王太子殿下、ちょっと冷静になってみましょうか
本編加筆修正させていただきました。
エウローパ大陸にあるラダマンテュス王国。
その王太子リアムの婚約者、アンジェルはため息を吐いた。
「…王太子殿下、どうして」
リアムの近頃の変わりように、アンジェルは深い悲しみを抱く。
アンジェルを将来の妃として愛してくれていたはずのリアム。
しかし最近新しい聖女が教会に選ばれた。
その聖女と出会ってから、リアムの様子が明らかにおかしいのだ。
アンジェルを遠ざけ、あるいは新しい聖女を虐めたと叱りつけ、新しい聖女を大切そうに愛する。
ちなみにもちろん、アンジェルは新しい聖女を虐めたりしていない。
たとえ愛する人の心変わりの原因が新しい聖女であったとしても、公爵家の娘としてそんなみっともないことをするはずもなかった。
それは、アンジェルを幼い頃から愛してくれていたリアムなら承知のはず。
明らかに今のリアムはおかしい。
しかし、時々。
ほんの時々、リアムはアンジェルを見つめて切ない表情を浮かべるのだ。
その後すぐに新しい聖女に興味を戻してしまうのだが…その切ない表情に切実な想いを感じる。
それにリアムは悪役令嬢だとアンジェルを詰り断罪してやると吠える割に、いつまで経っても断罪してこない。
アンジェルはそれに希望を見出して、リアムの両親である国王と王妃、自らの父である公爵にリアムの処分を待ってもらっていた。
「王太子殿下…どうか、そろそろ正気に戻ってください…父の怒りを抑えるのももう限界です…」
アンジェルは人知れず、静かに涙を流した。
「王太子殿下、ここでちょっと冷静になってみましょうか」
「ん?なんだ藪から棒に」
この国の王太子、リアム。
その側近であるクレマンは執務を終えたばかりのリアムの肩を優しくほぐしながら、殊更に優しい口調で語り出す。
「リアム様、この大陸がどんな場所かはご存知ですか」
「は?バカにしてるのか?この世界で最も大きな大陸、エウローパだ」
「そうですね。そして広大ゆえ、たくさんの国がございますね」
「そうだな、だが我がラダマンテュスはその中でも最も広大で、栄えており、そして歴史も古い」
「はい、おっしゃる通りです」
クレマンは次にリアムの頭を揉みほぐす。
リアムは気持ちよさそうに身を任せる。
「そのラダマンテュスをこれから栄えさせていくのは、王太子殿下…貴方様に他なりません」
「そうだな。誇り高き使命だ」
「であればこそ、王太子殿下。貴方様は公私を分けて考えねばなりませんね」
「………ミラの話、か?」
ほんの少しだけ。
クレマンの、リアムの頭を揉みほぐす手に力が入った。
だがそれは一瞬のこと、それも痛いほどではなかった。
リアムはそれに構うことはせず、クレマンに続きを促した。
「はい。王太子殿下がミラ様を気に入っているのは承知しておりますし、それを咎めるつもりは私にはございません。なにより王太子殿下の婚約者たるアンジェル様も、ミラ様と王太子殿下のお戯れに目をつぶっております。であればそこに口出しは致しません」
「…ではなんだ?ミラを愛するのを咎めぬというなら、なんだと言う。それに、あの【悪役令嬢】をそこまで持ち上げるな。あれは聖女であるミラを虐めた大罪人だ」
「………ですから、公私は分けましょうねと言うお話です」
クレマンはリアムの頭から手を離し、次は首を優しく慎重にマッサージする。
「ミラ様に、アンジェル様に使うべきお金を注ぎ込んでいますね?」
「っ…」
「国庫にはポケットマネーから返済なさいませ。今ならまだ間に合います。あとアンジェル様に謝罪し、アンジェル様のために色々となさいませ。少なくともそれは、貴方様の罪でしょう?」
「………そ、そうだな。わかった」
「ちなみに…これを私が把握していると言うことは、もちろん国王陛下や王妃殿下は…それとアンジェル様のお父君たる公爵閣下も…把握しているはずです。王太子殿下、貴方様は今試されているのですよ」
クレマンの言葉にリアムは青ざめる。
「でも、問答無用で責任を取らされるのではなく試されている現状はまだ幸いです。ここからまだ巻き返せるのですから。ですから私の進言を蔑ろになさいますな」
「わ、わかった…」
「それと、聖女たるミラ様のために教会に様々な便宜を図っていたようですが…もうおやめください」
「…」
「これ以上は、貴方様の身が危うくなりましょう」
クレマンに優しく優しく諭され、ようやく己の身を顧みたリアム。
考えてみれば、なんと危ない橋を渡っていたのか。
聖女であるミラに惚れ込み、あれほど尽くしてくれていた婚約者のアンジェルを裏切ってしまった。
そしてミラにどんどんのめり込み、私財だけでなく公金まで…これでは横領だ。
そして王族でありながら、対立とまではいかずとも関係が良くない教会に肩入れまでしてしまった。
―…いや、そもそも俺はなぜそこまで聖女にのめり込んでいた?
愛していたはずのアンジェルを裏切ってまで。
そうだ、俺はアンジェルを愛していたはずではなかったのか?
その愛おしいアンジェルを、間違いを犯した俺をそれでも何も言わずに今でも待ってくれているアンジェルを…聖女ミラを虐める【悪役令嬢】だと、いつか大衆の面前で断罪すべき悪人だと認識してしまっていたのは…何故だ?
