それを悪役というのなら
ロザリア・フィナーシェには幼い頃に決められた婚約者がいた。
第一王子ガレアノである。
成長するにつれメキメキと優秀さを発揮しはじめたガレアノは、立太子目前とまで言われていた。
ところが、貴族院に通うようになってから、彼は変わってしまった。
地方からやってきた男爵令嬢リリスと恋に落ちてしまったのである。
最初は友人だなどと言っていたけれど、しかし最早友人の距離感ではないくらいに近づいてしまい、ロザリアが何を言っても煩わしそうにするガレアノはすっかり恋に狂ってしまった。
所詮この関係は決められたもの。
そんな風に言って、ガレアノはロザリアを遠ざけようとする。
婚約者であるという点において、そこに自分の意思はないのだと。
最初こそロザリアは努力をしたし歩み寄りもしたけれど。
取り付く島もないとはまさにこの事、とばかり。
いやもうこれ駄目だわ、とロザリアは見切りをつけたのである。
けれどもロザリアがガレアノを見捨てたからとはいえ、婚約は継続のまま。
王命で結ばれた婚約であるが故に、ロザリアがこの男もう駄目ですと訴えたところで簡単に解消はできないし、それを理解しているからこそガレアノもロザリアを蔑ろにした状態でリリスと仲を深めているのだ。
いずれリリスをどうにかして我が妃にできないものかと画策しつつ。
リリスが暮らしていた領地は言ってしまえば田舎であって、生まれた時からずっと王都生活のガレアノからすれば何もかもが新鮮であった。
幼い頃から彼女が好きだったと言って作ってきたクッキーを口にして、決して王宮では出てこない素朴な味わいを楽しみ、そこから平民の暮らしに興味を持つようになっていった。
王子の側近もまた、リリスの純真無垢な姿に心惹かれたようで、彼らにもまた婚約者はいたもののそちらもガレアノ同様に遠ざけるようになってしまった。
側近の中でただ一人婚約者がいなかったのは、ロザリアの義弟であるジャントットだけだ。
このままいけば、もしかして卒業式の日にでも婚約破棄を突き付けられるのではなかろうか。
周囲は娯楽小説にありがちな展開を想像していた。
まさか現実には起こるまいと思われていた展開が目の前に広がっているのだ。
では、クライマックスとも言えるシーンが現実に起こらないとどうして言えよう。
お労しやロザリア様……と周囲の者たちの反応は、ガレアノやその側近に対する落胆とそれでもなお彼を支えんと努力するロザリアや、側近の婚約者にされてしまった令嬢たちへの同情が多い。
同時に、いずれはガレアノを中心に国を導いていくであろう彼らの未来を駄目にした元凶とも言えるリリスへの悪感情も芽生えていた。
ロザリアは別にリリスを娯楽小説にありがちな展開のように虐めるなんて事はしていなかった。
取り巻き――という言い方もどうかと思うが、同じ派閥の友人たちや、寄子でもある家の者たちがリリスに対して不快感を持って多少の嫌がらせをした事もあるようだが、しかしそれをロザリアのせいにされても困る。
きっとロザリアさんが私の事を……なんて同情を引く形でリリスがガレアノに訴えた事も理解はしている。
そしてその言い分を聞いてこちらの言い分を聞かず、暴走状態にあるガレアノについてもロザリアは充分に把握していた。
だからこそ。
「本当にどうしようもないわね。もういらないわ、アレ」
そんな風にロザリアが漏らすのも仕方のない事だった。
さてその後の話ではあるけれど。
ガレアノが死んだ。
下手人はリリスである。
いや、リリス本人は否定しているが、しかし状況証拠的に彼女しか犯行に及んだ者がいないのである。
殺人は重罪。しかも相手が王族となれば最早言い逃れはできないし、極刑待ったなしである。
自分じゃない。違う。信じて。
そう訴えるリリスは大勢の前で処刑された。
ガレアノの側近たちは、ガレアノを害する相手を近づけた事から重い処罰を受ける事となった。
ただ一人、ジャントットだけを除いて。
彼は婚約者がいなかった事もあって、婚約者相手に不誠実な態度を取ったわけでもなければ、一応ガレアノに対して時々苦言を呈する事もあったのだ。
ただ、他の側近たちと比べて年が一つ下というだけで、その発言も軽んじられていた。
