8月 (下旬)
最近、またも鬱ですわ。
2012/08/下旬
体育祭がありました。
気分が乗りません。
疲れました。
ある日、登校している時にネコの死体を見ました。道路の真中に倒れていました。
カラスが側にいました。車のようすを伺っているようでした。僕は白の物体の横を通り越してから振り向きました。するとネコだと分かりました。
通り過ぎるまで、ネコをネコだと認識出来ませんでした。ただの白い物体でしかありませんでした。
車が途絶えるとカラスはネコに近づきました。ネコの口の中へ嘴を入れていました。
その後、ネコがどうなったのかは知りません。
死体をネコと呼べるのかは分かりません。
なにかの本で、人間は死んだその瞬間から人ではなくなる。ただの物体に過ぎなくなる。だから誰がどう扱っても文句は言われる筋合いはない。
そんなことを言っていた気がします。僕はそうなのか、本当にそうで良いのかと思いました。
確かに人は死ぬとただの糞袋に成り下がってしまいます。汁と糞を詰め込まれた汚い袋になってしまいます。
だけれど、倫理的と言いますか人間性と言いますか、そのような観点から捉えるとするならば、人は死ぬと死体になると思います。
死体には思いが寄せられると思います。誰かとの思い出や絆、そのようなものが絡まっていると思います。だから死体は丁重に扱われますし、お骨も大事にされます。
人は死ぬと糞袋にはなりません。誰かの心の中で永遠に受け継がれていく心になるのです。
じゃあ、人間以外は? 動物は? イヌは? ネコは? トリは? イグアナは……同じように葬式をあげる人もいます。愛玩動物は家族になるのですから。
なんで、道端に転がるネコとは違うのか、やはり、その生き物と過ごしてきた時間の長さが異なるからなのでしょう。
短ければ短いほど感情移入はされません。
長ければ長いほど愛着が湧くはずです。
でも、だからといって、知らない人だからとか、知らないネコだから、とかそんな理由で、死ぬことから目を背けるのはなんだかずるいと思いました。
あの時、カラスを追っ払っていたとしたら。
そんなのは自己満足にしか過ぎませんが、だけど、一時の間だけでもネコであったということを証明出来ると思います。
ただ道路に転がっている白い物体から、ネコの死体へとかえられた気がしました。