第十六話 黒き刃、名を持つ刻
鍛冶屋の扉を開けた瞬間、金属の匂いと熱の名残が鼻をくすぐった。
奥で燃えている炉の低い音が、床から伝わってくる。
「こんにちは」
ミラがいつも通りの調子で声をかける。
「ああ……お、来たか」
カウンターの奥から顔を出した店主は、そう言いかけて言葉を止めた。
その視線は、ミラではなく――その隣に立つアヤメに向けられている。
一瞬の沈黙。
「……ほう」
店主は、じっとアヤメを見つめた。
服装、髪、耳元の装飾、首元の光。
それだけではない。立ち方や、目線の高さ、空気の纏い方。
「なんだ、雰囲気がずいぶん変わったな」
そう言われて、アヤメは少しだけ戸惑ったように瞬きをする。
「……そう、ですか?」
「うん。前はな、もっとこう……張りつめてた」
言葉を探すように、店主は顎を撫でる。
「今は……そうだな。刃を鞘に収めたみたいな感じだ」
その表現に、ミラが小さく笑った。
「いい例え。今はちゃんと休めてるから」
アヤメは、二人のやり取りを聞きながら、胸の奥が少し温かくなるのを感じていた。
変わった、という言葉に、嫌な感じはしなかった。
「まあ、いい」
店主は咳払いを一つして、話を切り替える。
「約束通りだ。できてる」
そう言って、店主は奥へと姿を消した。
⸻
戻ってきたとき、店主の手には一本の刀があった。
布に包まれているはずなのに、存在感がある。
アヤメは、視線を向けた瞬間に分かった。
――これは、違う。
店主は静かに布を外す。
現れたのは、漆黒の刀身だった。
光を吸い込むような黒。
だが、完全な闇ではない。刃文に沿って、黒紫色の筋が波打つように走っている。
「名前は――夜天紫蘭だ」
店主の声が、少しだけ低くなる。
柄は長く、二十五センチ。
刀身は九十センチの野太刀。
鍔は金色で、細かな装飾が施され、目貫も同じく金。
金と黒だけで構成されたその姿は、派手でありながら、不思議と落ち着いていた。
鞘は黒を基調とし、中心には金色の月。
そこから波紋のように、金の装飾が広がっている。
「店にあった中で、一番硬度が高くなる素材を使ってる」
店主は続ける。
「刃文に入ってるこの黒紫の筋はな、お前さんの雷を通しやすくしてある。しかも壊れにくい」
アヤメの視線は、刃文から離れなかった。
「刀身の密度は、極限まで高めた。でもな、力の逃げ道はちゃんと作ってある」
そこで、店主はアヤメを見た。
「この間の居合を見てな。お前さん、【力】で振るタイプじゃねえ」
アヤメは、少しだけ目を見開く。
「【速さ】だ。抜いた瞬間で、勝負を決める」
その言葉に、胸の奥が静かに震えた。
「だから、そういう設計にしてる」
店主は胸を張る。
「刀身だけじゃねえ。柄も鍔も、全部雷に耐えられる。安心して、雷を纏え」
アヤメは、そっと刀に手を伸ばした。
⸻
柄を握った瞬間、違和感はなかった。
――馴染む。
それが、最初に浮かんだ感覚だった。
ゆっくりと、刀を抜く。
空気が、変わる。
夜天紫蘭。
その名前が、自然と頭に浮かぶ。
同時に、設計が“分かる”。
重心。
密度。
力の流れ。
言葉ではなく、情報として、頭の中に流れ込んでくる。
「……すごい」
思わず、そう呟いていた。
ミラは、その横顔を見て、何も言わずに微笑んだ。
「試し切り、してみていい?」
ミラが店主に聞く。
「もちろんだ」
三人は、前回と同じ裏の広場へ向かった。
⸻
広場に出ると、アヤメは周囲を見渡した。
そのとき、視界に入ったものがあった。
黒い、大きな鉱石。
岩のようだが、違う。
表面は鈍く光り、明らかに密度が高い。
「……あれ」
アヤメが視線を向けるのを見て、店主が頷いた。
「なるほどな」
そして、にやりと笑う。
「嬢ちゃん、前の武器、持ってきてるな」
「うん」
「まずは、それであれを切ってみてくれ」
アヤメは、前の刀を握る。
鉱石を一目見ただけで、分かる。
硬い。
相当だ。
いつも通り、分析する。
太刀筋を決める。
そして――抜く。
ガキィン!!
乾いた音とともに、刀が弾かれた。
アヤメは、目を瞬かせる。
「……弾かれた」
「だろうな」
店主は、満足そうに頷いた。
「よし。次だ」
そう言って、夜天紫蘭を差し出す。
「これで切ってみろ。なんなら、雷を纏わせてもいい」
アヤメは、店主の目を見る。
その視線には、期待があった。
試す、というより――信じている目だ。
「……うん」
受け取る。
まるで、意志を引き継ぐように。
⸻
アヤメは、もう一度構える。
そして、柄と刀身に雷を纏わせる。
可能な限界密度まで。
空気が、重くなる。
「……おい」
少し離れた場所にいた店主が、思わず声を漏らした。
肌で感じる。
異常な雷の密度。
圧力。
冷や汗が、背中を伝う。
ミラもまた、息を呑みながら――それでも笑っていた。
「……ここまでなのね」
そして、小さく。
「すごすぎ」
アヤメは、一度だけ深く息を吐いた。
そして――抜く。
⸻
一秒も経たずに。
カチャン。
鞘に刀を納める音だけが、静かに響いた。
次の瞬間。
黒い鉱石が、斜めに滑り落ちる。
断面は、驚くほど均一で、美しかった。
アヤメは、その光景を見て、確信する。
「……すごい」
手に伝わる感触。
切れ味。
「この刀……尋常じゃないほど、切れる」
店主が、ゆっくりと口を開いた。
「その鉱石な。お前さんの刀身に使ってるやつだ。普通は、切れねえ」
誇らしげに、続ける。
「それをな、嬢ちゃんに合うように調整した」
「……手に、馴染む?」
「うん」
アヤメは、満足そうに笑った。
「ありがとう」
その笑顔に、店主は一瞬、言葉を失う。
「……お、おう」
すかさず、ミラが肩に手を置く。
「見惚れてないで、仕事しなよ」
イタズラっぽく笑う。
アヤメはミラの方を向き、素直に言った。
「ミラも、ありがとう。これで……もっと、守れる」
その無邪気な笑顔に、ミラは内心で悶えていた。
⸻
店内へ戻り、ミラが支払いを済ませる。
「まいどあり!」
店主は、最後にアヤメを見た。
「嬢ちゃん。その武器はな、嬢ちゃん専用だ。他のやつが持っても、意味はねえ」
真剣な目で。
「しっかり、面倒見てやってくれ。おれの子どもみたいなもんだ」
アヤメは、まっすぐに答えた。
「まかせて」
そして、静かに続ける。
「あなたの意志も、刀と一緒に受け取ってるから」
店主は目を丸くし――
「……やれやれ」
照れくさそうに、微笑んだ。
そうして、アヤメとミラは店を出るのだった。




