第十九話 違和感の正体
ショウたちの部隊は、セブンスロックから続く街道を先頭で駆けていた。
蹄が硬い地面を打つたび、砂利が跳ね、鎧の金具が小さく鳴った。
前線に立つ黒馬の背。
そこに跨るショウ・フォレスは、いつもの軽薄さを顔に残しながらも、目だけは笑っていなかった。
(……静かすぎる)
数十体、いや三十体規模。中型まで混じる群れが“侵攻中”だと報告が上がった。
ならば、遠くからでもわかるはずだ。地響き。土煙。獣のような鳴き声。
それが、ない。
ほんの一瞬。
胸の奥が、きゅっと縮むような違和感。
ショウは右手を高く掲げた。
「止まれ!!」
号令は鋭く、短い。
先頭の速度が落ち、次々に後続が止まっていく。馬の鼻息が近距離で荒くなり、隊列のどこかから戸惑いの声が漏れた。
「え、止まるのか?」
「まだ敵影は……」
「中隊長、どういう――」
ショウは振り返らない。
言葉を制する代わりに、手のひらを下げるように示すだけで、空気を“命令”に変えた。
彼は馬から降りる。黒馬がぴたりと止まり、主の背が離れても落ち着いたまま首を振った。
ショウは地面へ膝をつき、砂利を払い、耳を地面に当てる。
――本来なら、腹に響くはずの震動が、ない。
耳を澄ませば澄ませるほど、世界が薄くなる。
「……これは……」
何かを確認したように、ショウは立ち上がった。
口元だけが歪む。笑みではない。判断の形だ。
「リヴィア。エリーとレティナを呼んでこい」
指示は、説明を省いた。
だがリヴィア・クロートは理由を問わない。
「わかりました」
黒縁眼鏡の奥の瞳が一瞬だけ細くなる。
彼女は馬首を返し、迷いなく走り去った。
ほどなくして、エルサ・マキアが馬で駆け寄ってくる。
白銀の髪が揺れ、白い軍服が砂埃を跳ね返すように映える。横には戻ってきたリヴィア、少し遅れてレティナが必死に追いついた。
「ショウ、急にどうしたの?」
エルサの声は柔らかいが、芯が冷たい。
戦場の温度を下げる言い方だ。
ショウは前方を見たまま言う。
「なんか変だ。やつらの足音が聞こえない。あれだけの数が居たのに、だ」
「それは確かに変ね。……そういえば土煙も見えないわ」
エルサは遠景を見つめ、目を細める。
彼女の視線は“距離”を測る。味方の動線、敵の侵攻速度、最悪の未来の形――それを一瞬で並べている。
エルサは近くの一般兵を指差した。
「そこのお前。シュトラウス中隊長を呼んで来い」
冷たく、迷いのない声。
指差された兵はびくっと肩を跳ねさせた。
「は、はい!!」
怯えながらも、エルサの美しさと冷たさが同居する圧に、ほんの一瞬だけ表情が緩む。
すぐに我に返って踵を返し、走り去った。
数分後。
ゼファー・シュトラウスが馬で現れる。体格の大きさに反して、動きは静かだ。土のように重く、揺れない。
「どうした?」
ショウは言葉を切った。
頭の中の推論を、そのまま命令に落とす。
「違和感がある。作戦を変更しよう、ゼファー。俺とリヴィア、エリー、レティナだけで様子を見てくる。迂回は考えにくいが可能性は否定できない。ゼファーたちは軍を連れ帰って、街の防衛を強化してくれないか?」
ゼファーの眉がわずかに動く。
師匠の顔だ。無茶を止める顔。
「ちょっと待て。仮にそうじゃなかった場合、お前たちだけでは数が足りないだろ?」
「さすがに無茶はしない。もしそうだった場合はエリーを中心に時間稼ぎして、レティナを伝令でそっちに飛ばす。生き残るだけなら、俺とエリーとリヴィアなら大丈夫だ。最悪、俺が責任を持って守るさ」
ショウは言って、ほんの一瞬だけ黙った。
胸の奥に残る、“別の違和感”が舌を引っ張る。
「……それになんとなくだが、それとは別に違和感があるんだ」
(ヴォイド同士で殺し合うのは考えにくい。
と、なると外的要因か、ルートを外れた可能性が高い。
が、やつらがルートを変更する理由が見当たらない。
外的要因が最有力。……ただ、あの数を全滅させる戦力なんて、ここらじゃ俺たちくらいだぞ。
じゃあ“俺たち以外”がいる? ……別のものの存在か……)
考えが深く潜る前に、エルサがゼファーへ言った。
「師匠、大丈夫です。ショウは私に任せてください」
ゼファーは小さく息を吐き、肩を落とす。
「……やれやれ。わかった。確認だけだぞ。くれぐれも、何かあっても解決しようとするなよ」
最後に視線がリヴィアへ向く。
「頼んだぞ、クロート副官」
「了解しました」
リヴィアは一言。
(わ、私? ……まあいつものことね)
内心で諦め、表情は変えない。
パンッ。
ショウが手を叩く。空気が締まる。
「よし。それじゃ俺、エリー、リヴィア、レティナで様子を見に行く。ゼファーは周囲を警戒しながら街に戻り、防衛隊と連携して街を守ってくれ。俺とエリーの部隊はゼファーに預ける。頼んだ!」
ショウは自分の黒馬に跨る。
すかさずエルサが後ろに跨り、ショウの腰を掴んだ。
その動作は自然で、慣れているのに、どこか言い訳が混じる。
それを見たレティナは、同じようにリヴィアの馬の後ろに跨り、リヴィアの腰を掴む。
リヴィアの肩がほんの僅かに硬くなるが、振り返らない。
二頭の馬が走り出す。
背後ではゼファーが軍へ号令を飛ばす声が響いた。