それに、側近たちの不誠実な態度や行いの数々を証拠として、彼らの婚約者であった令嬢たちに渡していた事もジャントットだけは何とかしてこの状況を打破しようと足掻いていたと見なされたのである。
そうでなくとも、ジャントットは義姉であるロザリアの事をガレアノの婚約者として相応しくないなどとは一度も言わなかった。むしろ二人の仲を改善させようと奮闘していた様子を周囲は目撃している。
あまりしつこくやればガレアノがジャントットを遠ざけるだろう事がわかりきっていたために、程々であった……という事実を周囲が把握しているかまではさておき。
立太子する前であった事から、ガレアノの死後、第二王子ジュナンが王太子に正式に決まった。
リリスと出会う以前であればガレアノこそが相応しいとされていたが、リリスと出会った後のガレアノを見ればとても彼を王太子とするには……となって密かに多くの貴族たちが第二王子派閥に移っていたので、特に揉める事もなかった。
「――成功しました。褒めてください姉上」
「よくやりました。流石はわたくしの優秀な弟です」
ふんす、とばかりに胸を張るジャントットを、ロザリアは大きな犬を撫でる要領でよーしよーしと頭をぐしゃぐしゃにした。
整えられていた髪がぐしゃぐしゃになっても嬉しそうに笑うジャントットに、やっと終わったわぁ……とロザリアも肩の荷が下りた気分である。
ガレアノが死んだのはリリスのせいだとされているが、真実は違う。
ロザリアとジャントットの暗躍によるものだ。
ロザリアからすれば、リリスを愛妾にするくらいであれば目を瞑った。けれども自分を陥れて彼女を妃にしようなどと考えた時点で最早彼が王として相応しいかと言われれば、否。
それでも彼がまだ真摯に自らの父に訴えて、どうにか婚約を解消してこちらの家にもそれなりの詫びがあれば思う部分があっても許せたかもしれない。
だが実際はそうではなかったからこそ。
アレを次の王にはできないし、だったらいらないわ、となったのである。
ロザリアが王妃となればこの家の跡継ぎがいなくなるからこそ、ジャントットは親戚の家から引き取られた。
けれどもロザリアとガレアノの婚約が解消されれば、ジャントットの跡取りの座もなくなる。
けれどジャントットは過ごしていた領地に好きな相手がいたので、正直公爵家の跡取りとか面倒だしヤだなぁ、と思っていたのだ。
まぁ引き取られた以上は文句も言えぬ。頑張るけど……と消極的にながらも努力はしていたし、言ってしまえば義姉であるロザリアも別に王妃になりたいわけではなかった。
ガレアノの事が好きだったからこそ、努力していた部分もある。
しかしロザリアが好きだったガレアノは、リリスと出会った事で死んだ。
最早そこにいるのはガレアノの姿をした別の生命体である。
そんな相手のために、頑張るのもそうだが、自分の時間を一秒でも使いたくなかったのだ。
ガレアノが失脚すれば、第二王子ジュナンにその座が移るのはわかりきっていた事だった。
そしてジュナンには既に婚約者がいる。彼が立太子したからとて、その婚約が解消される事はない。
ロザリアの婚約者にスライドして……とはならないのだ。
あんなのの妻になるくらいなら家を継いだ方が千倍マシなロザリアと、できれば領地に帰って想いを寄せた相手と結婚して慎ましやかに暮らしていきたいジャントット。
二人の利害が一致してしまったのである。
計画が成功すれば、ジャントットはこの家の跡継ぎの座を失うが、しかしそれは自分の失態によるものではない。仮に家に戻されたところで、今までの労力に見合うものは与えられる事が決まっていた。
ロザリアの両親がそういった事をしなくても、ロザリアがそれを約束したのだ。
だからこそ彼はガレアノの側近として近くにいたからといっても、決してロザリアの事を悪く言わなかった。ガレアノや他の側近たちがロザリアの事をみっともなく婚約者の座にしがみつく惨めな女だと蔑もうとも。
ガレアノたちも、ジャントットがロザリアを悪く言わないのを理解していたが、それは己の立場故、言いたくとも言えないのだと思っていたようなので無理に言葉に出すような強要もされていない。
