↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ノヴァインパクト-産まれたら世界が壊れていました-  作者: ウルティ
少女は瓦礫の中で目を開く

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/68

第五話 境界に立つ

⸻

 最初に揺れたのは、床だった。

 薄い板を通して伝わる、かすかな震え。

 診療所のベッドに座っていたアヤメは、視線だけを天井から足元へと落とした。

 カタ、と窓枠が鳴る。

 瓶の擦れる音。

 そのすべてが、妙に輪郭を持って聞こえる。

「……また、来た」

 小さくこぼした声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。

 扉が開き、外のざわめきが一気に流れ込んでくる。

 誰かが金属板を棒で叩いている。短く、荒く、焦ったリズム。

 その下で足音が走り、怒号と呼ぶには弱い叫び声が重なった。

「ジェイド! 森の縁に……!」

 外から聞こえたその名前に、ミラが顔を上げた。

 包帯をたたんでいた手を止め、扉の方へ一歩近づく。

「嫌な音。あれ、ヴォイドの時の警報だ」

 サラは棚に置かれたメモをざっと束ね、冷静な顔のままアヤメの方へ振り返った。

「地面の揺れ方も、前と違う。……質量が大きい。中型が混ざっているかもしれない」

 ミラが眉をひそめる。

「嘘でしょ。この規模の拠点に中型って……」

 床の揺れは、先ほどよりも少しだけ強くなっていた。

 アヤメはベッドから足を下ろし、そっと体重をかける。

 右肩の奥に残っていた鈍い痛みは、すでにほとんど消えている。

 皮膚の下で再構築されていた組織は、違和感こそ残るものの、動きを妨げるほどではなかった。

「歩ける?」

 サラが問う。

 アヤメは立ち上がって一歩進んでみせた。重心は安定している。

 ふらつきはない。

「大丈夫」

「“大丈夫”の基準がおかしいのよ、あなたは」

 サラは短く息を吐いたが、その目に混ざっているのは苛立ちではなく純粋な観察だった。

「まだ完全に治ってはいない。それでも、普通の人間なら寝ているしかないレベルの怪我よ。……それが、二日でここまで」

 ミラがアヤメのそばに来て、心配そうに覗き込む。

「無理しないで。外、どうせ危ないんでしょ?」

 アヤメは窓の外に視線を向けた。

 灰色の空。

 低い雲。

 その下で、遠くの木立がわずかに揺れている。

 揺らしたのは風ではない。

 重い何かが地面を踏む、その反動だ。

 数。

 間隔。

 重さ。

 それらが、音と震えだけで頭の中に流れ込んでくる。

「……さっきより、近い」

「近いってなにが?」

「“大きいの”」

 言葉に名前を与えられない。

 ヴォイドという呼称も、ホルダーという分類も、まだアヤメには馴染んでいない。

 ただ、“あれ”がこの場所に向かっていることだけは、はっきりと分かった。

「ここ、壊されるかもしれない」

 ミラの顔色が変わる。

「やめて。そういうこと言わない」

「可能性の話よ」

 サラは冷静に言った。

「この拠点のホルダーは三人。どれも中堅レベル。中型を単独で止められるような戦力じゃない。小型が複数ついてくる可能性もある」

「でも、みんなずっとここを守ってきたんだよ?」

「今まで出てこなかったサイズが出てきた時点で、条件が変わっているの。……守れた実績は、次も守れる保証にはならない」

 ミラは唇を噛み、アヤメの腕を掴んだ。

「だからって、外に出ていい理由にはならないよね。この子はまだ――」

 アヤメは、掴まれた自分の腕を見た。

 温度。

 圧力。

 皮膚越しに伝わる、ミラの手の震え。

 自分に向けられている感情の名前は、まだ完全には分からない。

 けれど、それが“自分を心配している”という働きなのだと理解はできた。

「ミラ」

 サラが静かに呼ぶ。

「ここが破られたら、診療所も安全じゃない。あなたも、私も、子どもたちも、ここで終わりよ」

「終わらせないために、みんなが外で戦ってるんでしょ」

「それで足りないから、こうして揺れているの」

 サラは床を指さした。

 揺れは、さっきよりもわずかに強く、短い間隔で続いている。

 大きな何かが、一定のリズムでこちらへ近づいてきている。

「足りないなら――」

 アヤメは口を開いた。

「足りるように、するべき」

 ミラが掴む手に力がこもる。

「だからって、あなたが行く必要は――」

「私、もう動ける」

 アヤメはミラとサラを見た。

「ここで何もしないでいると、壊されるかもしれない。でも、外に行ったら、壊されないかもしれない」

 それは自分の感情ではなく、単純な比較だった。

 可能性の話。

 結果の話。

 サラが細く息を吐く。

「……あなた、自分が何を言っているか分かってる?」

「分かってる。たぶん危ないってことは分かってる」

 アヤメは胸に手を当てた。心臓は少しだけ早く打っている。

 恐怖というラベルをまだ知らない。その代わりに、身体の変化だけを観察する。

「でも、あの“獣”と戦えた。だから、できることはある」

 以前戦った時の光景が、薄く脳裏に浮かぶ。

 瓦礫の中。

 大きな牙。

 皮膚の下を走った白い閃光。

 あれが何だったのか、アヤメはまだ知らない。

 ただ、自分の体の中から出たものだということだけは分かっていた。

「私は、あのとき“生き残れた”。それをもう一回やるだけ」

 ミラは首を振る。

「ちがう。あれは偶然かもしれない。もっと大きいのが来てるのに――」

「偶然でも、一回できたなら、二回目もある」

