4話 導師サビナ 後編
見れば見るほど不思議だなぁ。
俺たちヴァンパイアが聖属性を発するなんてな。
俺はサビナの身体を観察したが、近づくかどうか迷うところだ。
聖属性が思ったより強くてダメージを受ける、なんてことも有り得るわけで。
「もしかしてアルト様」エレノアが言う。「サビナが処女でなくなれば、サビナは生き返るのでは?」
こいつ何言ってんの!?
もしかしてだけど、処女の意味分かってねぇだろ!?
「……クイーンはその」マイルズが言いにくそうに言う。「処女の奪い方を……知っていますか?」
「わたくしは知らないが、アルト様ならばその程度、容易いことだ!」
容易くねぇよ!
テキトー言うなよ!?
「すでにアルト様は、数多の処女を奪ってこられたに違いない」エレノアは俺の方を見上げて言う。「ですよね!?」
俺は鬼畜か何かな?
ですよね、じゃねーよ。
俺は確信した、こいつ、絶対に意味分かってねぇ。
「さすがは……アルト様ですね……」
マイルズが引きつった表情で言った。
俺を女性の敵にしたいのかな?
言っておくが、俺は敵を作らない主義なんだ。
そう、全ては平和に長生きするため。
「さぁアルト様! サビナの処女を奪ってしまいましょう! なんなら、わたくしもお手伝いしましょう!」
キリッとした表情でエレノアが言った。
どう手伝うつもりなんだこいつ。
普通に考えて邪魔なだけだが?
いや、俺はもちろん、サビナの処女を奪うような真似はしないけれども。
そもそも聖属性の身体とか抱きたくねぇ。
「ちょ、ちょっと待てエレノア」俺は一度、コホンと咳払いをする。「そんなにサビナを生き返らせたいのか?」
「アルト様、わたくしたちは絶滅危惧種なのですよ?」エレノアが指を1本立てて言う。「サビナが助かる可能性があるなら、助けた方がいいでしょう?」
「それはまぁそうだな!」
くそ、エレノアに正論を言われるとは!
「あの……その方法でサビナ様が戻ってくる可能性が、高いとは思えませんが……」
マイルズが冷静に言った。
だよなぁ。
精神がすでに違う次元に行ったのなら、今更、身体をどうこうしても意味ないのでは?
こんな現象は一万年の人生で初めてなので、確信はないけれど。
「可能性がゼロでないなら、ダメ元で試してもいいはずだぞ眷属」
エレノアがマイルズに言った。
その意見も割と正しい。
どうせダメ元なのだから、少しでも可能性があるなら試すのも悪くない。
あくまで意見が正しいという意味で、サビナの処女を試しで奪うのはちょっと。
「一旦、落ち着こう」俺はエレノアの頭を撫でる。「サビナ本人が望んでこの状態になった可能性だってあるんだぞ?」
「なるほど。確かにそうですね」
エレノアがコクンと頷いた。
「マイルズ、どうなんだ?」
「僕には分かりません。気付いたらこの状態でしたから」
「そうか……」
困ったな。
何が困ったって、サビナが生き返ることを望んでいるかどうか分からないことだ。
それと、生き返らせる確かな方法がないこと。
てゆーかこれ、死んでるのかどうかも怪しいぞ。
「ところでマイルズよ」エレノアが言う。「なぜピアノがポツンと置いてあるのだ?」
「ここはサビナ様の音楽室と言いますか、ピアノを弾く……練習するための部屋だからですね。誰かに聞かせる時は、塔の上の綺麗な部屋の、伝説級のピアノを使います」
「伝説のピアノ!?」
エレノアが目を丸くした。
「サビナはピアノめっちゃ上手いぞ」俺が言う。「あいつも長生きだから、色々と囓ってるんだけど、ピアノだけは長いこと続けてるからなぁ」
俺にとってのチェスみたいなもんだ。
「それは是非、聴いてみたいですね」エレノアがピアノに寄って行く。「実はわたくしも、少し弾けるのです。弾いても?」
俺がマイルズに視線を送ると、マイルズがコクンと頷く。
エレノアがパァッ、と太陽みたいに笑った。
おっと、ヴァンパイアに太陽なんて比喩は御法度だな。
と、エレノアが『トレント切り倒しちゃった』を弾き始める。
この曲は子供向けの曲で、かなり簡単に弾ける。
エレノアはそれほど上手ではないが、楽しそうだからまぁいいか。
「アルト様も何か弾いてみてください!」
弾き終わったエレノアが、キラキラした瞳で言った。
なんでこいつ、俺がピアノ弾ける前提なんだ?
