68話 新たな接点
皇宮で皇帝陛下がボイディア・カンドラスに襲撃されたと知ったときには、心臓が止まるかと思った。しかし結果論になるが、災いは転じて福となったようだ。
いま帝国の諸都市では民衆が外に繰り出し、皇帝陛下への支持を鮮明にしている。破壊された皇宮の窓から一日に何度も手を振る陛下への信頼は、これまでにないほど高まっていると実感する。
ハンデラ・ルベンヘッテは議会工作を続けているようだが、彼に近しい諸侯の領地では不穏な動きが見られ、各貴族とも皇帝陛下の意に反する姿勢を見せづらくなっているようだ。
言うまでもなく、これは不健全な状態だ。本来ならば議会は皇帝の意に反することでも国家のために決定しなくてはならない。それができない議会に存在価値はない。しかし皇帝陛下の意向が無視され、ないがしろにされ続けてきたこれまでが異常だったのだ、その反動は甘んじて受け止める必要があろう。
「コルストック伯!」
皇宮を訪れた私の元に皇帝陛下は駆け寄ってくださる。やはりいかに気丈な方とはいえ不安なのだろう。
「本日はお茶菓子を持って参りました。お腹が空くといけませんので」
大き目のバスケットを開いて見せると、皇帝陛下は目をキラキラと輝かせた。
先般の皇宮における襲撃騒ぎに恐れをなした料理人や侍女の大半が逃げ去ってしまい、以後陛下の食事周りは当レンバルト家が支えている。おかげで毒を盛られる心配がなくなったのは不幸中の幸いかも知れない。
とは言え、だ。
ボイディア・カンドラスによる破壊の跡を目にすると心が痛む。これを目の当たりにされた陛下の恐怖を思うと、居合わせなかった自分が不忠義に感じられるほどだ。貴族たちは人を出し合って皇宮の掃除と補修に務めているのだが、現場で監督しているのは侍女のイエミールだった。
「イエミールはよく働いてくれます。彼女がいなければ、私はいまだに眠る場所もなかったでしょう」
とは皇帝陛下のお言葉。
「そちらは順調ですか、カリアナ卿」
「はい、自動小銃の銃弾を自家生産できる工場につきましては、何箇所か目途が立ちました。精度を出すのにまだまだ時間がかかりますが、いずれ銃弾に限っては国内生産が成り立つでしょう」
「やはり銃本体は難しいのですね」
「本体には未知の生産技術が数多く用いられておりますので、現段階では緊急避難的にごく限られた部分の代替部品を製造するのがやっとです。しかもそれを使えば確実に銃の性能は劣化します。大規模な工業生産を可能にする施策がこの先求められるでしょう」
サリーナリー帝はしばしお考えになると、こう問われた。
「その件に関して、ルン・ジラルドは何か申しておりませんか」
さすが利発な方である、その点に気づかれたか。
「ルン・ジラルドからは蒸気機関を用いた産業構造の大改革を打診されております。しかし話が突飛過ぎて、果たしてどこまで信用してよいのやら。社会構造の大きな変化は各所に歪を生みます。目先の数字に飛びついてよいモノでもないと思うのですが」
「できればその蒸気機関というものに関する詳細な情報を、私のところに上げてください。私が独断で決めた方が話が早い場合もあるはずですから」
「御意にございます」
そんな会話が終わる頃、皇帝陛下の執務室に侍女数名がお茶を持って現れた。誰も彼も初めて見る顔ぶればかりだ。
「いまの侍女はみな近隣の街や村からイエミールが選んでくれました。身の回りの世話を安心して任せられます。これだけで、どれほど有り難いか」
皇帝陛下の安らかな笑顔にこちらの頬も緩む。いままでどれだけ心削られる環境に身を置かれておられたのだろう。
サリーナリー帝は茶のカップを口元に置きながら、小さくため息をつかれた。
「問題は山積しています。とりあえず明日の議会採決で、恒久平和条約案が通過してくれることを祈るばかりです」
「大丈夫です陛下。貴族院の議員たちもきっとわかってくれます」
私は笑顔でうなずいて見せた。もっとも、手ごたえは十分にあるものの、こればかりはふたを開けてみなければわからない。どうか良い結果が出ますようにとザハエ神に祈る以外、なすべきことはもうなかった。
◇ ◇ ◇
「帝国では明日、恒久平和条約案の採決が執り行われる模様ですが、王国でも週末でございましたね」
目の前に座る禿頭の太った老人は細い目をさらに細めてこちらを見つめる。我が領内で活動するボイディア・カンドラスの保有する商会、その経営者を引っ立てたところ身元引受人として現れたのがこの男だ。
本名は名乗れぬなどとぬけぬけと主張し、ジェバーマン、もしくは元締めと呼べとぬかす此奴が、ボイディアと繋がっているのは間違いあるまい。だがそれだけではなかろう。単にカンドラス家の名前を利用しているだけの商人が、ここまで肝が据わっているはずがない。
「恒久平和条約が酒屋の商売に関係あるのか」
「もちろんございますとも、公爵閣下。宴席が増えれば酒の消費も増えますので」
「平和の宴か。はっ、くだらぬ。残念だったな、帝国はともかくこの王国では恒久平和条約など成立せぬ。このアイメン・ザイメンが成立させぬからな!」
「それはまた有り難い」
「な、何」
ジェバーマンは楽しげな笑みを口元に浮かべた。
「戦場では経験の浅い兵の恐怖を紛らわせるために酒を飲ませるとか。すなわち戦争になれば酒の売り上げは伸びるのです。有り難や有り難や」
つまり戦争が起こっても起きなくても、自分は儲かると言っているのだ。金さえ儲かれば平和も人の命も要らぬと。いまさら善人ぶるつもりなど毛頭ないが、さすがにこれには言葉が出ない。
するとジェバーマンはこう続ける。
「私どもはカンドラス様の商会を通じて、酒以外にも武器なども取り扱っております。何かございましたら、またご贔屓に」
「貴様、このアイメン・ザイメンを金儲けのダシに使うつもりか」
「ダシだなどと、とんでもない。ただ私どもの仕事は酒や武器、誘拐や脅迫から議会の票のとりまとめまで、何でも承っております。公爵閣下の御力になれればと思いましたまで」
細い目の奥が怪しく光る。なるほど、ボイディアの汚れ仕事を請け負っていたのは、このジェバーマンの手の者だったか。
ボイディア・カンドラスがサリーナリー帝を襲撃したとの情報はこちらにも入っている。その後、行方不明となっていることも。ジェバーマンの立場としては新しい寄生先が必要という訳だ。面白い。
「いいだろう、金は払ってやる。帝国と王国の両議会で票を動かしてみよ」
「お望みとあらば」
ジェバーマンは静かに頭を下げた。ロンダリア王よ、エブンド・ハースガルドよ、そしてタクミ・カワヤよ、この私を殺さなかったことを後悔させてやろう。




