第十一話 境界線をなぞる者
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最初に聞こえたのは、鉄板を叩く音だった。
短く、切り詰められた警戒のリズム。
訓練場の空気が、一瞬で張りつめる。
「小型、五。西側の斜面から接近中!」
ルカの声が、冷たい風を裂いて飛んだ。
ジェイドが即座に判断を切り出す。
「ガレンは中央で受けろ。ルカは右、エマは左から回り込め。アヤメ――」
名を呼びかけて、一拍置く。
ジェイドの視線が、訓練場の端に立つ少女を射抜いた。
「お前は、まだ待機だ。今回は“見る”方を優先しろ」
アヤメは、静かに頷いた。
「わかった」
刀型ブレードの柄に触れた指を離し、少しだけ後ろへ下がる。
戦線より一歩引いた位置。
そこからなら、全員の動きと、迫るヴォイドの軌道が同時に視界に入る。
灰色の空の下、森の縁で影が揺れた。
細長い四足。
紫がかった皮膚。
骨のような突起を背に生やした、小型のヴォイドが五体、地面を滑るようにこちらへ迫ってくる。
喉の奥から漏れる低い唸り。
そのたびに地面の砂礫が微かに震える。
距離、およそ三十メートル。
突進まで、三秒。
アヤメは、ただ見ていた。
しかしそれは“受動的に眺めている”視線ではない。
足の着地角度。
筋肉の収縮の順番。
前脚と後脚のタイミングのずれ。
ひとつひとつが、「次にどう動くか」の情報に変換されていく。
ガレンが一歩、前に出た。
「正面は俺がもらう!」
両腕に熱が集まる。
火のシックスセンスが、皮膚の下で紅く脈動し、斧の刃に熱量が乗る。
次の瞬間には、先頭のヴォイドと激突していた。
重い衝突音。
火花と、焦げた匂い。
ガレンは斧を振り抜きながら、ヴォイドの前脚を狙う。
その軌道は、真正面から叩き折るには少し浅かった。
(威力は十分。でも、軌道が“安全側”に振れてる)
アヤメは即座に補正値を思い描く。
本来なら、あと三センチ深く踏み込めば、関節の結合部ごと断ち切れる角度。
けれどガレンは、仲間を巻き込まないよう、常に少しだけ余裕を残している。
その結果、前脚は砕けず、骨の表面が抉れるに留まった。
ヴォイドの動きが一瞬だけ鈍る。
その隙に、左側からエマの声が飛んだ。
「ガレン、そのまま動かないで!」
地面がうねった。
エマが突き立てたロッドを起点に、土と砂礫が盛り上がり、小さな土壁がヴォイドの側面に噛みつくように立ち上がる。
足場が崩れたヴォイドが、体勢を崩す。
(支えを奪って、ガレンの負荷を分散させた)
アヤメは、エマの意図をそのままなぞる。
彼女の土壁は攻撃ではなく「負担のコントロール」。
右側では、ルカが冷気を走らせていた。
「“氷縛”――!」
地表に白い霜が一気に広がり、別のヴォイドの脚元を絡め取る。
凍結は浅く、完全には止められない。
だが速度は落ちる。
そこへ、ガレンの炎が横薙ぎに走った。
「まとめて焼く!」
火と氷の温度差で、皮膚がひび割れる。
亀裂から筋肉が露出し、ヴォイドの動きが乱れた。
(シックスセンスの出し方は、どれも効率がいい。でも――)
アヤメは、わずかに首を傾げる。
どの攻撃も、「自分たちが生き残ること」を前提に組まれている。
味方を巻き込まない軌道。
反撃を受けても即死までは行かない距離。
それは正しい。
合理的な戦い方。
だが同時に、どこかに必ず“余白”が残っている。
ガレンの斧の軌道。
ルカの霜の広がり具合。
エマの土壁の高さ。
(この“余白”を全部削れば、多分――)
もっと早く終わる。
もっと大きく敵を削れる。
ただ、そこには必ず「味方が死ぬ可能性」が入り込んでくる。
それは、許されない。
だから、彼らはあえて余白を残している。
それを、アヤメは理解した。
理解したうえで、自分の中に別の計算式を立て始める。
――もし、自分が前に出るなら。
どこを走り、どこで斬り、どのタイミングで雷を使い、どこで止めるか。
足の位置。
重心の流れ。
刀の軌道。
シックスセンスの出力と時間。
