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65話 邪眼

 数時間前のことだ。


「最初にこっちに来たときの魔法?」


 魔法使いのチャンタは読んでいた本から面倒くさそうに顔を上げた。


「そう、アレは君たちが自由に使える魔法なのかなって思ってさ」


 ハースガルド家本邸の食堂で昼食を摂りながら、タクミ閣下は二人の魔法使いにたずねた。


「あの魔法が使えると移動が便利になるからね」


 これに姉のチャンホもまた顔を上げて首を振った。


「あのときは大ババ様に飛ばしてもらったの。私たちじゃまだあの魔法は使えない」


「人間みたいなデカくて複雑なモノ飛ばすなんて、簡単じゃないんだぜ」


 弟のチャンタは呆れた風だ。


 タクミ閣下はパンを一つちぎって口に放り込み、少し考えた。


「ふーん。じゃあ君たちから大ババ様に連絡する方法はあるのかな」


「そりゃあるさ」


 チャンタは当たり前だという顔で答える。


「なかったら困るじゃんか」


 言われてみれば、なるほどその通り。タクミ閣下もうなずく。


「まあ何の連絡手段も確保せずに子供を旅に放り出すのは、イロイロまずいよね」


 食堂の隅でリコットと一緒に本を読んでいたチャンホとチャンタの姉弟は、本を閉じてタクミ閣下に向き直った。


 チャンホがたずねる。


「つまり大ババ様に何か用があるってこと?」


 タクミ閣下はパンで皿のソースをぬぐった。


「うん、まあ簡単に言えば、あの瞬間移動魔法を使ってもらいたいんだ」


 今度はチャンタがたずねる。


「何をどこに飛ばすんだ」


「僕とタンドルマンをギルミアスの皇宮まで。できれば大急ぎでお願いしたいんだけどね」


 そう言いながら、タクミ閣下はパンを口に放り込んで笑った。



◇ ◇ ◇



「やあボイジャー、随分と久しぶりだね」


 タクミ閣下は笑顔でそう声をかける。これがボイディア・カンドラスか。私は剣を抜き、皇帝陛下とイエミールの前に駆け付けた。


「お二方とも、ご無事ですか」


 陛下はよろめくイエミールを支えておられる。


「私は大丈夫です。それよりイエミールが」


「いや、私なら何とか大丈夫」


 イエミールは何とか自力で立とうとしている。あまり大丈夫そうではないが、しばらくは我慢してもらうしかない。ボイディアの背後には自動小銃を携えた兵たちが数十人呆然と立つ。彼らの銃口がこちらを向けば最悪だ。それに。


 ボイディアの隣に立っている美しい少女は剣を抜いていた。その切っ先からほとばしる殺気めいたものは私にも感じられる。この少女は強い。それも恐ろしく。


 タクミ閣下の両隣では、チャンホとチャンタが身構えている。


「幸いなれ石の荒野の蛇の王」


「その稀代の力もて邪眼を封ぜよ」


 二人が呪文を唱えても、何か目に見えて変わったことが起こるでもない。


 ボイディア・カンドラスは燃えるような目でタクミ閣下をにらみつけた。だが、これまたやはり何が起こるでもない。


 しかしボイディアの口元には、ハッキリと笑みが浮かぶ。


「どういう仕組みかは知らないが、意識操作への対抗手段を用意してきたことはほめてやろう、タクミ・カワヤ」


「一人でアンタの前に出てくる度胸はなかったんでね」


「まるで怪物扱いだな」


「まるでは余計だぞ、ボイジャー」


 ボイディアの満足げな口元の笑みが顔全体に広がり、その口がこう発した。


「レンズ、生かして捕らえろ」


「あいよ」


 風の速さで駆け出した少女。私は慌ててその前に立ちはだかったものの、斜め下から突き上げる剣筋の鋭いこと。ギリギリでかわしながら少女の襟首をつかもうとしたが、相手は容易(たやす)くすり抜けた。


 首筋を狙って稲妻のように斬り上げる少女の剣を受けて流す。そのまま手首を取ろうとしたのだが、これまたすり抜けられた。この少女、本当に人間か。風の妖精か何かではないのかと疑念がよぎる。


 そしてやはり強い。腕力ではこちらが勝るはずなのに押し込めない。とにかく速く鋭く正確だ。もし私がお屋敷でワイム騎士団長の動きを体感していなかったら、とても目がついて行けなかっただろう。速さだけならリアマールで遭遇したあの怪物よりも速い。これが人間技なのか。


 隙がない。捕まらない。何とか後ろに下がらないだけで精一杯だった。



◇ ◇ ◇



 相手は下がらない。何だコイツ、うちの速さについて来れるのか。馬鹿な、これだけ数を打ち込んでるのに致命傷が与えられないなんて。


 どう見ても剣の打ち込みはたいしたことないし、体のキレもさほどじゃない。実戦慣れしていないし、人を斬り慣れていない。言うなればボンクラの剣だ。なのに剣の動かし方が抜群に上手い。その上手さでうちの速さに対抗してるんだ。こんの野郎、調子に乗ってんじゃねえぞ!


