01――リーリエ
学園島に朝が来る。連日続いていた悪天候も過ぎ去り、夏が始まろうとしていた。街路樹からは静かに昨日の雨を思わせる雨粒が落ちていた。
電車に揺られた後、学園を目指し歩く。
「おはよー! クーちゃん!」
爽やかな挨拶。
「おはよ、彩」
ガチャガチャと両脚の義足を鳴らし走ってくる。
私と同い年、同じクラス。遠藤彩だ。寮暮らし。
彼女は幼いころに事故で太ももから下を失った。私の“眼”同様人工的な、獣を思わせるシルエットに機械化、脚の“マシナー”だ。
「急がないと遅刻しちゃうよ!」
視界の右上のデジタル表示はあと十三分で始業時間を迎えることを告げている。
「私は学長に用事があるから今日は大丈夫。先に行っていいよ」
「また? わかった!」
彼女はニコッ! とまぶしく笑うと、走り出す。車道の車を追い抜いて行った。
学園島。東京湾の一部を埋め立てて作られた島だ。
六割が学生であり、残りは島の運営や保守を担当する“オトナ”である。
ここには主に障がいを抱えた若者が集められている。
幅広く幼稚園児から大学院生。障がいに関しては先天的、後天的、身体知的精神、問わずだ。
二十年前の第三次世界大戦では、核も用いられ、この地球上に多くの爪痕を残した。
そして復興の過程で必要とされたのが、“人手の再利用”だ。
言い回しは悪い。とても悪い。
多くの命が失われすぎた。戦争で負傷、後遺症を持った者たちの力をもう一度借りよう。そういった内容で掲げられたこの標語は、数人の偉い政治家先生の首を飛ばすほどの批判と共に、浸透していった。
そして注力されたのが、身体の義肢化。戦場に出ていたわけではないが、彩の脚や私の眼もそれにあたる。
だが外見にまでは手が回っていないらしく、彼女は機械部品をむき出しで、私も常にHMDを被っているかのような外見だ。
もっとも、それを気にするような人間はこの島にはいない。
大半を占める学生の、大半がそうなのだ。ここでは、これが普通なのだ。
「ちったぁ急いだらどうだ? リーリエ」
カバンの中から声がする。
『いいじゃない。こっちは“仕事明け”よ、ケイジ』
音を発さず直接応える。
「若者は勉強をだな……」
『……それもガンズジョーク? あと音を出さないで。私からオッサンの声が出てると思われたくないわ』
『わかったわかった』
直接頭に響いた。
彼は第十六世代型支援AI「R-W55J-F」だ。
当初は軍用に開発され、脳内にチップを埋め込むことで機能するものだった。
今となってはそれも生活の一部となり、利用するのも一般的だ。特にこの島では。
例えば、彩の脚の制御も支援AIの力を借りているとのこと。
始業時間はとうに過ぎてしまい、ひと気のない校門をくぐる。
正門の目の前が教員の棟。右が教室で左が武道場だ。
向かうのは右手の教室……ではなく、学長室。
正面の棟、四回の奥。三度、扉を叩くと中から返答があった。
「クロエ・リーリエです」
「入りたまえ」
開く。空調の効いた部屋の中、柔らかそうな椅子に座っているのは昨晩の、標的と一緒にいた顔だ。
光を写さない真っ白な眼をこちらに向ける。
「相変わらず見事だったよ。ニュースの一面を飾ってる」
「知ってます」
電車の中で視界に流れてきた情報だ。医療法人の重役が殺害された。裏金に手を付けていたとの情報もある、と。
都合よく、学長には関わりの無いことになっている。その裏金を渡そうとした相手が学長だというのに。
「抑止力として完璧な働きだ。騒いでくれるほど、似たような輩が怯えてくれるというもの。先月渡した支援AIとは仲良くやってるかね?」
ケイジのことだ。
「若干口うるさい程度で、特に問題は」
ならばいい、と立ち上がる。
「……標的の御子息は障がい者だったのですか?」
学長は電子煙草を口に運ぶ。かつて存在した紙煙草とは違い、周囲に健康被害はないらしいが臭いが嫌いだ。
「キミには関係ない。今まで通り、“仕事”をこなしてくれたまえ。必要な情報は渡しているはずだが?」
「……承知しました。では」
踵を返し、部屋を出ようとすると学長がポツリとつぶやいた。
「……彩は元気か?」
“遠藤”学長の質問に私は答える。
「ええ、とても。失礼します」
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