プロローグ
「緑川さん、三番の診察室までお願いします」
待合室にアナウンスが流れる。
「繋、行くよ」
絵本を読んでいた繋は顔を上げ、母に手を引かれ病院の廊下を進んだ。
大きく『③』と書かれたドアを開けると、中には白衣を着た中年の男と看護師と思われる中年女性が待ち構えていた。
「緑川さんですね。こちらにおかけください」
白衣の男と向かい合うように二脚の椅子が用意されている。繋の母は繋に座るよう促し、自身も荷物を膝の上に乗せて腰を掛ける。
「魔法小児科の遠藤と申します。よろしくお願いします。本日はどうされましたか?」
「はい、私の息子の繋のことなんですけど、もう五歳になるのに魔法を使う兆しがないんです。生まれた時の検査で能力者であると言われたのに一切使わなくて……何かの病気なんでしょうか」
現代社会に生きる約半分の人間は能力者と呼ばれ、何らかの魔法を使うことができる。能力者であるかどうかは生まれた時点で先天的に決まっている。
魔法は、子供が成長とともに話せるようになったり歩けるようになったりするのと同じように、自然と使えるようになるものだ。
能力者の子どもは四歳を過ぎたあたりから勝手に魔法を使い始める。子供に魔法に関する教育を行うのは難しく、それは能力者の親にとっての共通の悩みだ。
緑川 繋は、来年からは小学校に入学する。にもかかわらず魔法を使って見せたことが一度もない。
「なるほど、繋くんのお母さんやお父さんは能力者ですか?」
「はい、私も夫もそうです」
「どういった魔法を使いますか?」
「私は一般的な刀剣魔法で細めの剣を出せます。夫は銃魔法を使えます」
遠藤は、繋の母の話を聞きながら素早くタイピングする。
「なるほど、魔法というのは遺伝することが多いので、繋くんも刀剣魔法と銃魔法が使える可能性が高いのですけど、小さい棒状のものを生み出したりとか、そういう兆しはありませんか?」
「いえ、繋にも聞いてみたんですけど、特に反応はなくて」
繋の母が話し終えると、遠藤は体を繋の方へ向け、口角を上げた。
「つなぐくん、最近手から何かを出せたり空を飛べたりできるようになったかな?」
遠藤の問いかけに、繋は首を横に振る。
すると、遠藤は看護師の女性にスポンジで出来たおもちゃの剣や水鉄砲を持ってこさせた。
「つなぐくん、手のひらを出してみて」
繋は言われるがまま遠藤に両手のひらを見せた。
「おじさんが持ってるこの剣とかてっぽうを自分の手のひらの上に作ってみて。できるかな?」
繋はどうすればいいか分からず母を見ると、繋の母は小さな声で「つなぐ、やってみて」と言った。
繋は頭を悩ませながら自分の手のひらの上に剣が乗っていることを想像する。しかし、何も起こらない。
繋が困った顔で遠藤を見ると、遠藤は優しく微笑んだ。
「変なこと聞いてごめんね、もう大丈夫だよ」
遠藤はそう言って繋の母の方に向き直った。
「反応がないですね。繋くんが間違いなく能力者であるならば考えられる原因は二つです。一つは繋くんの発達が同年代のこと比べて遅れていること。これならば時間が解決してくれるでしょう。もう一つは、使える魔法が刀剣魔法や銃魔法ではないということ。両親と異なる魔法を使う子どもは魔法のイメージを持ちづらく、上手く使えない場合があります」
繋の母は不安げな表情で遠藤の話を聞いている。
「何か解決策はありませんか?」
遠藤はパソコンの画面を見ながら少し考える。
「一番手っ取り早い方法は、繋くんに魔法判別検査を受けてもらう事ですね。今の技術なら採血や脳波測定といったいくつかの検査でその人がどういった魔法を使うのかを判別することができるんです」
遠藤が一枚の紙を見せながら説明をした。繋の母は説明を聞きながらじっくりと資料を読み込んでいる。
