第十七話 雷の中を歩く者
昼過ぎの光は、乾いた道を白く照らしていた。
セブンスロックから拠点へ向かう幹線は、ところどころ舗装が剥げ、砂利が浮いている。それでも車の振動は一定で、ミラは慣れた手つきでハンドルを握っていた。
助手席のアヤメは、窓の外を見ていた。
遠くの丘、枯れた草の波、風に削られた岩肌。情報は多いのに、世界は静かだった。
その静けさが、ふっと薄くなる。
ミラがアクセルを緩めた。
ブレーキの踏み込みは急ではない。だが迷いのない減速だった。
「……前、見て」
アヤメが視線を上げる。
道路の先――陽炎の向こうに、影が動いている。
一体ではない。数も、速度も、揃っている。
拠点の方向から現れ、こちら――セブンスロックへ向かって進んでいる群れ。
原因は不明。
だが結果だけははっきりしていた。
多数のヴォイドが、セブンスロックを目指している。
そしてその道筋の途中に、ジェイドたちの拠点がある。拠点は“通り道”になってしまう。
さらに悪いことに――拠点を正面から踏む群れだけではない。
拠点の位置をわずかに外れ、道の七割地点を通過する群れもある。今、二人の前にいるのは、その“外れた”方だった。
中型が四体。
小型が二十体。
群れは散らばらない。
狩りのように、移動のように、ただ同じ方向を向いている。目的地がある動きだ。
ミラは小さく息を吸った。
「……この数、やばい。回り道――」
言いかけた言葉が、途中で止まる。
アヤメがシートベルトを外していたからだ。
「アヤメ?」
「ミラ、車で下がって」
アヤメの声は落ち着いている。
落ち着きすぎていて、逆に背筋が冷える。
「待って。さすがに一人は危ない。あの数だよ」
ミラは無能力者だ。
それを言い訳にしない性格ではあるが、目の前の数が“どうしようもない数”であることは理解できる。
アヤメはドアに手をかけたまま、ミラを見る。
「大丈夫。危なくなる前に終わらせる」
「終わらせるって……」
ミラは、声が少しだけ震えるのを自覚した。
止めたい。けれど、止める言葉が見つからない。
アヤメは言葉を足す。
この一週間で、彼女の話し方は少し変わった。端的なままではなく、相手の気持ちに寄り添う“間”が増えている。
「ミラが近くにいると、広くは使えない。だから余計に、距離がいる」
それは合理だ。
そして、ミラが否定できない理由でもあった。
「……分かった。でも、絶対に無茶しないで。お願い」
「うん。約束する」
アヤメは車を降りた。
ミラが次の言葉を探そうとした瞬間には、もう遅かった。
アヤメは道路を蹴り、驚くほどの速度で群れへ向かっていた。
走りではない。
滑るような移動。地面を押す力が過不足なく、無駄がない。
ミラは咄嗟に車をバックさせ、道の端へ寄せる。
エンジン音の向こうで、風の音がする。心臓の音もする。
そして、遠目に――アヤメが群れの百メートルほど手前で止まった。
群れの先頭が、アヤメを認識する。
緩む。
それに合わせるように、群れ全体が同じく速度を落とす。
全標的が、同じ方向へ視線を揃える。
アヤメは、その視線を受け止めたまま、夜天紫蘭に手をかける。
黒い鞘。
金の月と波紋の意匠。
昼の光を受けて、飾りは派手ではなく、硬質な輝きに変わる。
抜刀。
刃は黒い。
刃文には黒紫の波打つ筋が走り、まるで深い水面のうねりのように光を吸う。
次の瞬間、雷が纏わりついた。
音は大きくない。
だが、空気の密度が変わる。
刃に沿って走る細い光。
それが刃の輪郭を“線”として浮かび上がらせる。
さらに、アヤメ自身にも薄く雷が纏う。
皮膚の上ではなく、もっと内側。動きの芯を押し上げるような、淡い膜。
その密度が、アヤメの周り一帯の空気を震わせる。
熱ではない。圧だ。
群れの先頭が、アヤメへ走り出そうとした。
その一歩目――足が地面に着く前に、群れの先頭の動きが途切れた。
前へ出るはずだった力が、行き場を失う。
頭部が、ほんのわずか遅れて傾き、重さに従って落ちる。
断面は驚くほど平らで、そこに“抵抗の痕”が見えない。
恐怖の反応はない。
ヴォイドは怯えない。ためらわない。
次々とアヤメに攻撃を仕掛けるために、動きが加速する。
アヤメは、そこで初めて“戦い”を始めた。
刀で切る相手。
体でいなす相手。
避ける相手。
それを瞬時に分ける。
同時に、最適な動線を判断し、体をそこに置いていく。
先に動くのは思考で、次に体が答え合わせをする。
一つずつ、正しい解が積み上がっていく速度が異常だった。
小型が二体、左右から噛みつくように跳ぶ。
アヤメは半歩だけ軸をずらし、左の一体を“当たらない位置”に落とす。
落ちる先に、すでに刃が通っている。
動きが止まるより早く、刃が帰ってくる。
右の一体は避ける。
避けたのではない。アヤメがそこにいなかっただけだ。
次の瞬間、背後から来た小型の首元に刃が吸い込まれる。
雷は派手に放たれない。
だが、纏われた雷が刃の滑りを一段上に引き上げている。
硬質化した筋肉。
刃が通りにくい装甲のような肉。
それでも――夜天紫蘭は、迷わず入る。
アヤメはその感触で理解した。
強度。しなやかさ。密度。刃の立ち。
“壊れない前提”で作られた刃が、迷いなく仕事をする。
すごい。
息と一緒に、言葉が漏れる。
