人の婚姻と精霊の婚姻
精霊王クレイ・オーガの絶対的な求婚を受け入れてから、
聖域――ソフィア連邦は、日を追うごとに祝福の光を濃くしていた。
だが、婚姻の儀はまだ終わっていない。
私はすでにリンフォード家の人間として、クレイを夫に迎えている。
しかしそれは、人間の理に基づく契りに過ぎなかった。
クレイの望みにより、次は精霊王の妃として、精霊界の流儀に則った婚姻を結ぶ必要がある。
人の世界で結ばれた絆を、今度は精霊の理のもとで、改めて完成させるのだ。
精霊界でも最も神秘的な地で執り行われる婚姻の儀。
その準備は、すでに儀式の域を超え、世界そのものを整える営みとなっている。
私の日課は、クレイに抱かれながら行う政務の確認と、精霊たちと進める婚礼衣装の調整だった。
「ソフィア。この布を見てくれ」
水の精霊が織り上げた純白の布は、私の増幅魔法に呼応し、淡い光を宿していた。
「一筋の糸に、万の星の輝きが編み込まれている。精霊界にも、これほどの衣は存在しない」
クレイはそう言って、私の肩にそっと布を当てる。
裾には、地の精霊が磨き上げた《ソフィアの涙》が縫い込まれており、動くたびに虹色の光が揺れた。
「だが……」
クレイは低く続ける。
「この衣よりも美しいのは、お前自身だ。お前を抱きしめる瞬間を思うだけで、待ちきれなくなる」
その言葉に、胸の奥が静かに満たされていく。
彼の独占的な愛情は、私にとって何よりも確かな守りだった。
※※※
ただ一つだけ、報告を受けていた。
旧王国の残滓についてだ。
「女王様」
シエルが淡々と告げる。
「王太子アルフォンスと公爵夫人は、現在、王都から遠く離れた北方辺境に送られています。名も地位も剥奪され、強制労働に従事中です」
私は、静かに頷いた。
それで終わりのはずだった。
「ですが……」
シエルは一拍置く。
「彼らは、辺境の管理網をすり抜け、わずかな資金と人脈を使い、密かに動いています」
「目的は?」
「女王様の《精霊力の道》です。破壊すれば、存在を示せると妄信しているようです」
私は、わずかに眉を伏せた。
終わったはずの過去が、なおも爪を立ててくる。
「放っておいて」
そう言った私の声は、驚くほど冷静だった。
「私の婚礼に、過去の亡霊を連れてくる気はないわ」
※※※
辺境。
石と泥だけの土地で、アルフォンスはかつて王だったという妄執に縋っていた。
「……まだだ……」
痩せ細った指で、地図とも呼べない紙を握り潰す。
「道を壊せば……ソフィアは……!」
隣で、公爵夫人が掠れた声で囁く。
「そうよ……殿下……あの道さえ……」
だが、その瞬間だった。
風が、吼えた。
精霊王の怒りは、言葉を介さない。
竜巻が辺境を覆い、雷が大地を穿ち、地面は泥へと変わる。
アルフォンスは、精霊力の道に近づくことすらできず、泥の中に引きずり倒された。
「ソフィア! 助けてくれ!!」
叫びは、空へ溶けるだけだった。
『我が女王の未来に、貴様の居場所はない』
全てを吹き飛ばした後で、ただ一言。
その言葉だけが、周囲を支配した。
嵐は、既に役目を終えていた。
※※※
私は、クレイの腕の中で、その報告を聞いた。
何も感じなかった。
怒りも、憎しみも、同情もない。
無関心という感情だけが私を支配していた。
「これで、もう何も邪魔するものはない」
クレイは私を抱き寄せ、低く告げる。
「さあ、ソフィア。過去を置いていこう」
精霊界へと続く扉が、静かに開かれた。
私はその胸に身を預け、頷いた。
私の未来は、もう振り返る場所にはない。
精霊王の腕の中で、新しい世界が始まる。
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