといろんなものを身に着けた、いわゆるシーフの恰好をした女が、ちっとも悪びれていない様子でからからと笑いながらこちらに近寄ってくる。
女は黒髪をポニーテールと呼ぶのもどうなのかと思うぐらい無造作に頭の上でくくり、小さな丸眼鏡をかけている。顔立ちはオリエンタルな美人(ゲームの中では大体みんなそうだが)で、三白眼。冷たそうな感じも受けるような知的な顔立ちなのに、表情には締まりがなく、まるで酔っぱらったような力の抜けた歩き方も相まってだらしない感じを受ける。顔自体は頭良さげなのにどこか取っつき易そうであほっぽい、あーぱーという言葉の似合う、そんな感じの女だ。
「……よう、トト。いつも案内はお前だけど、おまえって俺の担当みたいなもんなのか?」
「いや~、そういう訳でもないと思うんですがねえ?まあご縁があるということで」
にこにことあけっぴろげな笑顔を浮かべながら、トトというハンドルネームの彼女は質問を適当に受け流す。常々笑顔のトトという女だが、またそれが胡散臭い。凛々しい顔の多いファンタジーのゲーム内で、こんなに腹に一物ありそうな女の顔も珍しいと思う。三味線という言葉も実によく似合う女だった。
「またクロさんも色気のない恰好ですねえ。ゲームのなかなんですからもうちょいと飾り立てたらどうですかい?」
「大きなお世話だ」
素っ気ないフード付きのローブにローマ人みたいなサンダル履きの俺を見て苦笑いするトトに対してふん、と鼻を鳴らすと、やれやれと肩を竦められた。
「魅力的たぁ言いませんがねえ、せっかく女性と連れ立って歩くんですから、ちょっとはデート気分を味わおうとかそういうのはないんですか?」
行きましょうとも言わずにくだらないことを言いながら、俺に背を向けて目的地に向かって歩き始めるトトの背中を、俺もとくに疑問もなく追いかけて歩き出す。
「お前とか?」
俺の意思をよく体現した、実際は疑問でもなんでもない一言で返答すると、トトはぽりぽりと頭を掻く。我ながらなかなかの返しだった。
「そう邪険にしなくてもいいでしょうに。なんだかんだと貴方とは仲良くやっていけると思うんですがね、私ゃ」
「悪いが人生に必要な黒髪メガネ成分はもう一生分足りてるんでな。他を当たれ」
「連れないお人だ」
口ではそう言いながら相変わらずへらへらと笑っているトトと、仏頂面の俺という対照的な二人組でゆっくりとイェニルームの街を闊歩する。
エウロパは中世ヨーロッパを舞台のモデルとしたオーソドックスながら非常に人気のあるサーバであり、その中でもイェニルームは最大の都市の一つだ。芸術と魔法の街、錬金術の街を謳い文句にしているだけあって、そこかしこを吟遊詩人や神学者、占星術師や魔術師の類がうろついているし、建物も聖堂や音楽堂、工芸品の店や錬金術師のラボが多く、建物の意匠も凝ったつくりで都市計画に当たった運営の力の入り具合がよくよく見てとれる。
ホームでないプレイヤーも観光客として多数大通りをうろついており、昼夜を問わず人通りの絶えることがない。
スキル上げの辻プリーストがバフスキル(能力上昇スキル)を道行く人に無差別にばらまきながら歩いていく光景も、最初こそシュールで笑えたが今では予定調和のうち。
純粋にゲームの大筋を楽しみたい俗に言う新参と、目新しいMODを片端から試して今日はどんな遊び方を考案して遊ぼうかと手ぐすね引いている古参、さらにアングラな掲示板で情報交換しつつ遭遇さえ容易でないバランス未調整エリアのふざけたモンスターを討伐するべく虎視眈々と準備に励む廃人たち――――。
あらゆる俺ルールで形作られたケイオスというゲームの都市の在り方を代表するイェニルームは、今日も不穏に平穏。いたって平常運転だ。
んで、その中で俺は見慣れた異常に巻き込まれようとしている、というわけである。
「着きましたね」
「ああ」
くたびれたように短く答えた俺とトトが見上げているのは、イェニルームの街の象徴。愚かしいほどに巨大で壮大で荘厳で、湯水のように費やされた富と労力の結晶に、ファンタジー的なアレンジを加えつつデータの中に再現した、『“幽玄城”フラドシン』の壁外門だった。