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其の二十:先祖を祀る

 

 夜明け前。

 燕軍が攻撃を開始するであろう日の早朝である。まだ暗い中、田単は張氏の家を訪ねていた。

 ようやく起き出したところの張氏は、嫌な顔一つせずに、田単を招き入れた。


「折り入って、頼みがあります」


 という田単に、張氏は、目を輝かせる。


「おお、何でもおっしゃって下さい」


 田単を将軍に推したのは張氏である。彼は、その田単に秘策が浮かんだのだと瞬時に理解したようだった。


「祭壇と犠牲にする牛を手配していただきたい。できれば陽が昇るまでに」


「祭壇……?」


 依頼の内容に、さすがの張氏も真意を測りかねるといった顔つきをしたが、すぐに笑顔に戻ると、


「かしこまりました。すぐに手配いたしましょう」


 と言って、さっそく付近にいた家人に言いつけた。

 それから張氏は田単の方へ向き直る。


「策がおありなのですね」


 と張氏は笑顔で聞いた。相変わらずの人懐こい顔である。


「まあ、そんなところです」


 田単の答えは曖昧である。が、張氏はにこにこと表情を変えない。田単は、用意した祭壇を邑の中央にある広場へ置いて欲しい、と注文を付け加えると、


「戦の準備がありますので、これにて」


 と、言い残し、早々に張氏邸を去っていった。


 即墨へ逃れた後、大夫として取り立てられた張氏にとって、祭壇と犠牲に捧げる牛を手配することなど容易い。だが、それを一体どうするつもりなのか、と祭器一式を運ぶ家人に聞かれても、当然その答えを張氏は持ち合わせてはいない。


「良いから、さっさと運ぶのだ。間もなく陽が昇る。急げ」


 そう言って祭壇を担ぐ家人の尻を叩く。田単がいかなる策を用いるのか気になって仕方のない張氏は、祭器を運ぶ家人と共に中央広場へと向かっていた。なんとしてもその策をこの目で見なければ、と張氏は目を爛々と輝かせていた。


「ご手配、痛み入ります」


 邑の中央に位置する広場には、既に田単が待っていた。まだ陽は昇っていない。

 間に合った、という風に張氏はほっと安堵の息をついた。

 田単と言えば、厳しい表情のまま、すぐさま兵に指示を出して、祭壇の位置を調整したり、祭器の配置をさせていた。その様子は、張氏がどこをどう見ても、単なる祭祀の準備を行うようにしか見えない。


――これが、燕軍に勝つ策なのか。


 まさか神頼みでもあるまい、と張氏は次々に整っていく祭祀の準備を眺めながら、田単の表情を見た。だが、そこに暗さは無い。ましてや諦めなどというものが入り込む隙もない程、田単の顔は厳格であった。

 気付かないうち、そうした田単と同じような顔になっていた張氏は、ひと仕事終えた背後の家人へ向けて、


「私はまだしばらくここにいる」


 とだけ言って、また食い入るような視線を田単に向けた。言われた家人は首を傾げつつ、片付けの時にまた来ます、と言い残して帰っていった。

 

 やがて陽が昇り始めた。

 起き出した人が増えるにしたがって、祭壇の周囲にも人だかりができていった。張氏がふと気付くと、自身もすでにそうした群集の一人になっていた。

 

――何が始まるのか。


 群衆のそうした声がざわざわと広がっていく。

 張氏は、不思議と可笑しさが湧き上がってきた。あたかも田単と共謀して、大掛かりな悪戯を仕掛けたような感覚。むろん、張氏は祭壇を手配しただけで、田単の真意の程はうかがい知れないが、これから始まる策への期待感も相まって、形容しがたい痛快さがあるのだった。