「全員聞け! 敵の侵攻が確認できない。ルートを外れた可能性もある。私たちは周囲を確認しながら街へ戻り、防衛隊と連携して万が一に備え街を守る! 一番後ろは私が行く。先頭にはガレスが行ってくれ! 全軍、街へ引き返すぞ!」
「了解!!」
九十名が“撤退”ではなく“防衛”へ切り替わる音。
戦場の時間が、別方向へ流れ始めた。
――ショウたちは四人になったことで、速度を上げた。
風が顔を叩き、砂が視界を刺す。
だがそれでも、前方にあるはずの気配が、ない。
そして現場へ着く。
「……お、おい。これは……一体……どういうことだ」
ショウの口から、無意識に言葉がこぼれた。
四人全員が、その光景に唖然とした。
中型を含む二十体ほどのヴォイドが、切り刻まれている。
肉は裂け、内臓は散り、地面は血で黒く塗られていた。
風が、鉄の匂いを運んでくる。生暖かい血の匂いだ。吐き気の一歩手前で、喉が乾く。
ショウは声を落とす。
「全員、警戒を解くな。何がいるかわからない。一旦近くにいろ」
エルサ、リヴィア、レティナは声を出さず頷く。
四人は馬から降り、足音を殺して近づいた。砂利を踏む音さえ、この場では大きすぎる。
「中隊長。これを見てください」
リヴィアがショウを呼ぶ。
彼女が指したのは、裂けた胴体の断面。刃が通った跡が、異様なほど滑らかだった。
「どうした?」
ショウが覗き込み、眉を上げる。
「……この切り口。なんて綺麗に切れてるんだ。共食いの線は消えたな」
「共食い……ですか?」
「ああ。だがこの切り口を見て、その可能性は限りなくゼロになった。これはほぼ間違いなく外的要因だ」
説明しながら、ショウの視線は周囲を走る。
死体の配置、倒れ方、飛び散った血の方向。
戦闘の“流れ”を逆再生するように。
すると、エルサが別方向から呼んだ。
「ショウ、こっちも」
ショウが近づく。
エルサが示したのは、焼けた肉片だった。焦げた匂いが、血の匂いに混じっている。
「これもか……。……ん? これは……」
ショウは肉片を摘まむ。黒く炭化した部分がある。
「焦げてる……のか?」
(火……雷……? クソ、情報が足りねぇ)
ショウはひと呼吸置いて立ち上がり、周囲を見渡す。
何かが“通った”形跡がある。だが足跡は薄い。
まるで、風のようにここを抜けた。
「マ、マキア中隊長、これを見て下さい!」
レティナの声は小さく、震えている。
エルサがそちらへ向かい、ショウも呼ばれる。
「ショウ。こっち」
「あぁ。リヴィアもいくぞ」
「はい」
三人がレティナのもとへ行く。
そこには中型のヴォイドが横たわり、腕が手から肩にかけて縦に真っ二つに切られていた。
切断面は、異常なほど整っている。
「これは……明らかに刃物による切断ね」
エルサが顎に手を当て、淡々と言う。
冷静さが、この場の異常を際立たせる。
「だな。明らかに人為的だ」
ショウの顔が、わずかに“楽しそう”に歪む。
危険を嗅ぎつけた獣の顔だ。
(これを人がやったと仮定するなら、化け物だ。
どいつの切り口も同じ。……同じ奴がやった可能性が高い。
一人でこの数を相手にして、俺たちがここに向かってる僅かな時間で倒し切った?
……やべぇ。見てみてぇ。この目で、そいつの剣筋を)
その表情を見て、リヴィアがため息混じりに言う。
「中隊長。良からぬことは考えないで下さい。ここは報告に戻るべきです」
ショウは不満げに口を尖らせる。
「わーってるよ」
だが声は軽くても、目はまだ現場に縛られている。
ショウはそれを断ち切るように、指示を出した。
「よし。街へ戻ろう。念のため、迂回した可能性を潰すために、ふた手に分かれて来た道とは別ルートで戻る。俺とリヴィア、エリーとレティナで別れよう」
エルサがショウを見る。
ほんの一瞬だけ、寂しさが顔に出る。
だがショウはそれを見ていない。視線はまだ、血の上を滑っている。
「了解」
「了解です」
リヴィアとレティナが声を揃えた。
ショウとエルサ、それぞれ馬に跨る。
ショウはリヴィアへ手を差し出した。
「リヴィア、乗れ」
「はい。ありがとうございます」
リヴィアはその手を取り、ショウの後ろへ跨る。
手を取る動作は丁寧だが、内心はきっと忙しい。中隊長の背中はいつだって危険と隣り合わせだからだ。
「マキア中隊長、失礼します」
レティナもエルサの後ろへ跨った。
小柄な身体が震えているのは寒さではない。ここで見た“異常”が、まだ心臓を掴んでいる。
ショウは拳を突き出す。
「エリー。もし手に負えない状況になったら、氷を空に放て。必ず俺が助けにいく。だから絶対に無茶すんなよ」
エルサは顔を赤らめ、少しだけ視線を逸らす。
そして拳で、そっとタッチした。
「えぇ。ショウたちも気をつけてね」
四人はそれぞれ別のルートへ走り出す。
風が血の匂いを薄め、代わりに土と鉱石の匂いが戻ってくる。
だが、違和感だけは消えない。
――この地で、今。
“第七支部でもない何か”が動いた。
ショウは手綱を握りながら、口の端をわずかに上げた。
遊びの笑みではない。狩りの笑みだ。
(来いよ。化け物。
次は、俺の目の前に出てこい)
馬は黙って、街の方角へ駆けていく。