驚きではない。確認のような声だった。
ミラは遠目で、それを見ていた。
車の窓越しでも分かる。
アヤメの動きは、洗練されている。
無駄がない、という言葉では足りない。
余分がない。躊躇がない。迷いがない。
それなのに、荒々しくない。
「……なんて綺麗なの……」
驚きより先に、その感想が口から出た。
怖いのに、目を離せない。
アヤメが動くたび、昼の光が装飾に反射する。
左耳の水色の石が揺れ、同じ位置のリングがきらりと光る。
首元のネックレスも、呼吸に合わせて細く輝く。
まるで、“私はここにいる”と知らせる印のように。
その煌びやかさと、刃に纏う雷の静かな強さ、そして黒い刀身の重さ。
美しさと恐ろしさが、絶妙に混じり合っていた。
アヤメはすでに小型六体を沈めていた。
「まずは小型を全部、切る」
声は小さい。だが確信がある。
中型が混じる群れの中で、小型が視界と動線を乱す。
それを消せば、中型の大きな動きだけが残る。
中型の大振りな腕が振り下ろされる。
アヤメは跳ぶ。上へ逃げるのではなく、軌道の外へ抜ける跳躍。
そのまま空中で体を回転させ、横並びになっていた小型の首元を二体、同じ弧で落とす。
着地は、敢えて小型の前方。
勢いを殺さず、回転の終わりを横払いに変える。
刃が通る。
頭部が横へずれ、力が抜ける。
通常の武器では通りにくい筋肉が、夜天紫蘭とアヤメの組み合わせなら切れる。
それを“事実”として体が理解していく。
アヤメは水を得た魚のように、縦横無尽に群れを解体していく。
小型は残り十一体。
飛びかかってきた小型を、下から突き刺すように止める。
止めた瞬間、アヤメの体は横に滑る。
刃は横へ走り、腹の線を断ち切る。
そのまま弧を描いて、隣まで来ていた小型の首元を下から切り上げる。
切り上げと同時に軽く跳び、空中へ。
両手で掴もうとしてきた中型が、腕を広げる。
アヤメは空中で体を回し、腕の筋の“つなぎ目”に刃を当てる。
一撃で終わらせない。通る場所を、確実に選ぶ。
腕の動きが鈍り、重心が崩れる。
着地。
倒れ込みかけた中型の首元に、下から刃を跳ね上げる。
動きが止まる。
残り、小型八体と中型二体。
小型が囲むように四体、同時に間合いを詰める。
アヤメは切り上げた夜天紫蘭を、柄を逆手に持ち替える。
短刀のように扱い、横に振り、体ごと回転する。
四体の動きが、ほぼ同時に途切れた。
頭部が遅れて落ちる。
地面に触れる前に、刃はすでに次へ向いている。
上から中型が拳を叩き落とす。
アヤメは一歩で距離を下げる。下がるのではない。“外へ出る”。
拳に対して真っ向から刃を切り上げる。
同時に跳ぶ。
刃の線が拳から肩へ走り、硬質化した部分を貫いて割る。
中型が声を上げる暇もない。
アヤメの刃が、次の瞬間には首元へ届いている。
動きが止まる。
残り、小型四体と中型一体。
中型は、小型の一体を掴み、投げつけてきた。
投擲された小型は、弾丸のように速い。
アヤメは正面から受ける。
刀を横に置き、最短の角度で両断する。
勢いは殺さない。勢いを“次”に使う。
向かった速度のまま、残る小型へ滑り込む。
一体、二体、三体。
動きの切れ目がない。
最後の小型が退こうとする。
だが退く先に、アヤメがいる。
その瞬間に、力が抜けた。
残り、中型一体。
アヤメは呼吸を整え、夜天紫蘭を一旦鞘に収めた。
雷の膜が、薄くほどける。
空気の震えが少しだけ収まる。
中型は、怒りのような勢いで突進してくる。
大きな体が地面を叩き、土埃が上がる。
アヤメは、静かに言った。
「これで終わり」
刹那。
――カチャン。
鞘に収める音だけがした。
Tips
◆ヴォイドについて
【ヴォイド】とはノヴァインパクトを境に世界に発生した未知の生物である。
注目すべきはその恐ろしく強い肉体である。
小型ですら180cmほどの高さがあり、大型となるとその3倍以上のものいる。
また資料にはないが、それ以上のものを見たという噂もある。
また単純にサイズ=強さではない。
小型でも大型以上に強い個体も存在する。
そして、もう一つ留意しなければならないのがその進化の速度である。
ヴォイドは通常の生物とは異なり生物としての適応力が異常なほど高く、既知の生物とは比べ物にならないスピードで進化している。
◆ヴォイドの種類
種類は様々でフォルムだけを見れば主に既知の動物に似ている。
しかし上記で述べたようにフォルムだけで、それ以外まったく違う生物である。
Tips2
小型ヴォイド
体長は高さ180cmほど、全長300cmほど。
ヴォイドの中では1番多く見かける種類。スピード型で知能は低い。突進、噛みつき、爪での攻撃などが主である。ただし、群れを形成した場合は行動が単純ながらも連携が取れるため、油断すると被害が拡大する。
一般兵であれば一体に対して2〜3人、副官で1人で対処できる。
Tips3
中型ヴォイド
高さ300cm前後。
比較的よく出現するヴォイド。危険度で言うと小型よりもスピードは劣るがパワーが段違いとなっている。また小型と違い物を掴んだり投げたりなど、知能も小型に比べると少し高い。また環境を利用した戦闘を行う個体も確認されており、油断すれば中隊規模でも被害が出ることがある。
中型一体に対して副官1人〜2人で対処できる。




