第三話
渋々ながらもアレクサンドラが淹れたお茶で一息つき、テオバルトは天気の話でもするかのような気安さで口を開いた。
「例の件だが、今朝、死体で見つかったのは王宮警備兵の一人だ」
「今朝!? 見つかったのは今朝なの?」
「そうだ。今朝と言っても時間は深夜に近かったようだが。まぁ、そういう訳で安全確認のためという名目で王族の謁見は全て中止された。他国の要人などが滞在している時期でなかったのは幸いだったな」
「何という事なの……」
テオバルトの話を聞き、額に手を当ててアレクサンドラは、まずいタイミングで城に来てしまったものだと唸った。
大体、そんな状況であるのなら、アレクサンドラ達のような外部の人間を王宮内に入れるべきではない。敷地内に入れずに門前で帰れと指示するべきだ。ブランシェス侯爵家という充分過ぎる身元の保証がかえって面倒を招いてしまった。
それにこの二人だって自重して宮の中で大人しくしていれば良いものを、どうして自分を巻き込んだりしたのか。
続いてふと沸いた疑問に対し、この二人に限っては暇過ぎたからでしょうねとすぐに自ら答えを出して、アレクサンドラは大きな溜め息を吐いた。
「他殺ではないと言っていた根拠は?」
「あぁ、その死んだ警備兵には外傷がなかった。毒の所見もないという。他に争った様子もない事から、医師の見立てでは心臓発作だろうと」
「そうなの。この場合だと病による突然死、みたいな事になるのかしら」
話を聞くに事件性はなさそうだ。
このまま王宮内の作法に則って諸々の処理が終わればすぐに話も収束するだろう。
気になって悪魔を遣いにやらせたが無駄足であったかもしれない。
だとすれば、あとはこの二人に付き合って王宮に二、三日滞在するだけだなとアレクサンドラが思った時、王女が頬に手を当てて可愛らしく首を傾げた。
「でもお兄様。聞いたところによれば、その警備兵は恐怖に歪んだ顔をしていたそうじゃない。それに、場所も例の離宮でしょう?」
フランチェスカはそのまま優雅な手付きでティーカップを持ち上げて、うふふと無邪気に笑った。
「お化けの呪いで死んじゃったのかしらね」
ここが社交の場であったら、アレクサンドラは人の死をそのように言うのは不謹慎だと叱りつけたところだろう。
だが、相手は王族。おいそれと叱り付ける訳にもいかず、小さく咳払いをしてテオバルトへと視線を向けるだけに留めた。
アレクサンドラの意図を汲んだテオバルトが妹を諌め、王女はごめんなさいと素直に謝る。
「死に顔が恐怖の表情だったからといって何に恐怖したかはわからないし、心臓発作で苦しんだ故という可能性も大きい。調査の結果、事件性が無いのであれば、王宮内である事を考えても教会から司祭を呼んで供養をするくらいで終わるでしょう」
「そうだな。だが、あれこれと時間はかかるから、その間我々も行動を制限されて窮屈なのは確かだな」
しばらく課せられるであろう退屈を思って不服そうな顔をする王子に、アレクサンドラは苦笑した。
仕方がないから暇潰しに付き合ってやるくらいはしてやろう。
彼女が浮かべたのは昔馴染みに対する慈しみの表情だった。
(なぁ、歓談中に悪いんだけど、俺の補足とか要る?)
(あら。遅かったのね)
その時、頭の奥に響く声がして、アレクサンドラは悪魔の帰還を察する。
集めてきた情報を教えなさいと胸の中で命じれば悪魔は素直に応じた。
(えーっと、死体で見つかった王宮の警備兵だけどさ、心臓の病気だって医者に診断されて退職を決めたらしい。昨夜が最後の見回りだったみたいだぜ)
(そうなの。発見された時、恐怖で歪んだ顔をしていたというのは本当?)
(恐怖かどうかはわからんが、自分の胸元を掴んで目を見開いたまま死んでたって医者の報告書にはあったな。周りに争った形跡もなく、胸元を掴んでいる以外に本人の衣服の乱れもなくて、さらには毒物の反応は見受けられなかったから持病のこともあって心臓発作で片付けられるんだってさ)
本当に幽霊でも見たのかもな。
そんな風に言って笑う悪魔を胸中で嗜めて、アレクサンドラはふむと考え込む仕草をした。
(見回りって一人で行うものなのかしら。夜勤の担当が朝まで戻らないなんて、さすがにおかしいでしょう? 誰も気が付かなかったの?)
(本来の巡回の後で、最後の出勤日だから職場を回って帰ると言ったんだと。王城でそれが通るんだから相当信頼に篤い人物だったんだろうな。朝になって、その警備兵の荷物が残ってる上に退出記録もない事に気付いて、手が空いてる警備兵達が念のため王宮内を確認したところ離宮前で死体を発見したみたいだな)
事件性はないらしいが少し気になる話だ。
気になるというのは別に今回見つかった死体についてではない。
話を聞く限り警備兵は病気による突然死だったというが、見つかった場所が場所だ。
このままではまた離宮の幽霊がどうのと社交界が騒がしくなるだろう。
そこが少し心配なのだ。
先ほどフランチェスカが口にした「呪い」という言葉。この言葉に託けて何か不穏なことを企てる輩がいないとも限らない。
社交界の統制も上級貴族の役割である。
アレクサンドラは王宮への滞在中に情報を集め、母に報告する必要があるだろうと思案した。
今回見つかった死体の一件が綺麗に片付くまでは貴族の謁見は制限されると見るべきだ。そうなると、場合によっては王宮に滞在することが決まっているアレクサンドラ自身が動かねばならないかもしれない。
幸い他の貴族とのお茶会などが組まれる訳ではないから時間はあるし、アレクサンドラだけでは出来なくとも、王子と王女が揃っていればこの王宮内ではやりたい事がほとんど何でも出来るはずだ。
例えば二人を今朝死体が発見された現場へと連れていって、後日「調べたが特に何もなかった」と貴族達が集まる場で発信させることだって出来る。
アレクサンドラは目を細めて目の前の王族二人を見つめた。
さて、どのようにして誘い込もうか。
「アレクサンドラ? どうしたの、何か面白い事でもあった?」
「うふふ、少しね、良いことを思い付いたの」
「良いこと? 何だそれは。言ってみろ」
幼い頃から一緒だったからだろうか。
この二人もまた好奇心の向かう先がアレクサンドラとよく似ていた。
「あのね──肝試し、しましょう?」
にっこりと優雅に笑ったアレクサンドラの形の良い唇から零れた一言。
その一言に、王子と王女は揃って好奇心の色を瞳に浮かべ、詳しく聞かせろとアレクサンドラにずいと迫った。