俺と俺の考えもつかない所にいらっしゃる最強の親友の関係性
暗い部屋。
照明の電気もつけずにパソコンをいじる不健康な俺。
黒神鳴一。
無気力、怠惰、能無しと三拍子揃った人生終わってる大学生。
そんな俺だが実は親の金を使わずに一人暮らしできている。
誰のおかげか?
無論自分ではない。バイトもしてないしな。
それは間違いなく一人の“友人”のおかげだ。
たまたま奴の実家が俺の実家の隣であり、偶然奴と同い年であり、また何故だかわからないが奴が俺を妙にそこそこ気に入っているという偶然の一致によって俺は生かされていると言っても過言ではない。
実は超高校級の幸運なのかもしれない。大学生だが。
というわけで、丁度今その友人に会いに行こうとしている。
部屋着にスリッパで何言ってんのかって?
いやいいんですよこれで。
準備が出来たので目を瞑る。
一瞬背筋が痺れるような電流の刺激を感じ、そして独特の浮遊感が体を襲う。
そのまま意識が遠のいていった。
アカウントからのアクセスを確認、パスワード入力。
正常な手順で認証されました。バーリ・トゥードにログインします。
「ん」
閉じた目蓋の裏に浮かぶ文字の羅列を読み終えて、目を開ける。
淡い青の光の線で構成された、一般的なコンビニの店内ほどの空間が目の前に広がっていた。今時珍しくもなくなったヴァーチャルリアリティのオンラインゲーム『ケイオス』のプレイヤーとしてログインするためのロビー画面だ。
画面というかロビー空間とでも呼ぶほうが正しいのだろうか。
大して広くもないその空間には他に何もなく、通称でオペ子とぞんざいに呼称されている女性の姿をしたナビゲータAIとカウンターだけが存在している。
Tシャツ、短パン、スリッパのままの俺が近寄ると、白髪のボブカットで可愛らしい顔立ちをしており、エレベーターのお姉さんっぽい紺色の制服を着たオペ子が向こうから話し掛けてくる。
「本日はケイオスにログイン頂きありがとうございます。サーバーはお決まりですか?」
「いや、これから決める。Mercurius666は今ログインしてるかな?」
「はい。現在はアーカムにいらっしゃいます」
ってことは普通にいつもどおりラボか。
「じゃあ俺もそこに送ってくれ」
「了解しました。ワールド:アザトースにログインします」
足元から光になって消えていく演出と共に俺の前の風景はまた流転した。
今度はどんよりと薄暗い屋外に出た。アザトースと名づけられたサーバにあるアーカムの街だ。その名前によって一部のコアな人間たちから人気の街である。俺としてはわざわざこんなとこに住む奴の気が知れない。知らない人に説明するならまあそんな街だ。
転送されてすぐさま、俺の体はざああっという耳鳴りのような音に包まれた。鼻に入ってくる独特の匂いは個人的にはかなり好きな部類だと言える。
“あと5秒後に無敵状態が解除されます”
視界の隅に小さく表示される文章。ログイン直後の事故を防ぐための無敵時間に関する説明だった。ちなみに、この5秒間はこちらからの攻撃も強制的に完全無効になる。
ということでシステムが急かすので俺は寿命を唱える。違う、呪文だ。呪文を唱える。寿命を唱えるとかどこの死神ですか俺は。寿命を半分削られる契約でもしたのか。はい、唱えます。
「ログイン報酬を受け取る」
すると演出の光と共に手元に金属とナイロンとプラスチック製の骨と皮で構成される物質が召喚される。つまりはビニール傘である。柔らかな光とともにビニール傘が召喚される様子ときたら、いとシュールである。
カチッといういかにも安っぽい音と共に俺はすぐそれを開かせた。このビニール傘が雨の時間帯に屋外にログインしたプレイヤーへのログイン報酬だった。おもてなしの精神がすばらしいことである。
無敵状態の間はあらゆる干渉を受けないが、解除されると普通に雨に濡れる。ので傘がいる。ちなみに水に濡れても一応ステータス異常の一種として内部処理を受ける。そういう気分でなかったら普通に気持ち悪いし、火炎魔法の成功率などにマイナスの補正がかかる。
クレジットとかの普通のログイン報酬も受け取れるが自分のキャラに普段から傘を装備させていないかぎりはそちらを受け取ることは滅多にないだろう。
ふと気が向いたので眼に魔力を集中してアイテムの説明を表示してみる。そういやビニール傘に使ったことはなかったな。
『名称:ビニル傘 装備可能 安っぽい雨よけ。人類の文化の中でも古くから現代までまったく形式の変わらない、ある意味完成された道具。使い方は手元のスイッチを押すと勝手に開くので頭の上に掲げよう。透明なので晴れてる日は使用しても意味ありません。なお初めての人は他人や顔にぶつけないように注意。嫌な顔をされます。このゲームでは使い捨てなので忘れたり盗まれたりする心配はありません』
だそうだ。
ただし使うたび別途入手の必要性あり。ってか?説明文に運営の悪意を感じる。
というかオンラインゲームをプレイできる環境なのに傘を開いたことがない人っているんだろうか?