彼は側近として近づいて、ガレアノに度々行いを改めるように言っていたし、他の側近の婚約者たちが婚約を破棄しても不利にならないような証拠をいくつも集めてきた。それもあって、ガレアノが死んだ時、彼はそこまでお咎めがなかったのである。
何故って、リリスが手作りクッキーを渡した時も、毒味もなしに口にしてはいけないだとか、そもそもそういう物を受け取るべきではないだとか。散々注意をしていたのだ。邪魔に思われない程度に。
なのにそれを無視していた以上、ジャントットに非はない。
無理矢理奪い取れば、その時点でガレアノがどういう行動にでるか。
それを想像すれば、ジャントットはできる限りで精一杯頑張っていた、と周囲だってわかっているので。
ガレアノが死んだ理由は、まさにそのリリスが作ったクッキーである。
王都の人気の菓子店で売られているような物とは異なる素朴な味のクッキーは、愛する女が作ったという付加価値もあってすっかりガレアノのお気にいりだった。
ナッツやドライフルーツの混ざったクッキー。混ぜ込むものによって味の異なるクッキーは、言ってしまえば異物混入するのにうってつけでもあった。
リリスは側近たちにも度々そのクッキーをおすそ分けしてきた。
だからこそ、ジャントットも一応食べた事がある。
その上で彼は。
リリスが作るクッキーに似せて、毒入りクッキーを作り上げたのである。
シンプルでありながら、ワンポイントに可愛らしさを見せるラッピングをして、そこに、
「ガレアノ様へ、お勉強の合間に食べて下さいね」
とこれまた可愛らしい文字でもって偽のメッセージカードを作ったのはロザリアである。
リリスのノートをそっと失敬して彼女の文字の癖を真似て仕上げた。
そんな場面で発揮しなくても……と言いたくなる優秀さを遺憾なく発揮したロザリアのメッセージカードは、偽物だとバレる事がなかったようだ。
それをこっそり隙を見てガレアノの手に渡るようにしておけば、城に戻ったガレアノが好きな女のサプライズに微笑ましく思いながらも口にして、そうして次の日に「美味かった」と言うために、リリスを喜ばせるために食べるだろう事は想像がつく。
そうして、偽物である事など気付きもしないまま、彼は毒入りクッキーをなんの警戒もなく口にしてしまった。
それが、ガレアノの死の真相である。
処刑の間際、リリスがロザリア様が何かを仕組んだに違いないの! と叫んだところで、ロザリアはとっくにガレアノから距離を置かれていて近づく事もできていなかった。
ジャントットとロザリアは義理の姉弟ではあるけれど、学院内での立ち位置から二人の関係は良好とは思われていなかった。ジャントットはロザリアの事を堂々と悪く言う事はなかったが、態度は関わらないように、と素っ気なくしていたので実は屋敷では仲良しで、二人結託してガレアノを殺したなんて想像、誰もしなかったのだ。
ジャントットがロザリアと手を組んで何かしたに違いない、と思うには、学院での二人の態度を見れば有り得ないなと思えるものだったのだから。
もし王家が影をつけていたのなら失敗した可能性は高いが、しかし側近たちがいて、ガレアノとリリスの関係は学院内だけのものだったからこそ。
ロザリアが強く訴えればもしかしたら影をつける事になったかもしれないが、学院内部は基本的に安全であるという認識が強かったために、そこまでの必要はないとされていたのだ。
リリスがガレアノと距離を縮めた時、一応彼女の事は調査されている。
もし他国と繋がりがあるようであれば、警戒されていたかもしれない。
しかし、そんな事は一切なかったからこそ、影をつけてまで見張るものでもない、と判断されてしまった。
結果的にロザリアとジャントットの思惑通りに事が進んだという次第である。
「邪魔者は消えた。ガレアノ殿下よりもマシなジュナン殿下が立太子した。国から見れば良い事ね。
国王陛下と王妃様には……まぁ、不幸で悲しい出来事だったかもしれないけれど」
「でも王族なんて危険がたくさん潜んでるんだから、死ぬかもしれない事は想定済みだよ姉さん。
だからスペアとして子供を作ってるんだから」
「それもそうね。うちはそのスペアができなかったから、貴方を養子にしたわけだけど」
「でも、姉さんの結婚が白紙になったんだから、僕はお役御免だ」
「えぇ、向こうに戻って……貴方の好きな人は、大丈夫なの? もう既に他の相手が……なんて事は?」
