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第八話

「あら」


さっきのはよく似た音がしただけで、いつも通りに離宮は施錠されていた。

というのを心の底では期待していたアレクサンドラだったが、離宮の扉はなんの抵抗もなくするりと開いてしまった。


(鍵が壊された様子もないし、無理にこじ開けようとした痕跡もないわね)


扉の鍵穴を確認し、アレクサンドラは少しだけ開いた扉の隙間から中を覗き込む。

窓にカーテンの引かれた離宮内は薄暗く、アレクサンドラは目を凝らして辺りの様子を確認する。

明るい月光のお陰で、そうしていると次第に中の様子が見えてきた。


(これが西離宮……)


およそ二十年前から一度も開いていないはずの離宮だが荒れた様子は見られない。

家具にはどれも埃よけの布が掛けられ、カーテンの隙間から細く差し込む月明かりに埃が舞っているのが見える程度だ。

きっと、太陽の光の下で見ればまた違った印象を持つのだろう。


(……少なくとも人の気配はなさそうね)


背後でテオバルトとフランチェスカがこちらの様子を窺っている気配はしていたものの、その場を動くことは未だに躊躇っているらしいので置いていく。

ちょうどよく使用人のお仕着せなど着ていたものだから、服が多少汚れようとも気にしなくていい。

耳をすませ、物音ひとつしない事を確かめてから、アレクサンドラはドアの隙間から離宮内へと身体を滑り込ませた。

この手の建物は手前に客をもてなすための部屋があり、一番奥に主人の部屋があるのが定石だ。

離宮の入り口から見てすぐ右手側は立派な絨毯の敷かれた広間で、布を被った家具の配置などからそこが応接間であるというのは容易に察しがついた。

建物の外観だけではなく内装にもそこかしこに異国情緒が漂っている。

この国ではあまり目にしたことのない意匠の彫刻を暖炉に見つけて、アレクサンドラは不意に自分がどこか知らない場所に迷い込んでしまったような感覚に襲われた。

王宮には何度も来たことがあるのに、この離宮の中の空気はまったくの異質なものだ。

客間を一回りしたアレクサンドラは、侍女達が使っていたのだろう部屋のいくつかはそのままスルーして、一番奥の部屋、つまりこの離宮の主である側妃の部屋を目指す。

廊下にはこの離宮で使われていた花瓶がそのまま残されており、元は百合かなにかだったと思われる既に干涸びた花の残骸が死体のように花瓶の中で項垂れている。

百合は死者を悼む花だ。誰かが側妃の死を悼み、閉じる離宮に残したのだろうか。

そう、ここに生きた人間の気配はひとつも残っていない。

──死んでいる。

アレクサンドラは思った。

この離宮は側妃の死と共にまさしく死んだのだ。

ここに残っているのは死の記憶であり、残骸だった。


(これじゃあまるで墓荒らしね)


一番奥の部屋の前で足を止めたアレクサンドラが自嘲気味に笑う。

その時だ。アレクサンドラは背後から肩を掴まれて思わず悲鳴をあげそうになった。


「私だ! テオだよ!」

「て、テオ……? あぁ、驚いた……」


すかさず口許を覆われたのですんでのところで絶叫は避けられたが、アレクサンドラはドッドッと強く拍動する心臓が今にも口から飛び出してしまうのではないだろうかと、無意識に胸元を押さえて暗闇に目を凝らした。


「驚いたのはこちらだよ。ドアの前でぼうっと立っているから『本物』かと思っただろう」

「アレク、大丈夫? 離宮に入ったきりなかなか出てこないから、心配になってお兄様と一緒に入ってきたの。ねぇ、もしここに入ったことがお父様にバレたら一緒に叱られてちょうだいね?」


よほど心配だったのか、アレクサンドラの腕をギュッと強く掴んで言うフランチェスカに、アレクサンドラはなぜだかひどく安堵してほうと息を吐いた。


「えぇ、勿論よ。誘ったのは私ですもの。この部屋で最後だから、ここを確認したら出ましょう」


そうして三人揃って最奥の部屋のドアを開け、そっと中を覗き込んだ。

そこは確かに広い部屋ではあったが、執務机などはなく、どうやら私室というより寝室に特化した部屋のようだった。

部屋の中央に置かれた天蓋付きの寝台も、客間同様に異国の意匠が施されたものだ。

異国から嫁いだ側妃が慣れない地で心を休め、慰めるための宮。

それがこの離宮が建てられた理由だというのはアレクサンドラも知っている。

しんみりしているアレクサンドラの後ろで、三人になって少し気が大きくなったのか、一番近くの家具にかけられていた布をめくって中身を確かめていたテオバルトとフランチェスカがおやと声を上げた。


「見てよこれ。初めて入ったけれど、ここってなんだか異国の大使館みたいだわ」

「まったくだな。こんなカウチひとつまで輸入品となると、もしかしたらこの離宮にこちらの国の家具はひとつもないのではないか?」

「そうかもしれないわね。でも、そうまでするということは、側妃様はこちらの風土になかなか馴染めず、お辛い思いをしていたのかもしれないわね」


しかしここまで心を砕かれておきながら、側妃は王の不興を買ってこの離宮に軟禁されて生涯を終えたという。

彼女が心を休める場所であったはずのこの離宮は、彼女のための檻になってしまったのだ。

側妃が息を引き取ったであろう部屋の中を見回していたアレクサンドラは、ふとカーテンの隙間から差し込む月光に照らされた暖炉の辺りを見て動きを止めた。

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