まあつまり、現在アーカムの街は雨天ということだ。
それにしても、と思いつつ空を見上げる。
雨なのにこの明るさ、この時間帯に昼間なのかよ。さすがアーカム、色々とおかしい。
日本人向けのサーバに存在する街は基本的に日本時間に昼夜を合わせている。忙しい人向けに昼夜逆の街もあったりするし、常に夜とかもあるが。
そしてアーカムの時間帯と気象の関係性はなんと、ランダムなのだ。昼夜夜夜夕朝白夜流星群オーロラメテオ槍万札わんこぬこ……とかあったりする。きっとある。まあそこは、つまりはゲーム。やりたい放題なのである。
「ここまできたなら傘なんか差さずにそのまま入ってきたまえよ、君」
おもむろに目の前の建物の玄関が開き、そんなことを言いながら建物の持ち主が現れた。
「なんだいクロちゃんじゃないか。ちょうどいい所に来たな」
ご挨拶されたので返しておくとしよう。
「やあユキさん、お元気デスか?」
「わざわざゲームの中で僕の体調を確認しなくてもいいだろう。昨日もあんなに激しく愛し合っただろうに。あえて言うならいつもどおり絶好調だが」
そんな昨晩の記憶は俺のアカシックレコードのどこを探しても存在しねーよ。
というわけでいかにも科学者っぽい研究用の白衣を着た、なかなかの美人が、というか胸が詰まるようなかなりの、えーと、もの凄い、えー、美人と。挨拶を交わす。容姿は腰まである艶やかな黒ストレートのパッツン髪で、青い瞳。眼鏡を掛けている。スタイルもいい。胴も足も長い。出るとこは自己主張しつつ引っ込むところは控えめだ。出てばっかりの本人の性格とは違ってメリハリがきいている。
さらに脳内形容詞検索……キレのある、知的な、あるいは残念な、……美人。
どうして俺がこんなにこいつの事を褒めちぎらなくてはならないのか、パンツでもくれてやったのか。答えは普通にいつもお世話になっているからである。いや、毎晩のオカズ的な意味じゃなくて。
彼女こそ俺のチートじみた幼なじみにして親友、瀧川(・クリステル=)ユキだった。
括弧の中は俺が付けてやった(無断で)魂のミドルネームなのだが、本人に伝えてみたら本気で蔑んで見られた。男の部屋に落ちてた丸まったティッシュを見るような目で見られた。よっぽど面白くなかったらしい。相変わらず外したボケには手厳しい。しかし冷静に考えると俺も確かに異常なほどつまらない事を考え付いたと思う。
「合う度に俺はちょうどいいって言われてる気がするぞブラザーよ」
「事実だからしょうがないだろ?」
ユキの顔に貼りついた不敵な笑みは表示時間が長すぎてもはや外れなくなっているに違いない。
「で?何がちょうどいいって?」
「はっはっは。ままま。まぁまずは入ってお茶でも出させたまえよ。君。フフフ」
一つの会話文に対して二回も笑い声が使われているんですが。
どうなってるの?
快活すぎるユキの声を聞いて俺の股間についている嫌な予感レーダーが猛烈に反応している。具体的に言うと縮み上がっている。この女がこういう笑いをするときはえてして俺はろくな目に会わない。とはいえわかっていようと俺に拒否権はない。ない。微塵も、無い。大事なことだから三回言ったぞ。
体が勝手に言われたとおりに動く。まさにパブロフの犬。というわけで俺はマッドサイエンティストのラボの敷居をめでたく跨いでしまうわけである。
「とりあえず適当に座りなさい。口に出したからにはお茶ぐらい出してやろう。」
口に出す、で一瞬動きを停止してしまう俺。中学生か。いや知識が豊富な分中学生よりたちが悪い。
照れ隠しに茶化しておく。
「味とか贅沢なことは申しませんので、せめて体内に吸収されても体調に異常をきたさない物質でお願いします」
「だから茶だって言ってんだろーが。お前な、普段からうちの冷蔵庫に何が入ってると思ってやがる」
死体。チンピラの死体。野良犬の死体。劇がつく毒物の類。あと目薬。
ちなみにこれがこのお嬢さんの完全素の口調です。取り繕っていますが本当の彼女は驚くほどテキトーで凶暴です。いやお口だけでなく。
「今何から何まで失礼なことを考えなかったか?」
「滅相もございません」
地蔵菩薩のように慈愛に満ち溢れた笑顔を浮かべた俺にユキはひどく渋い顔をしたが、コップと麦茶の容器を手に戻ってくる。
なんだ死体と毒物と目薬以外にもユキんちの冷蔵庫に麦茶なんか入ってたのか。意外だなあ。
「普段なら電柱にくくりつけて野良犬にションベンかけさせるところだが、今日は機嫌がいいので特別に許してやる」
「へへーぇ。ありがとうございますだお代官様ぁー!」
「やはり思ったよりムカつくので実行に移そうかと気が変わってきた」
「すいませんマジ勘弁してください」
心からの土下座だった。世の中にはからかってはいけない人間というものがいるものだ。
もし彼女とユキが同時に俺の前で溺れていたら俺は迷いなく全力で彼女を助けようと動き始め、それを見たユキにまず私を助けろと命令を受けて命を賭してその通りにまずユキを助けた挙句、その後ユキの天才パワーでいともたやすく助けられた彼女はそれを望んでもないユキに寝取られるだろう。
物事に例えるなら俺たちはそういうパワーバランスで、関係だ。