51話 想い
伯爵カリアナ・レンバルト様が皇帝陛下を寝室にご案内されている間、応接室に残った我々は騎士団長のザインク殿から茶を勧められた。しかし、まさか私が国王陛下と同じテーブルに着く訳にも行くまい。遠慮しようとすると、タクミ殿に叱られた。
「タルドマン、人の厚意は受け取るものだよ」
「いや、しかし」
「貴族の子息である君がここに座れないのだとしたら、当たり前のような顔で座ってる平民の僕が馬鹿みたいじゃないか」
私がダメだと言ってもあなたは座るでしょうに。そう言いたかったが国王陛下の前でもある、言い返さずに黙ってタクミ殿の隣に座った。
「いいご主人様っぷりだ」
向かいの席でルン・ジラルドが笑っている。その目に妖しい光をたたえて。皇帝陛下の救出では彼女が中心的な役割だったが、正直苦手だ。
「いつの間にか他人を使える立場になってたんだねえ。成長著しいのは素晴らしい」
「おまえの協力には感謝してるさ」
タクミ殿の言葉がキツイのも理解できる。ことに昔からの知り合いともなれば、イロイロあるのだろう。
ルン・ジラルドは頬杖をついてタクミ殿を見つめた。
「あれあれ、感謝している私にはおまえ呼ばわりかい」
「ああ、親しみを込めてな」
「それじゃあ、その親しい私のお願いも聞いてはくれないだろうか」
「もちろんそのつもりだよ。ボイディア・カンドラスは叩き潰す。明日の仕事もその一環だ」
そのタクミ殿の言葉に、騎士団長のザインク殿が小さく反応した。ルン・ジラルドは茶のカップを持ち上げる。
「君は本当に頭のいい少年だね」
口元にはどこか不安になる笑みを浮かべて。
「頭が良すぎて、ときどき怖くなるよ」
「他人のことが言えるか」
そうつぶやくと、タクミ殿は皿にあった焼き菓子を一つ口に放り込んだ。
「とにかく明日だ。明日が無事に終われば、次の段階に進める」
◇ ◇ ◇
客人たちはみな寝室に入り、屋敷内には静寂が戻った。後はいつものように戸締りを確認して私も眠ろう。まったく、騎士団長の仕事とは思えんな。
とは言え状況が状況だ、戸締りはいつも以上に厳しく確認せねばならない。ハンデラ・ルベンヘッテがすぐさま気付くとも思えないが、ここは万が一のことを想定すべきだろう。いつも通り玄関から始めてちょうど半分、屋敷裏側の勝手口に手をかけたとき、その違和感に身が総毛立った。
鍵が開いている。
誰かが侵入したのか、それとも誰かが出て行ったのか。音を立てずに扉を開き、外の闇に目を凝らせば。
空に昇った三日月の薄明りの中で立っている人影。誰何すべきか。いや待て、この後ろ姿には覚えがある。
エブンド・ハースガルドだ。
私はランタンをかざし、わざと足音を立てて近づいた。ハースガルドは振り向かない。
「公爵閣下」
「ああ、ザインクか。済まない、すぐ寝室に戻るよ」
「何をしておいでだったのですか」
するとハースガルドはようやく振り返った。
「月を見ていた。歳を取ると感傷的になる。……いや、明日の大事を前に、少し怯えているのかも知れない。タクミ・カワヤの言葉が信じられない訳ではないのだが、それでも余りに突拍子もない話だ、怖くもなる」
暗くて表情までは読み取れないが、笑ったような気配があった。
「こんな情けない話を誰かに聞かれても困るな。おとなしく眠るとしよう」
そう言ってハースガルドは私の横を通り過ぎようとした。それで何が困るでもない。黙って眠ってくれた方が私としてはありがたいはず。なのに、私の口から出てきた言葉は。
「お待ちください公爵閣下」
背中の後ろで足音が止まった。
「一つだけ、お聞かせ願えませんでしょうか」
「何かな」
「閣下は何故、カリアナ様をお選びにならなかったのですか」
何十年も前の話だ。しかもカリアナ閣下ご本人に許諾を得た訳でもない。配下である騎士団長の立場としてあるまじき発言である。それでも、たずねずにはおれなかった。
ハースガルドは逡巡したのか、少し間を置いてからため息をついた。
「帝国と王国との壁は厚かったのだろうな」
「それは嘘です。あなたがその気なら、カリアナ様を奪い去ることだってできたはず」
「いや、無理だったさ」
「何故」
「君がいたから、ではおかしいかね」
予想外の言葉に、私はしばし声を失った。
「……は?」
「確かにレンバルトの家からカリアナを奪うことはできたろう。だがカリアナから君を切り離すことは私にはできなかった。そんなことを気にする小さな人間なのだ」
夜の向こうから聞こえる落ち着いた声は、私の胸に突き刺さる。
「この世に彼女をレンバルト家から奪っていい者がいるとしても、それは私ではない。違うだろうか、ザインク」
そう言い残してハースガルドは勝手口へと入って行った。
私はただ立ち尽くすしかない。私は、何と愚かな。
◇ ◇ ◇
眠れない。二段ベッドの上の段ではタクミ殿が寝息を立てている。しかし私はため息をつき、何度も寝返りを打つばかりだ。
窓の外には白い三日月が見える。その月の光に重なるように浮かんでくるのは、皇帝陛下の横顔。
手の中にはまだあの腕の柔らかさと温かさが残っている。
知らなかった、この世界にあんなに美しい人が存在していたなんて。
いや、いやいやいや、ダメだダメだ、何を無礼千万なことを考えている。相手は一国の皇帝陛下だぞ、タルドマン。それを。それを……想うのはいけないことなのだろうか。
いけない。それはいけないことだ。本当に? 本当だとも。国家元首だぞ。敬意と崇拝の対象となるべき方なのだ。それをその辺の女の子と同じような目で見るなど不敬、断じて不敬だ!
私は貴族の血を引くとは言え、家督も継げぬ三男坊。バストーリア家には分家できる資産もない。つまり事実上、私は平民なのだ。隣国の皇帝陛下を想うなど、馬鹿げている。呆れ返るほどの阿呆だと言われても仕方ない。まったく酷い笑い話だ。何とも恥ずかしくみっともない。
ただ。
馬鹿でも阿呆でもみっともなくても、それでいいような気がしてならないのは何故だ。この気持ちを、どうしたら消せるだろうか。
◇ ◇ ◇
この気持ちを、どうしたらいいのだろう。
思えば物心ついてからこの方、殿方に腕をつかまれたことなど一度もなかった。父上の生前は舞踏会で踊ったこともあるが、それとはまったく違う。
タルドマン・バストーリアと言ったか。
熱い。顔に血が上って来る。これは何。痛みを感じるほどの鼓動が耳の奥で暴れている。何かおかしなことが起こっているのだろうか。もしかして病? こんな大変なときに。
とにかく今夜は眠ろう。明日は大きな仕事が待っている。ギルミアスの皇帝として、その威光を世界に向けて放たねばならないのだ。病など一晩眠れば、きっと。
……タルドマン・バストーリアか。
ああっ、もう眠れない!




