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其の二十四:最後の攻防

 

 斉王の最期は、部下に無残に殺される、という実に惨めなものであった。

 その部下とは楚の将軍で、燕の攻勢に苦しむ斉王を援助するべく楚王が派遣した者だった。この援軍を斉王は痛く喜び、やって来た楚将を宰相にした。

 だが、楚将にとって、驕慢な斉王は忠誠心を刺激するに値しない王であった。むしろ、害悪とさえ思えた。


――もし、この斉王を援け、斉が息を吹き返したとしてどうなる。楚王の恩を忘れ、再び諸国に兵を送るだけに違いない。


 そもそも斉が燕によって七十城も落とされたのは、すべて強国である事を驕った斉王が原因である。そんな王のために働くより、自らが斉王として立ち、恩ある楚王のために尽くしたほうがよっぽど良い。楚将はそう考えた。

 そして、斉王は身体中の筋を抜かれる、という残酷な殺され方をした。それから楚将は素早く手を打ち、斉王の血縁を次々に捕らえ、ことごとく殺したのである。だが、そんな魔手から、ただ一人生き残った斉王の子がいた。それが生き延び、次の斉王として立ったのである。

 その時、楚将はどうしていたか。彼は、斉の民衆の手によって殺されていた。斉を貶めた斉王とは言え、王は王である。その王を殺した楚将を斉の民は決して許さなかった。こうして、斉は辛うじて滅亡を免れた。

 この一連の動きを、楽毅は静かに見守っていた。

 楽毅は良く判っていた。斉人の感情をないがしろにしては、本当の意味で斉を攻略した事にはならないのだ、と。斉王が篭る邑を包囲したままにし、その間にすでに攻略した邑に善政を敷いて民に安寧を約束し、燕王の徳政を行渡らせる。これこそが本当の意味で斉を燕の版図に加える、ということになるのだ。楽毅は、斉の残り二城をゆっくりと時間をかけて落とし、斉の民を燕の民に変えようと図ったのである。

 ところが、そんな楽毅の構想を理解できない者がいた。楽毅と固い絆で結ばれた燕王が急死したのちに即位した、新たな燕王がその人である。

 燕王の急逝の報に触れた楽毅は、人目もはばからず慟哭した。燕が斉を攻めたのは、すべて燕王の恨みを晴らさんがためであった。その悲願を果たす日を見ぬまま燕王は亡くなってしまったのだ。何よりも楽毅は、最大の理解者を失ってしまったのである。楽毅はただただ泣いた。

 だが、楽毅に訪れた悲劇はそれだけではなかった。

 新たな燕王は、楽毅と合わなかった。彼は楽毅の絶大な人望と才気に、恐怖すら抱いたかも知れない。それゆえ、燕王は楽毅を信じず、臣下の讒言を鵜呑みにした。


――楽毅は自ら斉王になるため、斉人を手懐けようと、あえて二邑を落とさないでいる。斉が恐れているのは将の交代である。交代した将が攻勢をかければ、斉の命運は尽きたも同然だ。


 この楽毅を陥れる言葉が、即墨より発せられたものであることは言うまでもないであろう。これを信じた燕王は、すぐに将の交代を命じた。

 しかし、占領した斉の経営は、楽毅なればこそ実現可能であったのである。暗愚な燕王は、これが前線で戦う兵に多大なる混乱をもたらす事になるなど、夢にも思わなかった。

 斉を去ることとなった楽毅は、どのように思っただろうか。讒言を信じずに、楽毅を信じぬいた先王。かたや、同じ讒言を頭から信じる今の燕王。言い表せないほどの悲しみと落胆、そして失望が楽毅を襲ったことだろう。加えて、素直に本国に戻った所で、謀反の罪を着せられて殺されるという事は目に見えている。失意の底にある楽毅は苦渋の決断をした。


――謀反の罪で殺されては、私を信じてくれた先王をも裏切っていた事になる。


 そう思い定めた楽毅は、燕に戻らず、その足で趙へと亡命した。

 なお、余談ではあるが、のちに楽毅は、その心情をつづった書簡を燕王に送っている。その書簡は燕王に感銘与えたのは勿論の事、後世の人々の心をも打ち、名文であるとして広く人口に膾炙した。

 さて、楽毅の代わりに、新たに斉の攻略を命じられた将は、騎劫といった。

 騎劫ははじめ、斉の二邑を落とすことなど容易いことだと高をくくっていた。それもそのはずで、今まで楽毅は故意に手を出さなかったのであり、その気になりさえすれば、いつでも斉を滅亡させられると騎劫は考えていたのである。その騎劫は早速即墨へ赴き、それまでの兵糧攻めをやめ、力攻めを行った。

 即墨はこの攻勢に対し、徹底して抗戦した。兵は疲労の極みにある。それでも、士気は衰えなかった。兵たちは、文字通り必死で守りに守って、幾たびも燕軍を跳ね返した。

 騎劫は焦りはじめた。やすやすと落ちると思った即墨が、予想に反して一向に落ちないのである。これでは、何のために楽毅と交代したか判らない。

 さらに悪いことに、長らく遠征を行っている燕軍に厭戦の空気が充満しだした。これまで楽毅によって高く保たれていた兵の意気が、急速にしぼんでしまったのである。これだけを見ても、騎劫に比べて楽毅の方がはるかに上であることは明白である。

 騎劫はしかし、それを認める訳にはいかなかった。一刻も早く目に見えた実績が欲しかった。

 そうした焦燥にかられる騎劫のもとに、即墨城内の情報が聞こえてきた。


――即墨の士気は落ちている。このうえ、騎劫が捕虜にした斉兵を害することがあったら、もはや即墨の兵は戦えなくなってしまうだろう。


 即墨を攻める燕軍は、多くの斉兵を捕虜にしていた。彼らに危害が加えられたら、即墨で戦う兵たちは恐れ、やる気をなくす、というのだ。

 これを聞いた騎劫は、なるほど、とほくそ笑んだ。苦しいのは燕だけではない。むしろ、長らく攻撃にさらされている即墨の方こそ虫の息であるのだ。外から崩せないのであれば、内部から崩せば良い。


「捕虜の鼻を削ぎ、城から見えるようにせよ」


 騎劫はそう配下に命じた。これで即墨の兵たちは震え上がり、戦意を喪失するはずである。余裕の出てきた騎劫は、連日続けていた攻撃を一旦中止した。敵の士気が落ちた頃を見すまして一気に攻勢をかけようというのである。その時のために、騎劫は燕軍の編成に修正を加えた。

 軍の再編成が終わる頃、また城内の様子が騎劫の耳に入った。


――即墨の士気はもはや地にまで落ちている。そんななか、人々は祖先の墓が暴かれるのを恐れている。そうなっては、もはや降伏するより道はない。


 もちろん騎劫は速やかに実行した。

 兵をやって城外にある墓を掘り起こさせると、白骨を火で焼いた。黒煙が風にのって即墨の城内へと流れてく。その様を見て、騎劫は勝利を確信した。やはり即墨を攻めあぐねた楽毅など凡将であった、と。愉悦に満たされた騎劫は、その夜、陣中ながらも兵たちに酒を振舞った。

 即墨から降伏の使者が騎劫のもとに訪れたのは、それから間もなくのことであった。



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