 アヤメの言葉は、あまりに素直で、残酷なまでに合理的だった。

 サラはしばらく黙っていたが、やがて低く言った。

「ミラ。止めても、彼女はきっと出ていく」

「だからって、黙って見てろって言うの?」

「違う。……私たちは選べない立場にいるってことよ」

 サラはアヤメに向き直る。

「ひとつだけ条件を出す。倒れてもかまわない。でも、絶対に戻って来なさい。いい?」

 アヤメは一瞬考え、頷いた。

「戻る。それは、できる限りやる」

 ミラはまだ納得していない顔で、それでも手を離した。

「……本当は行ってほしくない。でも、ここで震えて待ってるのは、もっと嫌」

「あいまい」

「うるさい」

 ミラはそう言って、アヤメの胸元のコートをぐいと引き寄せた。

「絶対戻ってきて。戻ってこなかったら、許さないから」

「さっきも同じこと、言ってた」

「二回言わないと伝わらなさそうだからね」

 ミラの目の縁は、少しだけ赤くなっていた。

 アヤメは短くうなずき、扉へ向き直る。

 外の空気は、診療所の中よりも冷たい。

 頬を刺す風の向こうで、鉄板を叩く音がまだ鳴り続けていた。

⸻

 集落の外れまで歩くにつれ、揺れははっきりとした振動になった。

 地面の奥で何かがぶつかる。

 石と石が擦れ、古いコンクリートが軋む。

 遠くに、灰色の空と、黒い森の境界線が見える。

 その手前に、崩れた道路と車両の残骸が散らばり、その向こう側に、細かい影が動いていた。

「ガレン、もう少し引け! 前に出過ぎるな!」

 ジェイドの怒鳴り声が飛ぶ。

 アヤメが足を止めずに近づいていくと、戦場の全体像が視界に入った。

 火のホルダー、ガレン。

 両手から噴き出した炎が、地面を舐めるように走る。

 その炎の前に、小型のヴォイドの残骸が黒く焦げていた。

 氷のルカ。

 地面に手をつき、白い霜を広げる。小さな破片が一瞬で凍りつき、その上を踏んだヴォイドの足がわずかに滑る。

 土のエマ。

 足元を強く踏みしめ、地面を盛り上げる。瓦礫と土が混ざった壁が立ち上がり、進路を少しだけ遮る。

 それでも――

 中型の影は、止まらなかった。

 高さは四メートル近く。

 前足は丸太のように太く、筋肉に覆われた肩が盛り上がっている。

 紫色の皮膚は岩のように硬く、炎の熱をほとんど通さない。

 その巨体が前足を一度振り下ろすだけで、エマの作った土壁に深い亀裂が走った。

「っ……!」

 エマが歯を食いしばる。壁に力を送り続けるが、中型の前足はさらに一度、重く打ちつけられた。

 壁が砕け、岩と土の破片が飛び散る。

 ルカが氷の膜を張ってそれを防ぐが、その分、冷気の出力が落ちる。

「エマ、下がれ! ルカ、右に回れ!」

 ジェイドが叫ぶ。

 自分もショットガンを構え、一瞬の隙を狙おうとしていた。

「……足りない」

 アヤメは立ち止まり、その光景を見ていた。

 炎の温度。

 冷気の広がり。

土の硬さ。

 それらが、戦場の上に薄い層となって折り重なっている。

 だが、その層の密度は、中型の巨体一つを押し戻すには薄すぎた。

 前足が振り下ろされるたびに、地面はえぐれ、捨てられた車両の残骸が押し潰される。

 人間の身体なら、触れただけで砕かれるだろう力だった。

 中型は、炎と氷と土をほとんど意に介さず、ゆっくりと、しかし確実に前へ進んでいる。

 その進行方向の先には、集落の簡素な柵と、怯えた人々のいる場所があった。

 ジェイドが一瞬だけ振り返り、アヤメを認めた。

「おい! そこから先へ出るな!」

 アヤメは答えなかった。

 柵の内側に立つ村人たちの顔が見える。

 恐怖に固まった目。

 子どもの泣き声。

 それを抱きしめる大人の腕。

 喉の奥が少しだけ熱くなった。

 名前のない感情が、胸の中に滲む。

「……やっぱり、壊される」

 誰に言うでもなく呟き、アヤメは一歩、前へ踏み出した。

 ジェイドの顔が険しくなる。

「戻れ! ここは――」

 声は届いている。

 意味も分かる。

 それでも、足は止まらなかった。

 中型ヴォイドの頭が、ゆっくりとこちらを向く。

 黒い窪みのような眼窩が、アヤメを捉えた。

 アヤメはその視線を、正面から受け止めた。

 距離。

 速度。

 到達までの時間。

 それらが、勝手に頭の中で組み上がっていく。

 あのとき、瓦礫の中で牙を向けてきた獣よりも、ずっと大きい。

 力も、速さも、重さも、比較にならない。

 それでも――

「一回、生き残った」

 あのときと同じように、ただ前を見る。

「だから、二回目も、生き残る」

 言葉は震えていなかった。

 足も、まだ動く。

 ミラとサラの声が、遠くで自分の名を呼んだ気がした。

 振り返らない。

 アヤメは境界線を越えた。

 集落と戦場を分ける、目には見えない線。

 人々が腰を引き、ホルダーたちが前に出る、その中間地点。

 そこに、自分の足跡を刻む。

 中型ヴォイドが、低く唸った。

 地面が揺れた。

 アヤメは、その揺れを正面から受け止めた。

 まだ、自分の中にどんな力があるのかは知らない。

 ただ一つ分かっているのは――

 ここで何もせず立ち尽くすより、前に出た方が、生き残る可能性は高いということだ。

 灰色の空の下で、巨体と少女が向き合う。

 次の瞬間、世界は動き出した。

⸻



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハイファンタジー/女主人公/異能/第六感/チート/異能バトル
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。