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第十五話

「なぁ、良かったのか」

「何が?」


 王の執務室から出て、従者に扮した悪魔と共に客室へと戻っていたアレクサンドラは、唐突に問いかけられて視線も動かさずに問いに問いを返した。

 従者の姿をとっている間は羽を出すわけにもいかないので、悪魔は仕方なく地面に足をつけて真面目に歩きながら重ねて問う。


「さっきの話だよ。あんな面倒くさそうな話、受けて良かったのか?」

「受ける以外ないじゃないの。王陛下直々のご下命よ。すぐに侯爵家にも正式な勅命が下るわ。まぁ、秘密裏に、でしょうけど」


 王との謁見でわかったことは、王は側妃・アイリーンを慈しんでいたこと。

 そして娘であるリリアーヌを他の子供と同様に愛していることだ。

 あの髪粉が安定してダリエ家に供給されるよう融通しているのもきっと裏で王が手を回しているからだろうし、王宮の出入りを許された家門のダリエ家をあのように重用しているのもそのひとつだろう。

 側妃が儚くなって二十年ほど。

 王は王宮すべてに七不思議というまやかしをかけて秘密を守り続けている。

 ならば共犯者に選ばれた自分も王が定めたその時まで秘密を守るだけである。


「ねぇ……」


 大回廊に差し掛かり、一歩後ろを歩く悪魔に声をかけようとしたアレクサンドラは、突然物陰から飛び出してきた人物を目にして冷たい表情を浮かべた。


(まったく、どこにでもいるわね)


 現れたのはダリエ家と共に王宮内の花を担当する家門の娘。

 フランチェスカから名前を聞いた気もするが必要がなかったので覚えていない。

 そんな取るに足りない存在の娘がこんな場所で何をしているのか。

 この大回廊は王族の肖像画が飾られているような神聖な場所で、やたらに出入りするような場所ではない。

 この場所に飾る花を担当するダリエ家でさえ、必要最低限の滞在で済ませているはずだ。

 それなのにこの娘はどうやらずっとここで張っていたらしく、その場を通りかかったのがアレクサンドラだけであるのを確認するや否や、目に見えてがっかりした表情を浮かべた。


「なんだ、王子殿下たちは一緒じゃないのね」


 そう言ってフンと鼻を鳴らす娘は、もうは用はないとばかりにそのままアレクサンドラに挨拶すらせずに踵を返そうとした。

 ここまでくるとさすがに看過できない。

 これを見逃すということは、侯爵家が侮られているのを見逃すということになる。

 つまみ出すかと小声で尋ねてきた悪魔を手で制し、アレクサンドラは溜め息を一つ吐いて娘を見た。


「お待ちなさい」

「なんですか。私は忙しいのですが」


 呼び止められて不満そうな顔をする娘に、アレクサンドラは淡々とした声音で尋ねた。


「あなた、王宮に上がるのに礼儀作法は習わなかったのかしら? ダリエの娘には作法の心得があったようだけれど」


 その一言を聞いて娘の顔がカッと赤くなった。無礼者と言われたことには気づいたらしい。

 それを見たアレクサンドラはこの程度は理解できるのだなと安堵しながら続けた。


「この王宮はたかだか出入りの商人風情が我が物顔で歩ける場所ではなくってよ」

「な……! 私の家は貴族よ! それに王家に選ばれて直々に出入りを許されているの! その私にそんな口をきくなんて後悔するわよ!」


 娘の言葉に呆れるアレクサンドラの背後で、悪魔が堪えきれずにふきだした。それが余計に娘を逆上させたらしい。

 娘は射殺すような視線でアレクサンドラと悪魔を睨みつけている。

 だが、アレクサンドラはあらあらと優雅な笑みを浮かべるばかりだった。


「後悔ですって? させてごらんなさいよ。今お前の目の前に立っているのが誰なのかも理解できないような愚物がうるさいこと」

「は?」

「出入りの家門に選ばれたことで爵位を与えられた程度の成り上がりが、私に一体何を言えると? そもそも私はお前に発言を許したかしら」

「なによ偉そうに! 私、知ってるのよ。あなた、たかだか婚約破棄したくらいで相手の家門を破滅させた極悪非道の侯爵令嬢なんですってね! みんな魔女だって言ってる。それにそこの従者とここで抱き合ってるのだって見たんだから! 商人風情が王宮を歩くな? じゃあ情夫連れで王宮を歩いてる恥知らずなあなたは何なのよ!」

