71話 最後の最後の大作戦
ノンベ殿がタクミ子爵の分の朝食を運んでくる。配膳はステラの仕事だが、見る限り随分と慣れてきたのではないか。
子爵閣下がスープに口をつけた。
「食欲はあるようだな」
ハースガルド公のこれは別段意図のない言葉だったのかも知れない。しかしタクミ閣下にとっては手を止めるだけの重みが含まれていたらしい。
「正直なところ、食欲はあまりないですね。自分でも意外ですけど」
その意味深な言い回しに、ハースガルド公はピンと来たようだ。
「何か隠しているな」
「いやだなあ、隠してる訳じゃないですよ。ただ説明する機会がなかっただけで」
「ならば、いますぐ説明しろ」
「ここでですか?」
「ここでだ」
タクミ閣下は小さくため息をつくと、こう話し始めた。
「いま起きているアイメン・ザイメン一派周辺での殺害事件の犯人はルン・ジラルドです。そしてその案を出したのは僕です」
ステラが息を呑んだのがわかった。
「僕が指示した訳でも糸を引いている訳でもありませんが、ルンがどう動くかを知っていながら止めなかったのは事実です。相手は闇社会の組織ですから、正攻法では何もできません。どこかのタイミングでこうなるのは、ボイディアを敵に回した時点ですでに決まっていました。ここから逃げ出すという選択肢は僕にはないですからね」
「だから前に進んだ、とでも言いたい訳か」
ハースガルド公の言葉にはトゲがある。しかし子爵閣下はいつものように気にせず話を続けた。
「客観的に見て前に進んでるのか後ろに走ってるのかは、自分ではわかりません。でも何もしない訳には行きませんよね。とにかく動き続けることだけを心に決めていまがあるんですし。アイメン・ザイメン一派やハンデラ・ルベンヘッテ一派を動けなくすることは、シャナンとギルミアス両国の安定に必要で、しかもボイディアの手足をもぎ取ることになる以上、これは外せません。絶対に最優先で行わねばならない話です」
「役人を動かして逮捕させ、法の裁きにかけてもよかったはずだ」
ハースガルド公の指摘に、タクミ閣下は首を振った。
「人を殺してでも目的を果たそうとする連中が法など恐れはしません。役人や衛兵に捕まっても別の仲間が同じ仕事を任されるだけで、事態は変化しないんです。ならば、もっとも有効で確実な変化を起こす方法は」
「関与する者を殺すこと、か」
「ええ、もっとも単純でもっとも凶悪な方法です。これが効果をもたらさない組織も集団もないでしょう」
そう言って微笑むタクミ閣下は、まるでこの世のモノではない空気を身にまとっている。リアマール候はよく悪魔だなどと言っていたが、案外それは当たっているのかも知れない。
「とは言え、です」
そうつぶやいて我が主君は深いため息をついた。
「神に非ざるこの身が、人間の命を選別しているのは疑いようもない事実なんですよね。大事の前の小事なんて言いますが、自分の生き死に以上の大事なんて人間にはない訳で。それがわかっていて、でも動かない僕という人間は、たぶん本質的にボイジャーと同じ傾向を持っているんでしょう」
「違います!」
涙声で否定するのはステラ。
「先生はそんな方じゃありません!」
「ありがとう。君にそう言ってもらえるのが一番嬉しいよ」
子爵閣下はそう言って笑顔を見せた。
その笑みには意味があるに違いない。私は思い出していた。以前ハースガルド公から聞いたステラの生い立ちを。彼女の両親は貴族の使用人だったという。それが政争に加担した主人の暗殺に巻き込まれ命を失った。孤児となったステラはハースガルド家に引き取られたのだ。当然、子爵閣下もそれを知っている。
ハースガルド公も完全に食事の手が止まっていた。
「それで、これからどうする気だ。延々と殺し合いを続ける訳にも行くまい」
「もちろんそんなつもりはありません。でもそれはボイジャーの側も同じです。アイツはいずれ僕の息の根を止めに来るでしょう。ただし」
タクミ閣下はハースガルド公を見つめる。
「何だ。何が起こる」
焦れるハースガルド公を前に、子爵閣下はしばし躊躇するかのように沈黙した。そして、ふいに私を振り返る。
「タルドマン」
「は、はい」
「これから何を見ても何を聞いても、動揺するのは禁止だ」
そう言うと視線を部屋の隅に向け、その名を呼んだ。
「ルン・ジラルド、聞いてるな」
揺れる赤い髪。部屋の隅に当然のように現れたルン・ジラルドは、自動小銃を担いで笑っていた。
「やあやあ、殺人鬼のお出ましだよ。それで、予言者様は何をお望みかな」
「最後の頼みだ。ボイジャーを倒すために協力しろ」
「有無を言わさずってとこかい? 強引だね。でも強引な男は好きだよ」
これにタクミ閣下は鼻先で笑うと、ハースガルド公に視線を移した。
「これは僕からもロンダリア王にお願いするつもりなのですが」
「うむ、何だ」
身を乗り出すハースガルド公に、子爵閣下はこう告げる。
「いますぐとは言いません。そうですね、三年後でいいので」
「うむ」
「タルドマンに子爵の位を与えてもらえませんか」
「……ん?」
私は思わず裏返った声を漏らしてしまった。
「え、えぇっ。な、何を」
「だから動揺禁止だって言ったじゃないか」
苦笑している我が主に、私は何とか動揺を抑えようとはした。したのだが、この後に続いた閣下の言葉に倒れそうになってしまった。
「あと、できればその際に駐ギルミアス大使の役職を任じてもらえたら」
「いや、いやいやいや、閣下、それは」
「僕にできるのはここまでだよ。その先は自分で切り開くんだ、いいね」
そのときに見せたタクミ閣下の静かな眼差しに、「遺言」という言葉を思い浮かべた私は不謹慎に過ぎるだろうか。
「さて、前置きが随分長くなってしまいましたが」
まるでそれが意外なことであったかのような調子で、でも顔を見る限り絶対にわかった上で楽しんでやっていたに違いないタクミ閣下はニッと笑った。
「本題に入りましょう。最後の最後の大作戦です」