 やがて、群集が見守る中、田単が歩み出て、祭壇の前へと位置取った。周囲を眺め、いつもの野太い声を発する。


「私は即墨の者ではない。よって、即墨の先祖を祀って許しを得て、加護を賜るのだ」


 田単はそう高らかに宣言した。やはり祭祀である。

 それから田単は左右の者に命じて牛を犠牲に捧げさせ、自らは天に祈った。

 もとより即墨の先祖への祈りである。集まった群衆も悪い気はしないため、その様子をじっと見守っている。

 そういえば、と張氏は思い起こしていた。田単が初めて将として訓示を述べた時、斉のために戦えとは言わず、家族を守れ、と言った。田単という将は、そうした邑の結束を重視する戦い方をするのだ、と張氏は得心した気持ちになった。

 将には色々な型がある、とは張氏も聞き及んでいる。自らが矛を取って先陣を切る猛将もいれば、策謀をめぐらせて相手の裏を突く知将もいる。田単は、むしろ人心を掌握して、その力を最大限引き出そうとする将なのかもしれない。

 

――おや。


 考えをめぐらせていた張氏の視野に、ふっと影が横切った。何気なくその影の方へ目を向けたとき、思わずあっと声を上げてしまった。

 影は上空にあった。

 

――なんだ、あれは。


 上空には、無数の鳥が舞っていたのである。その数はさらに増え続け、やがて空一面を多い尽くさんばかりになった。

 張氏は文字通り仰天した。

 群衆も異変に気付き、みな天を指差して、声にならない声を上げている。

 田単はと言えば、微塵も動じる様子も無く、なおも祈りを捧げ続けている。

 すぐに張氏は集まった人々の様子を見た。みな一様に驚きの表情を浮かべてはいるが、そこに嫌悪のようなものは感じられない。むしろ、神秘に触れた感動に近い色があった。


――天意か。


 とまで思ったかもしれない。

 少なくとも斉人である張氏は、鳥が群がった意味をそう受け止めた。それというのも、鳥は天意を伝える神聖な生き物であると同時に、先祖の使いであると考えられていたからである。余談ではあるが、どうやらこの信仰は海を越え、日本にも伝わったらしい。

 ともあれ、田単はいみじくも先祖を祀る、と言った。先祖の使いである鳥が無数に飛来したことで、まるで田単の祈りに即墨の先祖が応えたかのように、人々には映ったのだ。

 田単は祈りを終えると、それをみすましたかのように、


 「見よ。即墨の先祖の霊は、私を祝福してくれている」


 と言った。

 その声を聞いた群集はざわめきを止め、一気に静まり返った。畏怖に覆われた、と言い換えられるかも知れない。

 やがて、その静寂に包まれた人々の中から一人の男が歩み出ていった。途端にその男に群衆の視線が集まる。


――あれは李子どのか。


 兵士に姿を変えた李平が、張氏の目の前を過ぎ、田単の足元にひざまずくと、厳かに口を開いた。


「私は天の声を聞きました。軍師として、田将軍に仕えよ、と」


 透き通るような声である。

 それを聞いた群集は、再びどよめいた。つい今しがた、鳥の大群が集まったばかりなのである。それに続いて神意を聞いた者が現れるなど、奇跡といわずしてなんと言えばよいのか。

 田単は兵装の李平を起こし立たせると、反対に自らひざまずき、礼をとった。


「これからは、あなたのご教授を、天の声としてお伺いいたします」


 と丁重に言ってから起き上がり、群集に向けて、


「これより我が命は、天意である。天が味方する以上、即墨は落ちぬ」


 と叫んだ。

 たちまちにして、大歓声がわいた。大地を揺るがすほどの歓喜が、即墨に響き渡ったのである。

 

――なるほど。これが田将軍の策か。


 張氏は幾度も頷いた。

 この一件は、瞬く間に邑内に広まるだろう。そうすれば、即墨の結束は今より格段に強くなる。何より兵の士気は天を突くばかりになるのは間違いない。

 

――ともかく、どうにか間に合った、という事だな。


 張氏は城外の空へと目を転じた。わずかに黄色い砂塵が舞っているのが見えた。

 燕軍との篭城戦が、もう間もなく始まろうとしている。


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