精霊王は、追放された聖女を離さない
私が次に目を覚ましたのは、柔らかな寝台の上だった。
空間全体が淡い光に包まれ、壁は透き通る輝石でできている。
天井には夜空の星々が閉じ込められたように瞬き、どこか現実離れした静けさがあった。
「……ここは?」
「目覚めたか、私の聖女」
低く響く声。
視線を向けると、精霊王クレイ・オーガが立っていた。
彼の手には、雪解け水のように澄んだグラスがある。
「水精霊が、お前のために最も清浄な水を集めてきた。まずは飲め」
私はゆっくりと身を起こし、差し出された水を一口含んだ。
冷たさが喉を通り抜けた瞬間、全身の細胞が生き返るような感覚が広がる。
「……ありがとうございます、クレイ・オーガ様」
「“様”はいらん、ソフィア。私と精霊は、お前のしもべだ。気安く呼べ」
そう言うと、クレイは私の額にかかる髪を指でそっと払った。
冷たい指先なのに、その仕草には絶対的な慈愛と、静かな独占欲が宿っていた。
「ここは、精霊界と人間界の狭間。私だけの聖域だ。人間が踏み入ることは決してできない。お前はこの場所の女王であり、中心だ」
私は驚きに目を見開いた。
あの凍える森の小屋から一転、ここはまるで極楽のような光景だった。
「あの……私は、本当に聖女なのですか? 王国では、魔力ゼロだと……」
クレイは静かに頷く。
「人間の魔術師どもに、お前の力の真髄など理解できるはずもない。お前の持つ『アルカ・ブースト』は、単に魔力や生命力を増幅する程度の力ではない」
彼は掌を上げ、そこに小さな火の玉を灯した。
それは手のひらほどの、ただの低級火精霊の炎。
「見よ。これは取るに足らぬ炎だ」
炎が、ふわりと私の掌に移る。
無意識に力を込めた瞬間、火は白く輝き、瞬く間に部屋を照らす巨大な奔流となった。
壁が熱に軋み、空気が震える。
「っ……!」
「驚くことはない。それが、お前の力だ」
クレイは手をかざし、白炎をすぐに収束させる。
そして私の手を取り、指先を絡めた。
「低級精霊の力が、一瞬で上位精霊王の域に達した。
これこそ、王国が知らずに享受し、そして失った恩恵だ」
その言葉に、私は息を呑む。
「思い出せ。なぜ王国の騎士団は、常に異様な力を誇っていたのか。なぜ王都の魔術師たちは、他国よりも桁違いに魔法効率が良かったのか。それは、すべてお前がそこにいたからだ」
「まさか……無意識に私が?」
「ああ。お前の“アルカ・ブースト”が、常に周囲の力を底上げしていた。そして、今、その恩恵は消えた」
「……つまり、私が去った今、王国は」
「衰える一方だ。武力は半減、いや、四分の一以下だろう。お前を追放した公爵家の騎士団など、今ごろ瓦解寸前だ」
クレイの口元に、冷たい笑みが浮かんだ。
「私の聖女を忌み子として雪の中に捨てた報いだ。彼らの後悔と絶望は、今まさに始まったばかり。そしてお前が強くなればなるほど、失った力との差はさらに開く」
「……では、私は」
「もう、あの愚かな国に戻る必要はない」
クレイは静かに私を引き寄せた。
額と額が触れ、互いの呼吸が混じり合う。
「お前は私と共に、この聖域で世界を凌駕する力を完成させるのだ」
彼の声は凍てつくほど冷たいのに、言葉には確かな熱が宿っている。
「人間など、私は信じない。だがお前だけは別だ」
彼はゆっくりと私の肩に手を置いた。
冷たいはずの指先が、不思議と心地よい温もりを帯びている。
「お前は私の力の源であり、私の世界そのもの」
言葉のたびに距離が縮まり、呼吸が交わる。
その近さに、私の胸が静かに高鳴った。
「だから、命のすべてを使って、お前を守り、愛し、甘やかそう。お前はただ、私の隣で笑っていればいい」
クレイの吐息が耳元をかすめる。
その声音は、誓いというよりも、祈りに近かった。
私は息を詰めた。
この世界で、誰かからそんな言葉を向けられたことは、一度もなかった。
クレイの手が頬に触れる。
冷たくも優しい指先が、彼女の心の氷を溶かしていく。
「ここはお前だけの場所だ。精霊の王である私が、お前を永遠に守り、誰も触れさせない。お前は、私だけの聖女だ」
その声は、もはや愛を超え、祈りに似ていた。
「クレイ……あなた……」
その名を呼ぶと、彼の瞳が一瞬だけ熱を帯びる。
「ああ、もっと呼べ。ソフィア お前の声も、存在も、すべてが私にとって至上の宝だ」
クレイは立ち上がり、手をかざした。
次の瞬間、部屋の隅に豪華な衣服や、輝く宝石、美しい果実が次々と出現する。
「王国の粗末な服など捨てろ。これは精霊界の叡智と財宝のすべてだ。……腹が減っただろう?」
彼は果実のひとつを手に取り、私の唇へと運んだ。
「さあ、まずはこの場所で傷を癒せ。あの浅ましい人間界など、もう気にするな」
私は差し出された果実を噛みしめた。
果汁が舌に広がり、甘さが体中を満たす。
冷え切っていた心が、ようやく温もりを取り戻していく。
公爵令嬢として過ごした五年間よりも、この数時間の方が、ずっと幸せ……。
「私が求めていたものは、ここにあったのね」
――精霊王に愛され、守られる聖女ソフィアの新たな物語が、今、静かに始まった。
※※※
一方そのころ、ゴーバン王国。
王城の玉座の間では、重苦しい空気が漂っていた。
「陛下……討伐隊が再び敗走しました」
「なんだと!? 相手はただの群れではなかったのか」
国王の怒声に、将軍たちは顔を曇らせた。
「はい……兵たちの剣筋が鈍り、魔術師の術式も威力が落ちております。これではただの雑兵同然で……」
「たわけ! 騎士団は王国の誇りであろう!」
だが、事実は覆せなかった。
つい数日前までは精鋭と謳われた騎士団が、今では魔物の群れすら退けられなくなっていたのだ。
ここ最近、魔物が出現する頻度も高くなっている。
この状況が続けば、魔物の数に対抗できる兵力はない。
ゴーバン王国は本格的に危機に晒されてしまう。
重臣の一人が小声で囁く。
「……リンフォード公爵家の娘が追放されたのは、確か先週のこと。あの家の血には“他者の力を底上げする魔法”が宿ると伝えられておりましたが……」
「馬鹿を言うな!」
義母である現公爵夫人が叫び、場を震わせた。
「ソフィアは忌み子です! 血筋など継いでいません! 正当な娘――ルシフォンスこそが公爵家の誇り、未来の聖女なのです!」
だが将軍は眉をひそめ、視線を伏せる。
「……ならば、なぜ力が失われている? 公爵家にはまだ“正当な血”を継ぐ者が残っているはず……」
言葉はそこで途切れた。誰も口には出さなかったが、皆が同じ疑問を抱いていた。
――もし“忌み子”と蔑んだ娘こそが、本当の力の継承者だったのではないか、と。
しかし義母は耳を塞ぐように声を張り上げた。
「馬鹿げた妄言を! ルシフォンスこそがこの国を救うのです!」
その叫びに賛同する声は、結局ひとつも返ってこなかった。
静まり返る玉座の間。国の守りが音もなく崩れていく不安に、重臣たちの胸は冷たい汗で濡れていた。
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