頭の中で、戦場の全ての線が、ひとつひとつ最適化されていく。
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小型ヴォイドは、それでもしぶとかった。
ガレンたちの攻撃を受け続けながら、数を減らしていく。
一体、また一体。
焦げた肉の匂い。
砕けた骨の破片。
凍りついた血液が、黒い氷の模様を地面に残す。
やがて、五体いたヴォイドは一体だけになった。
最後の一体は、前脚に深い傷を負いながらも、まだ牙を剥いている。
舌なめずりのような仕草はなく、そこにあるのはただ“機能としての捕食行動”だけ。
ガレンの呼吸が荒い。
額の汗が、焦げ跡に落ちる。
「……さすがに、疲れてきたな」
ルカも肩で息をしている。
霜を連続して張り続けたせいで、指先の感覚が薄れているのが見て取れた。
エマは全身に土埃を浴びて、ロッドを両手で握りしめていた。
土壁を何度も築き、崩され、そのたびに立て直してきた負担が、膝の震えとなって表れている。
そのときだった。
「……ジェイド」
最初に気づいたのはルカだった。
視線を森の奥に向ける。
低い唸り声が、さらに重なる。
「追加が来る。三体……小型。でも、さっきより速い」
木々の影が揺れ、新たな三つの影が現れる。
斜面を蹴り、地面に爪を立てながら、一直線にこちらへと駆けてくる。
ジェイドは一瞬だけ目を閉じた。
ガレンたちの呼吸。
筋肉の動き。
足の運び。
全員の“限界値”を、経験から逆算する。
ここから三体を相手にしても、勝てないとは限らない。
だが――誰かが死ぬ可能性は、一気に跳ね上がる。
その未来を、ジェイドは受け入れられなかった。
「……アヤメ」
名を呼ぶ。
後ろで状況を見続けていた少女が、静かに顔を上げた。
「今から指示を出す。お前は、前に出ろ」
ミラが思わず声を上げた。
「ちょっと待って! アヤメはまだ――」
「まだ“未知”だ。だからこそ、ここで使う」
ジェイドの声は、冷静だった。
迷いはある。だが決断はぶれていない。
「ガレンたちは消耗してる。ここから三体を正面から受ければ、誰かが持たない。アヤメ――お前の力は、もう一度見ている」
中型を、雷膜で消し飛ばしたあの一撃。
あれほどの出力を、制御さえできれば――。
「お前にとっても必要だ。自分の力が、どこまで“味方を傷つけずに使える”のか。確かめるべきタイミングだ」
アヤメは、ほんの少しだけ考えた。
ガレンの肩の上下。
ルカの蒼白な指先。
エマのわずかな膝の震え。
そして、自分の内側に残っている“余裕”。
筋肉はまだ動く。
頭は冴えている。
雷も、“出せる”。
「……わかった」
短い返事のあと、アヤメは刀の柄を握った。
鞘から、金属の擦れる音がする。
刃が抜き放たれる。
その瞬間、空気の密度が変わった。
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アヤメは歩き出した。
最初の一歩は、ただの歩行。
だが二歩目から、速度が変わる。
地面を蹴る角度。
力を伝える筋肉の順番。
呼吸のタイミング。
それらを全て、頭の中で組み上げた“式”に沿って動かしていく。
ヴォイドと自分を結ぶ線。
そこに存在する石や窪みを、全て計算に入れる。
走る、というより「想定した通りの位置に体を置いていく」動き。
ジェイドは息を飲んだ。
ガレンは思わず呟く。
「……なんだ、あの軌道」
ルカは目を凝らしても、アヤメの足がどこを踏んだのかうまく追えない。
エマだけが、わずかに理解した。
「あれ、“一番負担の少ない線”を選んでる……」
最初のヴォイドが咆哮し、牙をむく。
アヤメは、その正面ではなく“一歩ずれた斜め前”に滑り込んだ。
視界の中で、ヴォイドの首の角度が変わる。
その動きから逆算して、次に加わる負荷を予測する。
刀が動いた。
刃は、首ではなく前脚の付け根を斬り裂く。
支えを失った巨体が、自然と自分の重さで傾く。
転倒。
倒れ込む軌道に別のヴォイドの進路が重なる。