「この検査、受けさせたいのですけどこの病院で受けることは可能ですか?」
「はい、可能ですよ。今日でしたら患者さんも少ないので準備ができ次第すぐに受けられると思います。ただ、検査料がかかりますがその辺りは大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です。お願いします」
「分かりました。では手続きをした後お呼びしますので、待合室でお待ちください」
繋と繋の母は待合室へと戻る。
「繋、もうちょっとかかるみたいだから絵本読んで待っててね」
繋の母は病院から貸し出されている絵本を繋に渡した。
繋が普段滅多にお目にかかれない飛び出す絵本だ。
「あと、これから検査でお注射打つと思うけど、我慢してね」
家や幼稚園では読めない飛び出す絵本に夢中になっている繋は、母の言葉を聞いていない。
三十分後、繋が検査のために呼び出された直後、病院のフロア中に繋の泣き声が響き渡った。
さらに三十分後、繋と繋の母は再び診察室へと呼び出された。
繋はまだ半べそをかいている。
「緑川さん、繋くんの使用できる魔法が判明しました。今から説明することは緑川さんがよく覚えておいてください」
先ほどとは違い、診察室に緊張感が充満している。
遠藤の予想外な態度に、繋の母は思わず唾を飲み込んだ。
「は、はい」
「まず結果からお伝えします。繋くんの魔法は『隷属魔法』というものです。これは非常に珍しいもので、この魔法を使える人間は恐らく日本に繋くんただ一人でしょう」
「れいぞくまほう、ですか?」
繋の母は、聞いたことの無い言葉で思わず復唱してしまう。
現代社会で魔法と言えば、繋の母が使う刀剣魔法や父が使う銃魔法といった何らかの武器を生み出すものや身体能力を強化する強化魔法、身を守る防御魔法など、数種類に限られる。隷属魔法なんていうものは見たことも聞いたことも無かった。
「恥ずかしながら私も文献での記述でしか知らないのですが、この隷属魔法というのは希少であり、何よりどんな魔法よりも危険なものです」
遠藤の真剣な説明を繋の母は黙って聞く。
「この魔法は端的に言うと人を操る魔法です」
「人を操る魔法、ですか?」
繋の母はあまりにも現実味の無いことを言われ、また聞き返してしまう。
「はい、繋くんはまだ子どもなので問題ありませんが、悪意のある人間が使えば国を揺るがすことも可能、それくらい危険な魔法です」
遠藤の淡々とした説明が、嘘偽りが一つもないことを語っている。
「繋がそんな力を、どうして……」
繋の母はまだ理解が追い付いていないようだ。
「緑川さん、心して聞いてください。繋くんには何の罪もありませんが、繋くんの力は大いなる危険を孕んでいます。繋くんには魔法に関するしっかりとした教育が必要です。これからそのことについて話し合いましょう」
繋の母は不安な表情を浮かべながら遠藤の話に耳を傾けた。
「それと、念のためこれからの方針に関する話は繋くんに聞かせないようにしましょう。いいですね?」
「はい、大丈夫です」
繋の母の言葉を聞き、遠藤は看護師の女性に合図を出した。女性は繋に歩み寄る。
「つなぐくん、おばさんと一緒にあっちのお部屋で遊ぼうか」
看護師の女性は半ば強引に繋を診察室の外へ出そうとする。
「やだ! ママ!」
急に注射を打たれ、自分は蚊帳の外で大人同士が会話を進め、終いには訳が分からないまま母親と離される。
幼稚園児の繋は不安な気持ちに襲われ、泣きながら母親に助けを求めた。
「繋、ちょっとだけあっちで遊んでてね」
繋の叫びは母には届かず、診察室から追い出される。
再び、病院のフロア中に繋の泣き声が響き渡った。
十五分後、病院にある子供の遊び部屋には看護師の女性から見たことも無い飛び出す絵本を貰い、ニコニコとしながら読み進める繋の姿があった。




