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第九話

「あっ」


 視線の先、暖炉の上に飾られた女性の肖像画に月光が当たっていた。

 二十年という月日の間に壁から落ちたのか、額縁が暖炉の飾り棚に落ちて少々傾いていたが、それでもきちんと上には乗っている。

 そこに描かれていたのはとても美しい女性だった。

 埃を被り劣化で絵が色褪せてしまってもその美しさまでは褪せることはない。

 アレクサンドラはその絵を見て小さく息を呑んだ。

 この部屋にある肖像画なら、誰のものであるかは限られる。

 豊かな銀の髪を緩く左肩で結い、絵の中で淡く微笑む異国の装束を纏った女性。

 どこか凛とした印象を受けるのは伸ばした背筋のせいか、それとも異国のドレスのせいだろうか。


「この方が……あの……『廃離宮の女主人』……?」


 肖像画の前に置かれた花瓶にも、やはり百合と思われる花の残骸があった。

 不興を買った、というには違和感を抱いてしまうほどに、この離宮には彼女を悼む気持ちが満ちているように思えた。


(夜な夜な廃離宮に現れては、泣きながら赦しを請う幽霊。……肖像画からはやっぱりそんなイメージはまったく受けないわね)


 目鼻立ちのはっきりした肖像画の女性から受けるのはなんとなく『強そう』というイメージだ。

 アレクサンドラ達は先ほど廃離宮の幽霊の正体であろう存在を目撃しているが、それを抜きにしたって肖像画の女性は夜な夜な謝るために化けて出るような人物には見えなかった。


「ん? でも、この肖像画……どこかで……?」


 そういえばこの肖像画の大きさは、大回廊でアレクサンドラが気付いた壁の褪色部分と大体同じくらいに見える。

 大回廊からここに移されたのだろうか?

 はて、と肖像画を見上げながら首を傾げていたアレクサンドラだったが、背後でフランチェスカが小さく悲鳴を上げたことに気付いて慌てて振り返り、


「まったく、こんな夜中にお前たちは一体何をしているのだ」


 暗闇の中に、来るはずがないとたかを括っていた王陛下本人が呆れ顔で佇んでいるのを見て、自らも喉の奥で悲鳴を上げた。

 騎士を連れた王の傍らではテオバルトが気まずそうな顔でしゅんと項垂れている。

 今は亡き、と言ってもこの場所は女性の寝室であるので、テオバルトの気まずさはアレクサンドラやフランチェスカよりも大きなものだったらしい、

 アレクサンドラはすぐさま頭を垂れて深く膝を折り、強張る笑顔を顔に貼り付けて一言だけ口にした。


「ご、ご機嫌よう、陛下」


 その言葉に王はにこりと笑い、テオバルト、フランチェスカ、アレクサンドラの順にその場に並べると、勅命をくだすかのような厳かな声音で言った。


「あぁ、まったく良い夜だな。──三人とも、今すぐベッドに戻りなさい」


 仕置きは朝になってからだ。

 王の言葉に三人はぶんぶんと大きく頷いて、挨拶もそこそこに転がるようにその場から駆け出した。逃げ出したと言った方が正しかったかもしれない。


「あーん、バレてしまったわ。お父様のお説教はどの家庭教師よりも何倍も怖いのだもの。あぁ、朝なんて来なければいいのに」

「はぁ。今回はどんな仕置きをされるのやら」

「私、王宮を出禁にでもなったらお母様に何て言えばいいのかしら……」


 三人が肩を落として王族の居住エリアまで戻ると、境目となる大扉の前には侍女達が並んで待っていた。


「皆様、お早いお着きで」


 使用人のお仕着せを着た三人をチラと見て、フランチェスカ付きの一番年嵩で厳格な侍女がそう言って大扉を開ける。

 その先に続く廊下にも使用人達が立っているのが見えた。

 きっとベッドを抜け出した三人を探していたのだ。

 アレクサンドラはテオバルトとフランチェスカを呼び止め、申し訳なさそうに言った。


「二人とも、付き合わせてしまってごめんなさい。いい? 今夜のことはすべて私の発案で、二人は私に無理矢理付き合わされただけなのだから、明日王陛下には真実をお伝えして。私を庇う必要はないわ」


 テオバルトとフランチェスカはじっとアレクサンドラを見つめて、揃ってこくりと頷いた。


「おやすみなさい、アレクサンドラ。良い夢を」

「おやすみなさいませ。フランチェスカ王女殿下」

「おやすみ、ブランシェス侯爵令嬢」

「おやすみなさいませ、テオバルト王子殿下」


 侍女たちや使用人の目もあるため、それなりに取り繕った就寝の挨拶をしてアレクサンドラは手前の客間に、テオバルトとフランチェスカは奥にある各人の寝室へと向かう。


(ちょっと行って帰ってくるつもりだったのに、うっかり長居し過ぎたわね)