 おっと危ない。首筋を狙った手首がもう少しでつかまれるところだった。何度失敗しても同じことを繰り返して来やがる。だったら首筋を狙わなきゃ済む話にも思えるんだが、実際そうは行かない。動きが一つ制限されれば、こちらの攻撃が少し単調になるからだ。


 相手につかまることばかり警戒していたら、一歩も踏み込めなくなる。踏み込めなきゃ勝てない。でも踏み込んで攻撃すれば、相手の上手さにかわされてしまう。畜生、堂々巡りじゃねえかよ。


 何とかしねえと。ボイディアの大将の前で情けないとこ見せられねえ。


 そのとき、相手方の占い師がこう声をかけた。


「タルドマン、捕まえろ! 殺すな!」


 ちっ! なめやがって。だがこれは余計な一言だ。ここまで実力が伯仲している中で余計な指示なんて与えられたら、それを意識して動きが硬くなるのは当然。こりゃうちの勝ちだな。


 と思ったのに。


 どういうことだ、相手の動きに無駄がなくなってる。いや、なくなったのは迷いか。うちの動きを止めるためなら体に穴の一つや二つ開いても構わないって姿勢に見える。何だコイツ、恐怖心とかないのかよ。いまなら腕一本斬り落とすのは簡単に見える。でもそれをすれば確実にうちは捕まり取り押さえられるだろう。


 何だよコイツ、いったい何なんだよ、クソやりにくいじゃねえか!


 うちは思わず下がってしまった。その瞬間、こちらの間合いに踏み込んで来るタルドマン。ヤバい、体勢を立て直すにはもう一歩下がりたいところだが、そうなれば相手はさらに踏み込んで来る。ボイディアの大将までの距離が縮まる。それはできない。何とか押し返さないと。だが渾身の突きもかわされた。もうこれ以上打つ手が思いつかない。


 音を上げそうになったうちの視界の端で何かが動いた。


 魔法使いみたいな格好をした子供――男の子か――のそばに近寄る小さな金色の見覚えのある影。それは。


 ギンガオー? 何でこんなところに!


 そのとき占い師が叫んだ。


「チャンタ! 逃げろ!」


 驚く男の子の前で子犬のギンガオーは立ち上がった。後ろ足でまるで人間のように。そして。そして……何だよおい、こいつは。


 ギンガオーの姿は巨大化する。犬の姿のまま二本足で立つ、人間大の怪物へと変化した。その牙が男の子に襲い掛かる! だが。


(ほむら)立て!」


 もう一人の魔法使いの女の子が叫べばギンガオーは炎に包まれる。悲鳴を上げたギンガオーに男の子はこう吼えた。


(いかづち)打て!」


 稲妻のような光が輝いたかと思うと、ギンガオーは壁際まで吹っ飛び打ち付けられる。


「チャンホ! 月の雫を!」


 占い師の言葉に二人の魔法使いは集まり、ギンガオーに対峙した。女の子は手に液体の入った小瓶を持っている。だけど、この状況はうちらに有利なんじゃないか?


 皇宮にいた銃兵たちはボイディアの大将が操っている。そしてこの部屋ではボイディアの大将の力は使えなかったが、おそらくその仕組みに二人の魔法使いは関わっている。その魔法使いが、ギンガオーの登場で追い詰められている訳だ。


 二人は瓶を振って液体を撒いた。だがギンガオーは易々とかわす。


「大将、いまならやれるぞ!」


 うちは振り返らず、背後にいるボイディアの大将に叫んだ。だが、その返事は(かんば)しくない。


「そうも行かんようだぞ、レンズ」


「そういうことだねえ、よくおわかりじゃないか」


 聞き覚えのある声に、うちは思わず振り返った。背後にはボイディアの大将。その向こうには銃を持った兵隊たちがひしめいていたはずだ。兵士たちはいる。確かにそこにいる。だがうちらに銃口を向けて。そしてその先頭に立っているのは、長い赤髪の背の高い女。


「ここまで強引な力技はさすがに想定外だったよ。久しぶりだねボイジャー。タクミには挨拶したのかい」


 これにボイディアの大将は苦笑を漏らす。


「この三人が一同に会するとはね。懐かしい記憶が蘇るよ」


 どういう理屈なのかは不明だが、いま銃兵隊はルン・ジラルドの手中にあるらしい。


「なるほど形勢は逆転した。おまえが私の前に姿を現したということは、このタイミングを待っていたということかな」


 大将がそう問えば、ルン・ジラルドは勝ち誇ったかのように言葉を返す。


「まったくタクミ・カワヤ様々だねえ。悔しいけど、この子の未来を見るセンスは私にはないんだ。一人でアンタを追い詰めるのは無理だったろうさ」


 だが感慨深げなその言葉に、ボイディアの大将は鼻先で笑った。


「追い詰めるだと? いったい何の話をしているのかな、ルン・ジラルド」

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