忌み子が聖女となった夜
ここは王城の大舞踏会場。
シャンデリアの光が煌めき、楽団の演奏が止んだ瞬間――私の婚約者である王太子が声を張り上げた。
「ソフィア・リンフォード。そなたとの婚約は、本日をもって破棄する!」
凍りつくような沈黙の後、ざわめきが会場を包む。
リンフォード公爵家――“ゴーバン王国”で王族と同等の影響力を誇る名門。その長女が、公衆の面前で断罪されたのだ。
「お前が正統な血筋を継いでいないことは、すでに明らかだ。愛人の子など、公爵家には不要だ!」
王太子は私を指差し、憎悪を込めて言い放つ。
義母が一歩前に出て、袖で涙を拭う仕草を見せた。
「そうなのです……この子は、夫と愛人の間にできた忌み子。本当はリンフォードの血を引いてなどいません! 私は夫に脅され、真実を語れなかったのです……でも、今ようやく言える……!」
――忌み子。
その言葉に、胸の奥が小さく疼いた。私は自分がそう呼ばれてきたことを知っている。銀白の髪も、蒼い瞳も、災厄の証だと囁かれてきた。
思い出す。
義母は日常的に私をいじめた。舞踏会の席でわざと裾を踏んで転ばせ、「恥知らず」と笑った。食器を替えさせて「穢れる」と囁いた。
けれど、そのたびに父は毅然とした声で庇ってくれた。――「ソフィアは私の娘だ」と。
その父はもういない。
公爵であった父が死に、リンフォード家で最も強い権力を持つのは、今や義母。
だからこそ、彼女はこうして堂々と私を追い出すのだと、悟ってしまった。
会場の視線が一斉に突き刺さり、足元が揺らぐ。
どんな言葉を返しても無駄だと、本能で分かっていた。
※※※
「――だが、ソフィア。お前の罪はこれだけではない!」
王太子の怒声に、場の空気がさらに張り詰めた。
「証人を呼んである。入れ!」
扉が開き、純白の衣をまとった少女が現れる。
この国で“聖女”と呼ばれ、教会に仕え人々から敬われている存在だ。
名はルシフォンス・リンフォード
私とは違い、リンフォード家の正当な血筋を授かっている義理の妹だ。
「聖女様が……!」
「まさか、あの方が証言を?」
聖女は一歩進み出て、震える声を放った。
「私はずっと耐えてきました……ですが、もう限界です……裏で私をいじめていたのは、ソフィア様なのです」
大広間が爆ぜるようにざわめいた。
「やはり!」
「忌み子は正しい血を持つ聖女様に嫉妬していたのだ!」
「王国の希望を傷つけるなど、許されん!」
嘲笑と罵声が嵐のように降り注ぐ。
私は思わずルシフォンスを見た。やった覚えなど一度もない。
その瞬間、義母と義妹が互いに視線を交わし、わずかに口元を吊り上げた。
――悟った。
二人は最初から手を組み、私をこの場で陥れるために仕組んでいたのだ。
「もうわかっただろう!」
王太子が壇上から声を張り上げ、私を指差す。
「リンフォード家の血を継いでいなければ、お前に存在価値などない! 偽物の娘は、この国から出ていけ!」
その言葉が大広間を震わせた。
リンフォード家の血筋には、特別な魔法が受け継がれている。
他者の能力を底上げする魔法。
――アルカ・ブースト
兵士を強くし、魔術師をより鋭敏にし、騎士団を精鋭たらしめる力。
その力こそが国の軍事力を押し上げ、リンフォード家が王族と同等の発言権を有する理由だった。
だが今、私はその正統な血を持たないと断じられた。
忌み子として生まれ、ついに家から追放される。
「やっぱり偽物だったのか!」
「公爵家の名を騙るとは恥知らずめ!」
「王太子殿下を欺くだなんて、打ち首にすべきだ!」
群衆の罵声が嵐のように降り注ぐ。
私は必死に立っていたが、膝は震え、心は今にも砕けそうだった。
「弁明はあるか?」
重臣の問いに、私はゆっくり首を振った。
「……申し上げることはありません」
その言葉を合図にしたかのように、義母が勝ち誇った笑みを浮かべる。
「聞きましたわね、皆さま。やましいことがあるから黙るのです!」
大広間に笑いと嘲りが渦巻いた。
やがて重臣が厳かに宣言する。
「では決定する。ソフィア・リンフォード、本日をもってリンフォード公爵家より追放する!」
舞踏会場の大扉が重々しく開かれる。
冷たい夜気が吹き込み、私の髪を揺らした。
「二度と戻ってはならぬ!」
罵声が背中を押す。
私は振り返らず、一歩を踏み出した。
――その瞬間、背後で扉が音を立てて閉ざされた。
鈍い響きが胸の奥まで突き刺さる。
ああ、これで本当に終わったのだ。
リンフォード公爵家という名も、かつての居場所も、すべて。
※※※
その日の夕刻には、私は既に公爵邸の裏口に立たされていた。最低限の身の回り品と、寒さをほとんど防げない粗末な麻の服だけ。
「全く、お前のような役立たずのために、なぜ俺が馬を出さねばならんのだ」
馬車を引く御者は、公爵家の古株だったが、私に向ける視線はまるで道端の石ころを見るようだった。
馬車は一路、王都から遠く離れた北の“鮮血の森”へと向かう。
道中、王都の華やかな街並みが遠ざかっていくのを見るにつれ、私の心は一層深く沈んでいった。
森の入り口に建つ、ひどく老朽化した小さな小屋の前で、馬車は止まった。既に夜の帳が降り、周囲は深い雪と闇に包まれている。