「大丈夫。ガレアノ殿下があの女と距離を縮めた時点で廃嫡の可能性を見越して手紙を出してあるから、待ってもらってる。抜かりはないよ」
「流石ね」
ジャントットはそういった先を見越す事が得意だった。だからこそ、ロザリアが嫁に行った場合、この家を継ぐ者がいなくなるとなった時に彼が養子に選ばれたのだが。
「それじゃあ後の問題は私の結婚相手を新たに見つけないといけないって事だけね」
それを考えると、中々に憂鬱である。
今から良いお相手を探すにしても、既に大抵の相手は婚約者がいるのだ。
今回の婚約がなかった事になって瑕疵がないとはいえ、それでもそう簡単に相手が見つかるとは思えない。
それをわかってはいるが、しかしだからといって妥協もしたくなかった。
折角解放されたのに、次の相手がガレアノとは別ベクトルでダメな男だったらガレアノ以上に悲惨な末路を用意しないといけない。けれどもそれを考えて実行するのだって、中々に面倒なのだ。
溺愛しろとまではいかないが、それなりにお互い想い合って尊重できる相手と結婚したい。
それくらいの夢を見たっていいはずだ。
「姉さん」
それでもそう簡単に次が見つかるとは思えず、つい溜息を吐いた直後にジャントットに呼ばれる。
「なぁに? 今回のご褒美は用意してあるからそう急がなくても」
「辺境伯にも手紙を出してあるんだ。
で、向こうは色よい返事をくれたよ」
「え?」
「あれこれ理由をつけて結婚してない辺境伯のところのセイレスは、姉さんを待ってる。
学院で起きた事は大体報告してあるから、ガレアノ殿下と姉さんの関係が破綻寸前だって事も把握してるし、それもあって向こうはタイミングを窺ってた。
だからね、姉さん。
姉さんが頷けば、晴れてセイレスと結ばれる事ができるんだよ。セイレスも待っていたからこそ、あの人は跡を継がないでいつでも婿入りできるよう準備を整えてたんだから」
「は」
ジャントットが何を言っているかわからなかった。
王命でガレアノと婚約が結ばれる前。
年上の辺境伯家の令息でもあるセイレスに確かにロザリアは恋をしていた。
恋といっても、幼さ故の憧れもあっただろう。
けれど、ガレアノとの婚約が結ばれた以上、その幼い頃からの初恋は封印するしかなかった。
彼は素敵な人だから、あっという間に誰か――自分以外の素敵な人を選んで、そうして仲睦まじく過ごしていくのだと思っていた。
ちょっとでも彼の情報を得てしまえば、想いが燃え上がりそうで。
だからこそ、意図的に目を逸らし続けていた。
手紙のやりとりだってしていない。
不貞を疑われてしまえば、ロザリアの立場も危ういし、そこに彼を巻き込むなんて以ての外だったからだ。
それでも、家同士の関係から時々来る手紙が待ち遠しくて。
何の変哲もない、当たり障りのない内容ですら愛おしくて。
色々と、彼が理由をつけて結婚していない事を知ったのはガレアノとの関係が冷え込んでからだが、ロザリアはその理由をそのまま受け止めていた。
だから、ガレアノとの関係が終わった後でも、自分が彼の隣に……とはならないのだろうなとも。
「なんだったら釣書も預かってる。ほら」
言われて差し出されたそれを、震える手で受け取って。
「ほんとだわ……」
「ね、嘘じゃないでしょ?」
「夢じゃない……?」
「ちょっと早いけど言わせてもらうね。おめでとう、姉さん」
この義弟が一体どんな内容でロザリアの事を伝えたのだろうか、だとか、もしかして恥ずかしい内容とか失敗した事とか、書いてないだろうか、だとか。
色々な事が駆け巡ったけれど。
それでも、お幸せに、と付け加えられた事でじわじわと諦めていたはずの未来を掴み取る事ができるのだと実感して。
「あぁもう! 本当に貴方って最高の弟だわ!」
感極まって抱き着いてしまったのは仕方のない事だった。
次回短編予告
予想外の方向から王子との婚約を結ばされてしまった令嬢は、だがしかしそんなものを望んでいなかった。それでも上から言われてしまえば拒否もできない……が、最低限の望みくらい、願ったっていいでしょう?
次回 事前契約に則りまして
もし彼が何かをやらかしたとして、私が手を下す必要なんてどこにもないのです。
あっ、次の話も王子が死にます。




