世界が祝福した日
ソフィア連邦の女王、そして精霊王妃である私、ソフィア・リンフォードの懐妊が公表された日。
それは、ただの慶事では終わらなかった。
人間界と精霊界、その両方にとって。
それは「時代が切り替わる合図」だったらしい。
クリスタルパレスの外では、世界中から集まった使節団が、地平線の向こうまで列を成していた。
黄金の箱。
伝説級の魔具。
神話の生き物の繊維で織られた布。
だが、パレスの門は一度たりとも開かなかった。
「そこに置いて、立ち去れ。女王に近づくな」
門前に立つクレイの声は、冷え切っている。
怒りでも、威圧でもない。
ただ、当然の判断だった。
「それは人間が作った物だ。人間の欲と祈りと下心が染み込んでいる」
クレイは一瞥すらくれず、続ける。
「今のソフィアは、世界そのものだ。その身に触れていいのは、精霊界で清められたものだけ」
献上品がどれほど希少であろうと、意味はない。
それを受け取るという行為そのものが、“人間界の意志を女王に近づける”ことになる。
「私は、可能性ごと排除する」
門は閉ざされたまま。
それは拒絶ではなく、
精霊王としての“安全宣言”だった。
※※※
私は、パレス最上階の《愛の聖域》で、静かにその様子を聞いていた。
「クレイ……少し厳しすぎない?」
寝椅子に身を預けながらそう言うと、彼は即座に私の前に膝をついた。
「厳しい? いいや、足りないくらいだ」
私の手を取り、何度も口づける。
「今のお前は、世界で最も壊れやすく、最も尊い存在だ。他者の善意など、不要だ。お前に触れるものは、私が選ぶ」
彼の視線は、私の腹部へと落ちる。
そこに宿る命を、まるで神域そのもののように扱う眼差しだった。
「……苦しくないか? 痛みは? 魔力の流れは乱れていないか?」
「大丈夫よ」
そう答えて、彼の手をそっと腹に導く。
――ポコッ。
小さな、確かな感触。
「……!」
クレイの動きが止まった。
「今……応えた……?」
その瞬間、パレス全体の魔力が脈打った。
壁の結晶が淡く輝き、空気が祝福の色に染まる。
「ソフィア……」
彼の声が、かすかに震える。
「私は、この奇跡を守るためなら、世界を敵に回す。
この子が生まれる日、世界は“選ばれる側”になる」
それは予言ではない。
精霊王としての、確信だった。
※※※
外では、シエルが、ソフィアやクレイに代わってすべての対応を引き受けていた。
「献上物は宝物庫の最下層へ。女王様が必要とされるその日まで、封印扱いだ」
感情を挟まない声で、シエルが指示を飛ばす。
それは拒絶ではなく、徹底した遮断だった。
パレスの周囲には、数万の影の精霊が展開されている。
彼らは命令を待たない。
“女王に害をなす可能性がある”と判断された瞬間、
その存在は、近づく前に排除される。
それが、エリスティア連邦の現在の防衛基準だった。
一方――
旧王国。
崩れた王宮跡で、アルフォンスは石を刻んでいた。
女王の懐妊を讃える記念碑。
そこに刻まれる文字は、彼自身の断罪でもあった。
「ああ……ソフィア……」
震える声は、誰にも届かない。
「黙って刻め」
レオンハルトの声が、容赦なく落ちる。
「お前は記録だ。“捨てられた聖女が、世界を救った”という事実を刻むための」
アルフォンスは泣きながら、
自分の名が“過去の愚行”として残るのを見つめ続けた。
※※※
夜。
私はクレイと共に、庭園の《月の雫の池》にいた。
水面に触れると、小さな精霊たちが集まり、
静かな旋律を奏で始める。
「ねえ、クレイ……」
「何だ」
「こんなに幸せで、少し怖くなる時があるの」
彼は即座に、私を抱き寄せた。
「恐れる必要はない。お前は、これからもっと幸せになる」
耳元で、低く囁かれる。
「世界がどうなろうと関係ない。私は、お前とこの子を独占する。それが、精霊王としての“正しい在り方”だ」
私は、その腕の中で目を閉じた。
創造の力は、今や世界のためではない。
私と、クレイと、この子を守るための力になっている。
「……ええ。私も、あなたを愛してる」
その言葉に、クレイは何も言わず、
ただ静かに、けれど確かな力で私を抱きしめた。
その腕の中は、不思議なほど穏やかだった。
――その瞬間。
連邦の夜空を横切るように、
ひとつの大きな流星が、音もなく流れていった。
星々が、いつもより近く感じられ、大地のざわめきが、すっと静まったようにも感じた。
一連の現象は、まるで世界がまだ見ぬ我が子を祝福してるように思えた。