「──お黙りなさい」


 静かな声だった。

 そして、温度のない声だった。


「情夫? あなた今、『これ』を情夫と言ったの」


 これ、とはつまり悪魔である。

 アレクサンドラが従者に扮した悪魔を伴って王宮内を歩いたのは事実だが、抱き合ったような事実は一切ない。

 おそらく、この大回廊で指先が汚れているのに気づかず顔に触れようとしたアレクサンドラを悪魔が止めた時に、この娘もこの場所に身を潜めてその現場を見ていたのだろう。

 アレクサンドラは悪魔を情夫と言われたことにこれ以上ない怒りを抱き、吐き出すような低い声音で続けた。


「私がこれに懸想しているような薄ら寒い勘違いはやめてちょうだい」

「だったらどうしてあんな密着していたのよ。ちゃんと見ていたんだから、しらばっくれても無駄よ」

「情夫ではないのは事実だもの」

「なら何だというの」


 娘の問いにアレクサンドラは答えようと口を開き、何と答えれば良いのかと言葉に詰まった。

 もちろん情夫や恋人などではない。

 だが、友人というのは少し違う気がする。

 当然ながら家族でもないし、悪魔はいろんな頼みをきいてはくれるが主従関係というわけでもない。

 ならば、この悪魔はアレクサンドラにとっての『何』なのだろう。

 言葉に詰まったアレクサンドラを見て、娘は形勢逆転を察してにやりと笑みを浮かべた。

 だが、アレクサンドラがぴしゃりと言い放つ方がわずかに早かった。


「これはね、私の犬よ」


 犬、という言葉に娘は何を想像したのか顔を赤くして破廉恥なと叫んだが、意に介した様子もなくアレクサンドラは続けた。


「取って来いが得意なだけの私の犬。──そうよね?」


 最後の一言は明らかに悪魔に向けられたもので、悪魔は腹を抱えて息ができなくなるほどひぃひぃ笑いながらも「わん!」と元気よく返事をした。

 考えてみれば単純なことだ。

 屋敷の隠し書庫で見つけた古書にアレクサンドラが触れたことをきっかけに、この悪魔は封印から解放された。

 ただそれだけのことで、アレクサンドラは今もこの悪魔の名前も知りはしないし、知ろうとも思わない。

 悪魔が何をして本に封印されるに至ったかすら興味がない。

 知りたがりの自分がここまで興味を持てないということは、それだけの存在ということだ。

 寝起きで寝ぼけてぽやぽやしていた悪魔をちょっと世話してやったら懐かれた。

 それに悪魔は好奇心を満たすのに必要なあれこれを取って来るのが上手かった。

 そう、アレクサンドラからしてみれば自分に懐いた野良犬をちょっと世話してやっているに過ぎない。

 昨日のアレだって犬が戯れてきた程度のものだ。

 ようやくしっくりくる言葉を選ぶことが出来て、アレクサンドラはとても満足しながら娘に向き直る。


「そもそも王家に選ばれたのはお前自身ではなく家門でしょう。身の程を弁えることよ」

「あ、あなただって、ただ侯爵家に生まれただけじゃない!」


 これだけ言っても何も伝わらないというのか。

 アレクサンドラの胸のうちは急速に冷え、目の前の娘が己と同じ言語を扱っていることにすら嫌悪を覚えた。

 まったくお話にならない。

 冷ややかな眼差しを娘に向け、アレクサンドラはぴしゃりと言い放った。


「家門に恥じぬ存在であるために重ねてきた私の努力を、お前なんかの身の程知らずの傲慢な振る舞いと一緒にしないでちょうだい」


 家の威光を笠にきて驕り高ぶる愚か者が。

 アレクサンドラの言葉は重く、冷たく、一瞬で容易くその場を支配した。

 それでもなお言い募ろうとする娘が口を開こうとするが、アレクサンドラがすっと右腕を上げる方が早かった。


「王宮で私達は常に見られている。お前のような者にも、そして、お前のような者でも」


 アレクサンドラはまるで踊るように優雅に腕を伸ばして辺りを示した。