一瞬だけ、その脚が止まる。
その“間”に、アヤメは二体目に向けて走る方向を変えた。
雷は、使わない。
今はまだ、必要ないと判断した。
刀と体術だけで十分に処理できる状況。
刀が二度、閃いた。
一度目は、ヴォイドの喉元を浅く裂き、重心をぐらつかせる。
二度目は、その崩れた重心を利用して、頚椎の後ろを断ち切る。
動きは流れるようで、余計な力が一切ない。
まるで最初から、その線しか存在しなかったかのように。
三体目が、横から飛びかかる。
牙。
爪。
筋肉の捻り。
アヤメの頭の中で、その全てのベクトルが数字に変わる。
合力。
衝突角度。
自分が受けられる限界値。
そして――それを“ぎりぎり下回る位置”に、自分の体を置く。
横合いからの打撃を、肩で受け流す。
筋肉はきしむが、骨は折れない。
接触の反動を、そのまま回転に変える。
刀の軌道が円を描き、ヴォイドの背中をえぐり取る。
紫色の体液が飛び散り、地面を汚す。
その頃には、一体目は完全に潰れ、二体目は痙攣を止めていた。
時間にして、数秒。
叫び声を上げる暇もないほどの一瞬。
ただ、戦場の線が――アヤメの通り過ぎたあとに“結果”だけを残して静まる。
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風が吹いた。
血と焦げた肉と、冷えた土の匂いを混ぜて、遠くへ運んでいく。
アヤメは、ゆっくりと刀を振り払った。
刃についた液体が、地面に線を描く。
その表情は、変わらない。
興奮も、恐怖も、達成感もない。
ただ、「計算通りだった」という静かな確認だけがある。
「……終わった」
そう告げる声まで、平坦だった。
ジェイドは、そこでようやく息を吸った。
ガレンは、口を開けたまま何も言えない。
ルカは、わずかに震えた声で漏らした。
「……今の、なんだよ。美しすぎだろ」
エマは、目を伏せて呟く。
「全部の線が……無駄なく繋がってた。あれ、最初から最後まで“正解だけ”なぞってる」
ミラは、ただアヤメの背中を見つめていた。
その背中は、細い。
守られる側だったはずの少女の背中。
けれど今は、そこに“境界線”が引かれているように見えた。
ヴォイドと人間。
死と生。
崩壊と継続。
その境界一つぶんの幅を、彼女がひとりで支えている。
カチリ。
刀を鞘に収める音が、訓練場に響いた。
その小さな音で、ようやく全員が我に返る。
ジェイドは静かに言った。
「……これで、“未知”という言い訳はできなくなったな」
アヤメは振り返り、首を傾げる。
「なにが?」
ジェイドは、かすかに笑った。
「お前が、ここで一番“戦場を理解してる”って話だ」
アヤメは、少しだけ考えてから、短く答えた。
「理解してるだけ。みんなが守ってるから、私が動ける」
それは、彼女にとってはただの事実に過ぎない。
しかしその一言が、ガレンたちの胸のどこかを静かに熱くした。
自分たちの戦いが“前提”になっていること。
そのうえで、アヤメが“最適解”として前に出たこと。
それが、妙に嬉しかった。
ミラは小さく息を吐き、アヤメのそばまで歩み寄る。
「怪我は?」
「してない。許容範囲の負荷だけ」
「その言い方、ほんとやめてほしい」
ミラは呆れたように笑い、それでもその目には安堵が満ちていた。
「……ありがとう。助かった」
アヤメは一瞬だけ瞬きをし、ほんの少しだけ頷いた。
「うん。生き残れた」
それは、彼女なりの理解した“結果”の報告だった。
戦いの後。
焦げた匂いの中で、集落の空気がゆっくりと緩んでいく。
その中心には、一本の刀を持った少女が立っていた。
自分の“異常さ”に気づかないまま。
ただ、与えられた情報をもとに、最適解を選び続ける存在として。
臨界線の上に立ちながら。
その一歩先に何があるのかを、まだ知らないまま。
Tips
所属:なし
名前:ミラ・ハートフィリア
年齢:29歳
性別:女性
身長:168cm
武器:なし
シックスセンス:無能力者
適合率:0%