いや、弾けるけども。
サビナに無理やり囓らされたからな。
◇
約2000年前、アルトに会ってからサビナは性欲を抑えられなくなった。
「あああああ! アルト君! どうして……どうして抱いてくれないの……」
サビナはアルトのために、処女を大切に護り続けたというのに。
あまりにも高まりすぎて、ウッカリ誰かを襲ってしまいそうになったサビナは、一心不乱にピアノを弾いた。
それでもアルトに会って高まった性欲は減少しなかった。
このままではまずい、と感じたサビナは、無になることにした。
8000年も護った処女だ、一時の気の迷いで失っていいわけない。
瞑想する聖職者のように、サビナは結跏趺坐の姿勢を取った。
そしてそのまま100年程度が過ぎ去り、性欲と一緒に自我まで減少し、いつの間にかニルヴァーナに到達してしまう。
それは無限の幸福であり、サビナはそこに浸った。
そうすると、900年程かけて魂が抜け、新たなる次元への階段が出現した。
その階段の両側に、ニルヴァーナに到達した先達たちが並んでいて、「おめでとう、おめでとう」と手を叩いた。
何かの物語の終わりみたいだ、とサビナは思った。
そうしてサビナはゆっくりとその階段を上る。
階段に手すりはなく、そもそも階段以外は何もない。
階段の幅は広いので、足を踏み外すことはないだろうが、踏み外したらどうなるのだろう? と少しだけ疑問に思った。
先達に聞いてみると、次元上昇に失敗し、元の世界に戻るらしい。
1000年近くの時間をかけて、サビナが階段を上っていると、どこからか下手くそなピアノが聞こえてきた。
「……これは、『トレント切り倒しちゃった』……だよね?」
下手だけどとっても楽しそうに弾いている。
サビナは立ち止まって、その曲が終わるまで聴いていた。
そして。
そのあと。
サビナが作曲した『月光の下の運命のあなた』が聞こえた。
この曲を演奏できるのは、サビナ以外には1人しかいない。
「アルト君……」
サビナは急いで階段を下り始める。
「ピアノ弾いてるアルト君……カッコいいから見ないと!」
アルトはとっても優雅にピアノを弾く。
アルトは世界で2番目にピアノが上手い。
もちろん1番はサビナだ。
「ちょ、どこへ!?」「ニルヴァーナに達したのに戻るの!?」
「もうすぐ次元上昇できるのに!?」「あと200年もあれば……」
先達たちが酷く驚いた様子で言った。
「カッコいいアルト君を……見逃すわけにはっ!」
ニルヴァーナの至福など、カッコいいアルトに比べたら些細なこと。
今のサビナには、明確な戻る理由が生まれたのだった。
「階段……面倒……そうだ」サビナは閃いた。「落ちれば、戻れるっ!」
階段の横の、何もない空間にサビナはダイブした。
◇
俺はピアノを弾き終わり、ちょっと格好付けてポーズを決めた。
「素晴らしい! さすがアルト様! こんな素晴らしいピアノ、わたくしは初めて聴きました!」
エレノアが半泣きで拍手を贈ってくれる。
マイルズも同じく拍手をしていた。
うん、ちょっと照れるけど嬉しいもんだな。
「さて、じゃあ帰るか!」
俺はサビナのことは棚上げしようと思った。
地下帝国も健在だったし、俺にできることはもうない!
まさか本当に処女を奪うわけにもいかねぇし。
今度、邪神ババ……じゃなくて、ロキお姉さんに相談してみるか。
あの人、俺より長生きだし物知りなんだよな。
そんなことを考えながら、俺は立ち上がる。
「え? アルト君……帰るの?」
「ああ。残っても仕方ねぇしな」
「でも……久しぶりに連弾したいな……」
「じゃあ連弾だけするか、サビナ……サビナ!?」
俺は驚いて飛び上がってしまった。
なんでサビナ普通に立ち上がってんの!?
なんで普通に喋ってんの!?
「サビナ様!?」「導師サビナ!?」
マイルズとエレノアも酷く驚いていた。
「大丈夫なのか? お前、ニルヴァーナに達したんじゃ?」
俺が聞くと、サビナはえへへ、と照れた風に笑う。
「アルト君のピアノが聞こえたから、戻ってきちゃった……」
そっかぁ、戻ってきちゃったかぁ。
いや、いいことだけどな!
サビナの身体を頭のてっぺんから足の先まで観察したけど、もう聖属性ではなくなっていた。
俺はホッと息を吐く。
1万年の友達が聖属性に鞍替えとか割と厳しいからな。
「あれ? わたし……神の領域に触れたのかな……」サビナが自分の両手を見ながら言う。「魔神に片足突っ込んだかも……」
マジで!?
すげぇ!
これからはサビナ神って呼んだ方がいい!?
あ、まだ半神か!
それでもヴァンパイアから半神ってすごいことだぞ。
俺なんていつまでも平均的なヴァンパイアなのに。
その後、俺はサビナにエレノアを紹介したり、連弾したり、お茶したり近状報告をして、今度はサビナが村に遊びに来るという約束をしてバイバイした。