 せっかくの機会だからと離宮の中を探索したのは自分だ。

 だから、明日の朝、王陛下からどのような沙汰が下ろうともアレクサンドラには文句など言う権利はない。

 ただ一つ気になることといえば、明日アレクサンドラ達を待ち受けるお仕置きは、王として下されるものか、はたまた父親としてのものか、それだけだ。

 テオバルトとフランチェスカの遊び相手として城に上がるようになってから、アレクサンドラは何度か王とも顔を合わせており、その時の王陛下はどちらかといえば父親の顔をしていることが多かった。

 しかし今回は言わば不法侵入だ。王として沙汰を下す可能性も充分にある。

 正直なところ怖い。ものすごく怖い。

 本当にちょこっとだけ離宮の近くを巡って帰ってくるつもりだったのだ。できれば自分に付き合った二人には寛大な処置をお願いしたい。

 確かに昼間、肝試しの下見などといって事件現場の検証の真似事などもしたけれど、あれも幽霊話と事件は無関係だとはっきりさせる事が目的だった。

 夜中に王族を二人も連れ出しての肝試しだなんて、今更ながらなんと軽率なことをしてしまったのかとアレクサンドラは反省し、大きな溜め息を吐きながら用意された部屋へと戻った。


「おかえり〜。肝試しは楽しめたか?」


 そしてそんなアレクサンドラを迎えたのは、黒い羽までだらりと広げて完全くつろぎモードの悪魔だった。どこから持ち込んだのかゆったりした部屋着姿である。

 長椅子に身体を預けるような格好で宙に浮かび、優雅に既に残り少ない焼き菓子を摘んでいる。

 その様子にアレクサンドラはパチリと一度だけ目を瞬かせ、ふ、と小さく笑って息を吐いた。

 いつも通りの悪魔の姿を見ていたら何だか気が抜けてしまったのだ。


(はぁ。もうなるようにしかならないし、私は私に出来ることをするだけだわ)


 とりあえず明日は出来得る限り神妙にしていよう。

 そう決めたアレクサンドラは、さっさとお仕着せを脱いで用意されていた夜着に着替え寝支度を整えていく。

 自分の事は一通りできるのもあって、彼女は身支度のための使用人を呼ぶこともせず、慣れた手つきで髪を梳きながらこちらに背を向けている悪魔に視線を向けた。

 この悪魔、こういう時さりげなく気が遣えるのである。

 アレクサンドラの着替えを覗くようなことは絶対にしないし、アレクサンドラが一人になりたい時は何も言わなくても察して姿を消してくれる。

 なのでアレクサンドラは何も気にすることなく悠々と全ての支度を終えてから悪魔に声をかけた。


「肝試しは楽しかったけど、王陛下にバレて明日は朝からお説教よ」


 その言葉に悪魔はけらけらと笑って空中でころんと身体を捻る。

 悪魔というのは羽がついていても羽で飛んでいるわけではないらしく、浮かんでいるのに羽ばたいている様子はない。

 それでも浮くことができるだなんて、原理はわからないが器用なものだと思っていると、悪魔はニコニコと笑いながら言った。


「せっかく離宮の中まで探検してご満悦だったのになァ」

「どうして離宮の中に入ったことを知っているのよ」


 アレクサンドラの当然の問い掛けにも動じず、悪魔はきゅうと口端を上げる。


「離宮の鍵、開いてたろ?」

「なっ! あれはお前の仕業だったの? お陰様で私は明日お仕置きを受ける身よ」

「いやいや、それは違う。もし俺が鍵を開けたんだとしても、そこに踏み入ったのは知りたがりのお前」

「きぃい! それは、そうだけれど!」


 そう。悪魔の言う通り、離宮に入ることを決めたのはアレクサンドラ自身である。

 テオバルトとフランチェスカのように嫌々と首を横に振って、そのまま部屋に戻る選択肢がなかった訳ではないのだ。

 しかし、とアレクサンドラは悪魔を睨めつけて口を開いた。


「何故あの離宮の鍵を開けたの」

「俺が開けたかはさておき、お前ならあぁいうのは自分の目で確かめたいだろ」

「何よ! やっぱり私があそこに入る前提で鍵を開けたんじゃない!」

「えー、でも楽しかっただろ?」

「とっても!」


 自分で計画した肝試しだったのに、結局悪魔の手の上で転がされてしまったようで気に食わない。

 アレクサンドラはしばらく唇を引き結んでいたが、我が身を待ち受ける明日のお仕置きのことを考えると怒ってばかりもいられず、せめて体力を温存しなければと慌てて就寝したのだった。

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