「ここで降りろ。食料は三日分だ。これ以上、お前の世話をする義務は我々にはない」
御者は、食料の入った小さな袋を雪の上に乱暴に投げ捨てると、私に背を向けた。
「あの……せめて、薪だけでも」
私がかろうじて声を絞り出すと、御者は鼻で笑った。
「忌み子に火の温もりなど、もったいない。凍えて死ぬのが、お前の運命だ。せいぜい、魔獣の餌にならぬよう祈るんだな」
そう言って、彼は私を一切顧みず、馬車を勢いよく引き返させた。その冷たい背中に、私は絶望の底を見た。
吹雪が強くなる。小屋の扉は半開きで、隙間風が吹き込んでくる。私は凍える手で、かろうじて扉を閉めたが、体は既に感覚を失いかけていた。
「私は、独りだ。この寒さの中で、誰にも知られずに死ぬんだ……」
胸の奥にぽっかりと空いた穴が広がっていく。
義母の冷たい瞳、王太子の侮蔑、群衆の罵声……すべてが耳に残って離れない。
「……どうして、私ばかり……」
喉が焼けるように痛み、言葉は嗚咽に変わった。
今まで泣くまいと歯を食いしばってきた。涙を見せたら負けだと信じていた。
けれど誰もいない闇の中で、膝から崩れ落ちる。
地面は冷たく、背中に湿気が染み込む。
――もしここで朽ちても、誰も探してはくれない。
ふと、記憶の奥に父の声が蘇る。
「ソフィア、お前は必ず誰かの役に立てる子だ」
その優しい響きが、胸を締めつけた。
「役に……立てる? 私なんかが……」
誰にも必要とされていない“忌み子”の自分が、何の役に立てるのだろうか?
この世の全てから見放されたという絶望と、耐えられない寒さが、意識を容赦なく奪っていく。私は小屋の隅にうずくまり、目を閉じた。
意識が遠のき、呼吸が浅くなっていく。
凍死寸前の状態に陥ったことで、私の体内にあるはずのない熱が、喉の奥から込み上げてくるのを感じた。
それは、言葉では言い表せないほどの暴力的で強烈なエネルギーの奔流だった。
私の体は、寒さで感覚を失っていたはずなのに、内側から燃え上がるような、奇妙な熱に支配されていく。体中に、血液とは別の、巨大な何かが脈打ち始めた感覚。それは、私が一度も感じたことのない異様な感覚だっ
「いやだ……何よ、これ……!」
私は恐怖した。
これは魔獣に襲われるよりも恐ろしい。
私は魔力を持たないはず。
この体の中で暴れている、巨大で、制御不能な力は何だ?
その力は、私の困惑を無視して増大し続ける。
私の全身から、透明な光の波が放たれ始めた。
小屋のボロ布が風もないのに激しく揺れ、床に積もった雪が水蒸気となって消え去る。
「誰か! 助けて! この力、何なのよ!? 私は知らない!」
悲鳴にも似た私の叫びが、崩壊寸前の小屋の中で虚しく響いた。
そして、私の力が臨界点に達した瞬間、小屋は内側から弾けるように爆発した。
ゴオオオオオオッ!!
一瞬の爆音の後、私を包んでいた猛吹雪と闇が一瞬にして消滅した。
代わりに、小屋の跡地となった私の上空に、七色の光の渦が出現した。
「この波動……まさか、これほど近くに存在していたとは!」
声がした。それは、ただの声ではない。
空間そのものに響き渡る、世界の根源のような音色。
まさか実在するとは思っていなかった。
彼等は精霊と呼ばれる存在だ。
七色の渦から、まず光の精霊、闇の精霊、火、水、風、地の六大精霊が、それぞれの威容を誇る姿で降臨した。
彼らの魔力は、この世の全てを支配するような、絶対的なものだった。
そして、その精霊たちの中心に、一人の青年が降り立つ。
まるで冬そのものが、人の姿を取ったように。
彼は、雪の白さをも霞ませるほどの、圧倒的な美しさを持っていた。黒曜石のように深い黒髪は風になびき、瞳は夜空の星々を映したような冷たい青。全身から放たれる威圧感は、この世の王族全てをひれ伏させるに足るものだった。
本に記されていた幻の存在。
精霊王——クレイ・オーガ。
彼は、倒れ込んでいる私に歩み寄り、冷たい手で私の頬に触れた。その一瞬で、凍えていた体が芯から温められる。
「ソフィア・リンフォード。貴様を、我々は探し続けていた」
その声には、冷たさの中に、強い渇望が混じっていた。
「人間界の愚か者が、己の至宝を雪の中に捨てるなど……これほどの愚行、精霊界の歴史にもない」
クレイ・オーガは、私を抱き上げ、六大精霊に命じた。
「この娘こそが、我々精霊の力を無限に増幅させる“万種増幅の聖女”。そして2000年ぶりに現れた我らの女王だ。全ての精霊よ、今すぐこの聖女に契約と祝福を」
六大精霊の魔力が、私の中に流れ込んでくる。
失われていたはずの力が満たされ、私は自分がどれほど強大な存在になったかを本能的に悟った。
クレイ・オーガは、私を抱きしめる腕に力を込めた。
「お前の居場所は、最早、あの穢れた人間界ではない。これからは、私の庇護の下、永遠に生きるのだ。あの愚かな王国など、お前の存在を失った時点で、崩壊する運命にある」
彼は私の額に、氷のように冷たいキスを落とした。
「さあ、行こう。私の世界へ。私の女王」
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