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69話 こだまのベル

「で、確かにそのフェルンワルドにも『月の雫』はある訳なんだけど」


 リコットの部屋で、アタイに噛まれた鼻の頭を押さえながらチャンホとチャンタは聞き入っている。


「原則としてフェルンワルドの物は、砂粒一つだって人間界には持ってこれない。妖精の体は別よ。生きた妖精が自分の意志でこっちの世界に来るのは勝手だけど、物は持ってきちゃダメ。魔法的な使い方すると、とんでもない威力になることがあるから」


 双子の弟の方、チャンタが不満を垂れた。


「何でだよ、悪いヤツやっつけるのに使うだけなのに」


「そう、悪いヤツがいるのよ人間界には。そんな連中にフェルンワルドの存在を気付かれるだけで大変なことになるでしょ。アンタらの生まれた村のことだって秘密にしろって言われてるんじゃないの、同じことよ」


 アタイの指摘がズバンと的を射たのか、チャンタは黙り込む。


 一方双子の姉の方、チャンホは首をかしげた。


「でもそれじゃ、何でタクミはあんなこと言ったのかな」


「アイツはいい加減だもの、たいして考えずに言っただけかもよ。でも何もしないって訳にも行かないのよね。後になって女王様から怒られるのも嫌だし。とりあえず今晩の月が出たら、アタイはフェルンワルドに戻ってみる。期待しないで待ってなさい」




「……なんてことがあったんですけど」


 フェルンワルドの世界樹宮殿の大広間、片(ひざ)をつくアタイの言葉を聞いて女王様は顔を曇らせた。


「他ならぬタクミ・カワヤの申し出となれば無下に断る訳にも参りますまい。しかしキーシャ、あなた自身も言った通り、フェルンワルドの『月の雫』を人間界に持って行くのは認められません」


「はい」


 ですよねえ、という感じ。やっぱりね、世の中にはどうにもならないことってのがあるのよ。あの子たちには諦めさせないと。アタイがそう考えたとき、女王様はアタイの後ろにいたクリコン万能大臣に問いかけた。


「クリコン、何か良い知恵はありませんか」


 大臣は長いヒゲをチネチネと指先でしばらくいじると、突然こんなことを言い出した。


「すとろこめっちゃか、はれはれとんとこ」


 相変わらずまったく意味がわからない。でもクリコン大臣の隣に立つシベジー大臣補佐が、手に持った大きな辞典を開きながらこう通訳した。


「『こだまのベル』が使えるのではございませんか、と大臣閣下はおっしゃっています」


 開いた辞典のページからフワリと浮き上がったのは、アタイの両手で持てるほどの大きさの、ガラスで作ったスズランみたいなハンドベル。


 女王様はうなずかれた。


「なるほど、これがありましたね。キーシャ、手に取ってごらんなさい」


「はい」


 言われた通り宙に浮いたベルを手に取ったものの、カランともコロンとも言わない。


「あれ?」


 でも女王様はこうおっしゃったの。


「いいのです。これはフェルンワルドでは鳴らないベル、人間界でしか使えません。使えるのはたった一度。私が使い方を教えましょう」




「……なんてことになった訳よ」


 また鼻の頭を押さえながらチャンタとチャンホは身を乗り出してアタイの話を聞いている。


「どっかにいなくなったの十分くらいの間なのに、そんなに込み入った話になったの?」


 目を丸くしているチャンホにチャンタが突っ込む。


「いやそれよりも月の雫だろ。結局月の雫はどうなったんだ」


「まあ待ちたまえ少年。焦らない焦らない」


 アタイはニヤリと笑うと「こだまのベル」を手に、リコットにたずねた。


「ねえリコット、この辺で星空の見える開けた場所知らない?」


「開けた場所。ここ街の中だし、近くには公園もないし……あっ」


 いいことを思いついたという顔で、リコットは天井を指さした。


「屋根の上」




 屋根の上に出る扉には鍵がかかっていたが、チャンホが鍵開けの魔法を知っていたので簡単に開いた。


「チャンタ、落ちないようにね」


「わかってるよ、そんなの」


 双子を先に行かせて最後にアタイを右肩に乗せたリコットが出る。ポツリポツリと窓明かりの灯る地上から、見上げれば満天の星空。


「じゃ、始めましょうかねえ」


 アタイは両手に持ったこだまのベルを、ゆっくりと大きく上下に揺らした。カランカランカラン、透き通った音が夜に響く。そしてアタイは高らかに歌うように願いを口にした。


「お願い申すお願い申す。これなるはフェルンワルド女王の名代にて、所望いたす所望いたす。月の雫を所望いたす。期限は明晩のこの時間。お願い申すお願い申す」


 そう言い終わった瞬間、こだまのベルは粉々に砕け、風の中に消えた。


「さて、今夜できるのはここまで。次は明日ね」


 アタイの言葉にチャンタが不満を漏らした。


「ええーっ。これだけなのか?」


「そ、これだけよ。もうできることは何もないの。後は運を天に任せるだけ、嫌なら神様にでも祈ったら」


「ちぇっ、神様はこないだ会ったからいいよ」


 チャンホもリコットもこれには笑ったけど、実際どうなんだろう。この街のどこかにも古い神はいるのかも知れない。もしそうなら、力を貸してほしいなあ。




 そして翌日の夜の同じ時間、アタイたちはまた屋根に上った。今夜も鼻の頭を押さえているチャンホとチャンタは周りを見回すけど、何かが起こっている様子はない。


 チャンタは不審そうな顔で振り返る。


「何もないぞ」


「もうちょっと待ちなさいな、気の短い子ねえ」


 まったく堪え性のない子供は困ったものね。と思いつつ、アタイは今夜何が起こるかこの目で見て知ってるんだけど。まあそんなことを説明しても理解できる人間なんてあんまりいないし、ここは黙って待つとしましょう。


