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精霊王の領域

 隣国軍の崩壊は、ソフィアの想定通り、ゴーバン王国内に混乱と希望を同時にもたらした。

 戦況が反転した理由は、誰にも分からない。

 だが、分からないからこそ――人は、都合のいい答えに縋る。

 王太子アルフォンスは、その中心にいた。


「……やはり、あの力しかない」


 彼は確信していた。

 ソフィアを連れ戻すことこそが、唯一の解決策だと。

 聖女が戻れば、国は立て直せる。

 自分の判断は、間違っていなかったことになる。


 そう信じるために、彼はかつて彼女を捨てた鮮血の森へ使者を向かわせた。


 ※※※



「……おや? 誰もいないじゃないか」


 使者たちが辿り着いたのは、森の奥にひっそりと佇む一軒の小屋だった。

 木々が密集するこの一帯で、人が暮らせそうな場所は他に見当たらない。

 彼らは当然のように、追放された少女――ソフィアが、今もここで息を潜めて生きているものと考えていた。


 だが、扉の向こうに人の気配はない。

 生活の痕跡は残っているのに、肝心の“主”だけが不在だった。


「……いないな」


「もう死んだんだろう。忌み子が本物の聖女だったなど、あり得ない。アルフォンス様の思い違いだ」


「あれ? でもこの森、まだ奥の方に何かあるぞ。洞窟か?」


「ここ探しても意味なさそうだから、そっちに行ってみようか」


 そう言って、二人は警戒を解いた。

 これ以上、この場を調べる意味はないと判断し、目の前の洞窟に向かって歩を進める。

 不運にも、進んだ先は“正解”だった。

 気づかぬまま、彼らは聖域へと近づいていた。

 その判断が、取り返しのつかない境界を越えたことに、彼らはまだ気づいていなかった。



『――止まれ』


 唐突に、声が響いた。


 前方の空間が、わずかに歪む。

 道はある。結界も見えない。何かに触れた感触すらない。


 それでも、足が前に進まなかった。



「……おかしい」


 視界に異常はない。

 魔力の反応も、感じ取れない。


 それでも、森の奥へ進もうとした瞬間――


『――これ以上、近づくな』


 声が、直接、頭の中に響いた。


 悲鳴を上げる間もない。

 魂の奥を撫でるような圧が、全身を貫いた。


『我が女王の領域を、踏み荒らすな』


 見えない。

 触れられない。

 だが、確実に、そこに在る。


「何者だ!」


 使者の一人が、剣に手を掛ける。


「王太子アルフォンス殿下の命により来訪した! 姿を現せ!」


 沈黙。

 次の瞬間、剣に指が掛からなかった。


「……っ!?」


 力を込めても、鞘から一ミリも動かない。

 いや、違う。

 剣そのものが、そこに“存在しなくなっている”。


「な、何を――!」


 慌てて周囲を見渡した使者たちは、同時に気づいた。

 剣だけではない。

 鎧、装飾、金属製の留め具。

 鉄という鉄が、音もなく消えていた。


「……魔術か?」


 震える声で問いかけた瞬間、


『違う』


 空間そのものが、答えた。


『ただ、許可していないだけだ』


 使者たちは、理性よりも先に本能で理解した。

 この先に進めば、死ぬ。

 圧が落ちる。

 重いのではない。

 苦しいのでもない。


 “ここに居ていい存在ではない”と、魂に直接告げられる感覚。


「――ッ!」


 一人が膝をついた。

 続いて、もう一人。

 呼吸が、できない。


『人の理で測るな』


 淡々とした声。


『我は精霊王。この領域では、意思が先にある』


 反抗する意思が、霧散していく。

 恐怖ですらない。

 ただ、抗うという選択肢が最初から存在しなかった。


『戻れ』


 それだけだった。


 次の瞬間、圧は消えた。

 使者たちは、転がるように森を駆け出した。

 振り返る者はいない。

 王都へ持ち帰られた報告書には、こう記されていた。

 『――そこには、神でも悪魔でもない、