リアムは疑問に思う。
『術者に疑問を持つこと』こそ、魅了の術の解除の一つ目のトリガーだ。
疑問を持っても数分も経てばまた魅了に堕ちてしまう。
疑問を持っている間に、急ぎ魅了解除の術を発動しなければならない。
「―…クレマン。急ぎ白魔導士を呼べ。俺に魅了解除の術を発動させろ」
「賢明なご判断です。急ぎ呼んで参ります」
リアムはクレマンの連れてきた王宮に仕える白魔導師の手を借り、聖女ミラに掛けられていた魅了の術を解除。
その後のリアムは早かった。
聖女ミラと教会の聖王を内乱罪で処罰…ギロチンにかけて、さらし首とした。
ミラはギロチンにかけられる前に、「こんなはずじゃなかった」「なんでヒロインである私がこんな目に」「あの悪役令嬢…いや、それに片想いしていたあの男の陰謀!?」と叫んでいたが処刑前で気が狂ったものとして、相手にされることはなかった。
新たな教会の聖王には王太子であるリアムの同腹の信頼できる弟を据え、新たな聖女にはリアムとは腹違いだが真面目で優しい妹姫を据えさせた。
この動きに国王と王妃もまあ及第点かと安心して、息を吐いた。
そんな両親にリアムは迷惑をかけて申し訳ないと頭を下げつつも、ちゃっかりと魅了の術を弾くためのアミュレットを開発させてくれと要求した。
その要求は通り、後日魅了の術を弾くアミュレットが出来上がり王族はみんな身につけることが決まった。
そしてリアムは、婚約者であるアンジェルに…。
「………魅了なんかに引っかかってすまなかった!この通りだ許せ!!!」
「王太子殿下、土下座などしてはいけません!」
「それだけ反省してるのだ、すまなかった!」
「許しますから土下座はやめてくださいませ!!!」
本気で詫びた。
「それと、俺の婚約者たるアンにもな、準王族としてアミュレットを用意してあるんだ…その、自分が魅了の術に引っかかっておいてこんなことを言うのは申し訳ないのだが…アンが他の誰かに奪われたらと思うとそれだけで動悸が治まらないから…着けてくれないか…」
「え、ええそれはもちろん着けますが…」
「本当にすまない!ごめん!ありがとう!」
「お、王太子殿下、頭をあげてください!」
「わ、わかった…その、魅了封じの指輪…俺が、嵌めてもいいだろうか」
緊張した面持ちで聞くリアムに、アンジェルは戸惑いつつも頷く。
「は、はい…」
「では」
リアムはアンジェルの前に跪き、恭しくアンジェルの右手を取る。
そしてアンジェルの右手の薬指に魅了封じの指輪を嵌めた。
「…その、左手にも近々素敵な指輪を用意させてくれ」
「は、はい」
「今回の件で、いかに俺が君に迷惑をかけたか…だがそんな愚かな俺を信じて、待ってくれていた愛おしいアン。俺にはこれからも、俺を信じてくれる君が必要だ。そばにいてくれるか?」
「もちろんです、王太子殿下。ずっとずっと、お慕いしてきたのですから…!」
こうして王太子とその婚約者は、晴れて仲直りを果たしたのだった。
―…そして。
その帰りの馬車で。
「クレマン、この度は良い働きをしてくれた。礼を言う」
「いえ、王太子殿下のお役に立てたなら幸いです」
「だが、良かったのか?」
「何がでしょう」
「お前、アンに惚れてるだろう」
その問いに対して、微笑むだけのクレマン。
「…奪ってしまおうとは思わなかったのか」
「アンジェル様は、心から王太子殿下をお慕いしていらっしゃいます。ですからそもそも奪えませんよ」
「だがこの機に乗じればあるいは…」
「王太子殿下、アンジェル様はそう簡単なお方ではございません。本当に心から、王太子殿下を愛してらっしゃるのですよ。王太子殿下を失えば心を保てないほどに」
「…そうか。幸せ者だな、俺は」
クレマンは一瞬だけ表情を曇らせたが、再度微笑む。
「ええ、本当に…ですが、王太子殿下のアンジェル様への愛も相当だと思いますよ」
「魅了なんぞに引っかかったのにか」
「魅了に引っかかっておいて、あの程度で済んだのは心の中にアンジェル様が居たからこそでしょう。他国の歴史を見るに、聖女の魅了はそこら辺の魅了の術とは一線を画すもの。精神がおかしくなっても不思議ではないようですから」
「……そうか、俺はつくづくアンに助けられてばかりだな」
「ええ、そんな深い愛をアンジェル様に持たれる王太子殿下だから、私は…僕は、諦めがついたのです」
ですが、とクレマンは困った顔を見せた。
「もし次に王太子殿下がアンジェル様を悲しませたら、この想いをまた抑えられるかはわかりません」
「………肝に銘じておく」
青い顔をしたリアムがこくこくと頷くのを見て、クレマンは微笑みをまた浮かべた。
心の痛みには、気付かなかったことにして。
ということで如何でしたでしょうか。
ちなみに悪役令嬢は転生者ではありません。
クレマンもリアムも転生者ではありません。
ですが、この乙女ゲームの世界に似せて作られた異世界ではどうやら王太子と悪役令嬢はラブラブカップルになってしまっていたようです。
それが気に食わなかったからと言って、魅了まで使った転生ヒロインが処罰されるのはまあ…仕方がないですかね。
少しでも楽しんでいただけていれば幸いです。
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