 ここは大回廊。辺りには無数の王族の肖像画が飾られている。

 それらを示し、肖像画に描かれた貴き方々に恥じぬ振る舞いをせよとアレクサンドラは続けた。


「見られているのよ。お前が何をしてきたのか、お前が陰に隠れて誰かを見てきたように、お前も見られているの。だからこそ家門に恥じぬ振る舞いをしなければ」


 アレクサンドラの言葉を聞いているうちに、娘はいい知れない不安に駆られた。この妙な圧迫感はなんだ。

 ここにいるのは侯爵令嬢とその従者の二人だけ。

 だというのにまるで無数の目がこちらを見ているような息苦しさを感じる。

 そこで娘は妙な事に気がついた。


(何……?)


 見られている。

 目の前の侯爵令嬢が言ったように、見られているのだ。


「あ……あぁ……!」


 絵に描かれた人々が、無機質な目でこちらを見ている。

 ここに飾られている肖像画は真正面を向いたものばかりで、絵の正面に立たない限り自分の方を見ているようには感じないはずだ。

 それなのに、壁の肖像画に描かれた人々は一つ残らず感情のない目で娘を見つめていた。

 そんなことあるはずがないと近くにあった絵のひとつを凝視した娘は、その絵の肖像画に描かれた名前も知らない王族の目がギョロリと動いたのを見て、ついに悲鳴を上げてその場から逃げ出した。

 遠ざかるその背中を見て悪魔がアレクサンドラに問う。


「逃がして良かったのか?」

「別に捕まえてどうこうしたい訳ではないし、これ以上付き合うのも時間の無駄でしょう。でも突然悲鳴を上げて逃げ出すだなんて、一体どうしたのかしら?」


 首を傾げるアレクサンドラの後ろで悪魔が小さく笑った。


「さぁな。あぁ、でもここってあの七不思議の大回廊だろ。肖像画の目でも動いたんじゃね?」

「こんな真昼間から怪談話? ……まさかお前、何かしたのではないでしょうね?」

「まっさかァ。俺なぁんにもしてないぜ」


 くつくつと笑う悪魔をジト目で見るアレクサンドラだったが、この悪魔、けっして嘘は吐かないのだ。

 だから悪魔が何もしていないというのなら、本当に何もしていないのだろう。

 これ以上考えても仕方がないとアレクサンドラは小さく息を吐き、改めて客室へ向かって歩き出す。


「お前が何かやらかしたのでないのならばそれでいいわ。それにしても、やっぱりあの時見られていたじゃないの。悪魔、お前少しは己の軽率な振る舞いを反省したらどうなの」

「えぇ〜? そんな大したことしてないだろ」

「許可なく私に触れたのがそもそも大問題よ」

「エッ、許可制なのかよ」

「当然でしょう。私を誰だと思っているの」


 レディ・アレクサンドラよとフンと鼻を鳴らして歩き続けるアレクサンドラだったが、悪魔の足音がついてこない事に気がついて足を止めて後ろを振り返った。


「どうした……の……」


 アレクサンドラの後ろで悪魔はどこか遠くを見るような眼差しで一枚の肖像画を見ている。

 肖像画に描かれているのは何代も前の、それこそ百年以上前の王族の姿だ。

 長いこと封印されていたというから、もしかしたらこの頃の王族には覚えがあるのだろうか。

 そんなことを考えながらアレクサンドラはごく小さな声で悪魔を呼んだ。


「……呼んだか」


 少しの空白の時間があって、悪魔がゆるりと視線をアレクサンドラへと向ける。

 金色の瞳が確かに己を捉えているのを感じ、アレクサンドラは無意識にほっと息を吐いた。

 なんだか、そのまま悪魔がどこかに溶けて消えてしまいそうな気がしたからだ。


「急に立ち止まるから、何かあったのかと思っただけよ」


 誤魔化すようにそう言えば、悪魔は肩を竦めて何でもないのだと笑った。

 それは少しだけ寂しそうに見える笑顔だった。

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