 異変を確認するまで、そう長い時間はかからなかった。


「ほら、来たよ」


 アタイが指さす先には、家々の屋根が連なっている。その上に、星のように静かな光が瞬いていた。よく見ればそれらが同じ場所で輝いているのではなく、こちらに近付いているのがわかるだろう。そう、妖精の足跡だ。それがいくつも、いや屋根と言う屋根に何十もある。チャンタとチャンホは驚きの表情を浮かべていた。


 妖精の足跡が屋根から屋根へと飛び移り、やがてこのハースガルド屋敷の屋根にたどり着いたとき、足跡の上に半透明の人型が浮かび上がる。どの姿も人間とは少し違うけど、フェルンワルドほど多種多様ではなかった。


 彼らはみんな人間界に移り住んだ妖精たち。手には大事そうに木の葉や草の葉を一枚持ち、そこには水滴が一つ乗っている。月の雫だ。


「チャンホ、瓶を出して」


「あ、はい」


 チャンホが慌てて瓶を取り出し、ふたを開けて待っていると、妖精たちはちょっと躊躇を見せたものの、やがて怖々ながら近づいて、瓶の中に月の雫を落とした。一人ずつ一人ずつ、一滴ずつ一滴ずつ落としては姿を消して行く。


 年老いた男の妖精が、若い女の妖精が、あるいは親子連れの妖精たちが列を作って月の雫を瓶に落とす。


「ありがとう……ありがとう」


 脅かさないよう小さな声で礼を伝えるチャンホの手の中で、いつしか月の雫は瓶から溢れんばかりに溜まっている。そして魔法使いの娘が瓶のふたを閉めたとき、もう妖精たちの姿はどこにもなかった。


「ありがとう」


 感無量になったのだろうか、チャンホは月の雫でいっぱいになった瓶を胸に抱えてしゃがみ込んだ。ホント、この街にも神様はいるのかも知れない。




「……てなことがあったのよ」


「なるほどね」


 アタイを右肩に乗せながら、タクミ・カワヤは笑顔を見せた。ベッドに寝たままで。


「それでアンタはどうなのよ。まだ起き上がれない訳?」


「いやあ、僕としてはもう三日寝たままだし、そろそろ大丈夫だろうと思うんだけど」


 タクミ・カワヤがそう言うと同時に寝室の扉が開き、ステラが厳しい顔でジロリとにらんでから扉を閉めた。


「……ちょっとステラが怖くて」


「アンタ完全に尻に敷かれてるのね」


 まったく格好の悪い話よねえ。リコットは笑ってるけど、こんなんが王様直属の占い師だなんて大丈夫なんだろうか、イロイロと。


「ああ、ところでさ」


 ばつの悪そうな顔でタクミ・カワヤが話題を変える。ハイハイ、アンタの言いたいことくらいわかってますよ。


「帝国議会のことでしょ。恒久平和条約案、賛成多数で議会を通過したわよ」


「そうか、それは一安心」


「何言ってんのよ、アンタの指金(さしがね)でしょうが」


「また人聞きの悪いことを。僕は立案しただけで、実行したのは全部ルン・ジラルドだよ」


「裏で汚れ仕事させたんでしょ?」


「させた訳じゃない。ただ何をするのか知っていて、止めなかっただけだ」


 帝国内ではこの数日、貴族院議員に対して脅迫を行っていたと見られる者が複数、射殺体で発見されてる。タクミ・カワヤはこう続けた。


「人間は誰も『悪に屈しなかった正義の人』に憧れるものなんだよ。のしかかっている圧力があるなら、それを排除してやるだけで行動が変わるんだ。思いっきり反対側にね」


「つまり王国の貴族議会も同じような結果になるって見てる訳だ。悪いヤツ」


「まあ、そんじょそこらの犯罪組織が敵う相手じゃないからさ、ルン・ジラルドは。やり方は上品じゃなくても戦争だけは回避しないとね。他の問題は後回しになっても仕方ないと思うんだ、個人的にはだけど」


「ひえーっ、悪の黒幕ぅ」


「茶化すなよ。僕だってイロイロ考えてるんだぞ」


 そのときガチャリ、とまた扉が開き、ステラがジロリとにらんでから閉めた。部屋に満ちるしばしの静寂。


「……とにかく明日には動けるようになりたいな、ってところかな、いまは」


「アンタの家政婦長次第ってことね。まあせいぜい頑張りなさいな」


 それだけ言ってアタイとリコットはタクミ・カワヤの部屋を後にした。

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