裁定は既に下されている
王太子アルフォンスの命を受けてからというもの、
公爵夫人は三日三晩、一睡もできずにいた。
恐怖と焦燥が、胸の奥で絡み合う。
かつて雪の中に捨てた娘――ソフィア。
その存在が、今や王国の運命を左右している。
公爵夫人は、今になってようやく後悔していた。
(……舞踏会で、あんな“嘘”を口にしなければよかった)
あの夜、彼女が振りまいた嘘。
それは、ソフィアが今は亡き公爵と、その愛人との間に生まれた“忌み子”だという虚偽だった。
真実は、まったく逆だ。
ソフィアは、公爵と正妻アリシアの間に生まれた、正統な後継者。
そして、愛人だったのは自分自身である。
公爵夫人は、その歪んだ立場から逃げ出したかった。
だからこそ、アリシアを毒で殺し、公爵夫人の座を奪った。
そうして生まれたのが、自分の娘、ルシフォンスだった。
(私が守りたかったのは……この子だけ)
リンフォード家には、古くから伝わる掟がある。
正式な婚姻の儀を結んだ正妻との間に生まれた子のみが、
“能力増幅の血統”を正しく継ぐ、という掟だ。
公爵夫人自身も、後に婚姻の儀を結び直した。
だが噂では、最初に結ばれた婚姻こそが最も強く血を刻むと言われている。
密かに産んだ娘であるルシフォンスには、その恩恵が薄いのかもしれない。
それでも。
我が娘は、国のために祈り続けている。
力を振り絞り、削られ、壊れながらも、
“聖女”として、決して玉座から退かなかった。
(……だから)
公爵夫人は、震える指を握りしめる。
(私は、間違っていなかった)
それは後悔ではなく、
罪を正義にすり替えるための、最後の自己暗示だった。
自分は、母として、必要な方を残しただけだ。
そう、信じるために、公爵夫人は護衛の騎士を引き連れ、森に乗り込んだ。
※※※
森の境界。
かつて使者たちが正気を失った場所で、公爵夫人は立ち止まった。
足が、前に進まない。
それでも、膝をつき、声を絞り出す。
「ソフィア……私はあなたの育ての母。あの時は酷い事を言ってごめんなさい」
母の名を、使って。公爵夫人は頭を下げて叫んだ。
「……今は国が危機なの。あなたが戻れば、すべて丸く収まる」
「ルシフォンスだって……救われるのよ」
その瞬間。
大気が、震えた。
風が爆ぜ、騎士たちは悲鳴と共に吹き飛ばされる。
馬車は横転し、泥と土煙が舞った。
「――静粛に」
冷え切った声。
影から現れたのは、シエル。
隣には、獣の姿のレオンハルト。
その存在感に、公爵夫人は言葉を失い、地面に崩れ落ちた。
「……あなたたちは……」
シエルの瞳は、氷のようだった。
「我らは、我が女王ソフィア様の護衛」
「そして、貴様は、母を名乗る資格すらない者だ」
公爵夫人の喉が鳴る。
「な……何を……」
シエルは感情を排した冷静な目で、公爵夫人を見下ろしながら、一歩前に出る。
「血統の話なら、すでに調べはついている」
その声には、個人的な怒りも、嘲りもない。
ただ、事実を事実として突きつける冷たさだけがあった。
続けて、隣に控えていたレオンハルトが低く唸るように言葉を継ぐ。
獣人族特有の鋭い眼差しが、逃げ場を与えない。
「能力増幅は“正統血”にのみ宿る」
最後に、再びシエルが断言する。
裁定を下すような、迷いのない声音だった。
「本妻との子――ソフィア様こそが、本来の継承者だ」
その場に、言い逃れの余地は残らなかった。
二人の言葉は意見ではない。
すでに終わった調査の、最終報告に過ぎなかった。
「……違う……!」
「ルシフォンスは、聖女として――!」
「聖女ではない」
シエルは即答する。
「“代用品”だ」
続けて、ラインハルトも言葉を続ける。
「正統後継者を捨て、削れる方を使い潰しただけだ」
その言葉が、致命傷だった。
公爵夫人は、理解してしまった。
自分は、娘を救ったのではない。
壊れるまで使っていただけだ。
「……私は……2人の母よ……!」
最後の抵抗。
だが、レオンハルトが低く唸る。
「母を名乗るな」
「我が女王を雪に捨て、代わりに国へ差し出した時点で、貴様は、ただの“外道”だ」
シエルが告げる。
「女王様からの言伝だ。二度と近づくな」
レオンハルトが告げる。
「貴様の罪は、“赦されない”ではなく“相手にされない”」
それが、最後だった。
※※※
聖域。
監視の湖に映る敗走を見ながら、
クレイは静かに言った。
「終わったな」
ソフィアは、何も言わなかった。
胸の奥にあったものは、
怒りでも憎しみでもない。
ただ、完全な終わり。
「……ルシフォンスは?」
小さな声。
クレイは答える。
「消耗しすぎている。もう長くはない」
ソフィアは目を伏せ、頷いた。
「……そう」
救えたかもしれない。
でも、それは“あの子”が選んだ未来だ。
舞踏会で義母と結託し、私を追放さえしなければこうはならなかった。
クレイは、ソフィアを抱き寄せる。
「お前は、もう過去に縛られない。王国の人間に選ばれなかったのではない」
一拍の間を置いてクレイは私の頭を撫でながら囁いた。
「この聖域に選ばれただけだ」
公爵夫人の行く末は、ここで定まった。
だが王国の意思は、まだ尽きていない。
誤った希望を抱いたまま進もうとする王太子が、次に動く番だった。
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