 理解不能な存在がいる』


 ※※※


「……失敗、か」


 報告を聞いたアルフォンスは、机に手をついた。


 公爵夫人は、顔色を失っている。


「殿下……もう、関わるべきではありません……」


 それは進言ではない。

 自己保身だった。

 公爵は、何も言わない。

 すでに、逃げる算段を始めている。

 だが、アルフォンスだけは違った。


「精霊王……」


 その言葉を、噛みしめるように呟く。


「ならば尚更だ」


 瞳に宿るのは、恐怖ではない。


「拒絶されたのではない。こちらが“正しい手順”を踏んでいなかっただけだ」


「力ある王が、いきなり頭を下げる相手を迎え入れるはずがない。あれは、条件を示せという合図だ」


 彼の口元に、わずかな笑みが浮かぶ。


「精霊王も、王である以上、理解できる。力には代価が必要だ。そして、その代価を差し出せるのは、国を持つ者だけだ」


 恐怖はない。

 あるのは、歪んだ確信だけ。


「その力を手に入れれば、私は――」


 彼は、最後まで言葉にしなかった。

 だが、その先にある野心と欲望は、周囲に十分すぎるほど伝わっていた。

 精霊王を“理解したつもり”でいることに、

 アルフォンス自身だけが気づいていなかった。




 ※※※


 使者たちが森を逃げ去ったのを、監視の湖で確認してから、しばらくの間、私は言葉を失って立ち尽くしていた。

 胸の奥に残っていたのは、安堵よりも先に来た、別の感情。


(……本当に、入れさせなかった)


 追い払った、ではない。

 拒絶した、でもない。

 最初から「来られない」と示した。

 それが、どれほど異質なことか、ようやく実感が追いついてくる。


 私は、ゆっくりとクレイを見上げた。


「……ありがとう」


 声が、思ったよりも静かに出た。


「もし、あの人たちが……この聖域に入ってきたらって、考えてしまって」


 無意識に、指先が震える。


 王族として。

 正当な顔をして。

 また私を、当然のように扱う。

 そんな光景が、何度も頭をよぎっていた。


「……怖かったの」


 短い告白だった。

 クレイは、すぐには答えなかった。

 ただ、私の前に立つ。

 視線が合う。


「二度と、そんな目には遭わせない」


 淡々とした声音。

 だが、それは誓いではない。

 事実の宣告だった。


「お前は、もう取り戻される存在じゃない。ここは、俺の領域だ」


 その一言で、胸の奥に溜まっていたものが、音もなくほどけていく。

 私は、深く息を吸った。


「……クレイ」


「何だ」


「あなたが精霊王で、本当によかった」


 尊敬と、感謝と、安堵。

 全部が混じった言葉だった。

 クレイは、わずかに目を細める。


「俺が王だからじゃない」


 一拍置いて、続ける。


「お前が、ここを選んだからだ」


 その言葉が、何より心強かった。

 私は、静かに頷いた。



 ※※※


 ソフィアが寝静まった頃、クレイは、監視の湖に映る王都を一瞥した。

 一度追い払った程度で、あの国が諦めるとは思っていない。

 王族とはそういう生き物だ。

 欲しいものがあれば、手段を変えてでも手を伸ばす。


 ――それなら、話は早い。


 近づかせればいい。

 自分から。

 完膚なきまでに叩き潰すには、力よりも欲を使う方が確実だ。


「宝石と、水だな」


 富と、寿命。

 人間が最も愚かになる二つ。

 それを目の前に置けば、

 あの王太子は、必ず手を伸ばす。


 その時こそ、本当の意味で終わらせる。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


少しでも面白いと感じていただけましたら、

ブックマーク登録やポイント評価をしていただけると、

今後の執筆の大きな励みになります。


続きも順次更新していきますので、

引き続きお付き合いいただければ幸いです。

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