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34話 裏切り

 家を出たのは午前三時。駐屯所司令には事後報告となるが、それで私が本部に戻ってくれるのなら嫌な顔もすまい。私は車の後部座席にカワヤ・タクミを乗せ、川の上流にある浄水場跡へと向かった。


 元号が命治の頃に設立された浄水場は五十年近く働いて役目を終え、現在は立ち入り禁止となっているはずだ。ただ貯水ダムの管理もあろうし、地元住民も近隣にいる。人の出入りがまったくないのかどうか。空き家に浮浪者が寝泊まりしているような考えで足を踏み入れるのは危険だろう。


 到着したとき、まだ午前五時にもなっていない。当然周囲は真っ暗だ。懐中電灯を用意する私に、カワヤ・タクミは「ちょっと待った」と小さな声で止めた。


「足元を見てください」


 何事かと視線を落とせば、車の周囲から点々と蛍の輝きの如きおぼろな光が、建物に向かって伸びて行く。


「これは」


「妖精の足跡ですよ。ついて行きましょう」


 いぶかる私にそう言うと、カワヤ・タクミは私を置いて、とっとと前に進んで行く。こうなっては仕方ない。私は少年と共に妖精の足跡に沿って歩を進めた。




 レンガ造りの簡素な管理棟は小さく古びてこそいるものの、いまでも使用できそうな雰囲気はある。人が一人隠れ住むにはもってこいかも知れない。周囲にめぐらされた柵を乗り越え、音を立てぬよう気を配りながら建物に近づく。


 白い人型の式を放ち中の様子をうかがったが、人間の反応はない。つまり生きている人間は誰もいないか、もしくは式を通した私の検知能力への対策ができているかのどちらかだろう。


「気付かれていると思うか」


「逃げ出した様子はないんですけどね」


 私の問いに即答したカワヤ・タクミは続けて言う。


「ブロック、神豪寺の思念は追えてるかな」


 少しの沈黙。やがて。


「やっぱり移動はしていないようです。待ち構えてるのかなあ、こりゃ」


 まるで他人事のような少年の言い方が気になる。


「未来が見えないのか」


「いいえ、僕が見てる未来では寝起きの急襲に成功してます。でも未来が変化するのは珍しくないんですよ。ならそれを前提として考えないと」


「面倒くさいのだな、未来予知も」


「時間が読めたところで、ほんのちょっと便利なだけです。所詮人間の能力なんてそんなものですよ」


 自称異世界人の言葉に笑みを浮かべ、私は建物の玄関に近付いた。迷っていても仕方ない、まずは入ってみるしかあるまい。玄関の扉は少し(きし)んだ音を立てたものの、眠っている人間が飛び起きるほどではないはずだ。ボンヤリ輝く妖精の足跡を追って、私たちは建物の奥へ奥へと進んだ。


 とは言え、元よりさほど大きな建物ではない。私たちはすぐに最深部へと行き当たった。懐中電灯で照らせば、大きな扉には「高圧電流 危険」の表示が。内側から音は聞こえない。


「ポンプ用の電源室か」


 もうここまで来て気を遣うことはないのだ、懐中電灯を点けたまま取手をつかんで扉を思い切り引き開ける。


「神豪寺才蔵! 国軍内務局だ!」


 踏み込んだ途端、背後で勢いよく閉じる扉。立ち並ぶ人の背より大きな分電盤の陰から姿を現すいくつもの人影。おそらくはすべて動く死体。三基の投光器が輝き、私たちを強い光で照らした。


 光の向こう側から聞こえる地を這うような低い声。


「叢雲千鶴、よくぞ来た」


「諦めろ、もう貴様は逃げられん」


「逃げるだと?」


 低い声は笑う。


「このワシに逃げる理由があると思うのか。このワシから逃げるべきは、おまえたちの方ではないかな」


 動く死体たちは無言で歩み寄って来る。私は懐中電灯を投げ捨て、青い星型の式を取り出し身構えた。この数を倒しきれるかどうか、ギリギリといったところだ。自分一人だけなら身を守ることはさほど難しくない。だが神豪寺とて馬鹿ではないのだ、カワヤ・タクミを狙ってくるのは間違いない。果たしてそれを防ぎながら神豪寺を取り押さえることは可能なのか。


 そう頭を巡らせていた私の背に、硬く鋭い物が触れた。


「……貴様、どういうつもりだ」


 真後ろに立つカワヤ・タクミの顔は見えない。


「ちょっと台所から包丁を拝借して来ました。動かないでくださいね、少尉殿」


 小さな含み笑いの気配。そしてこう声を上げる。


「神豪寺才蔵さん、取り引きをしませんか」


「ほう、取り引きとな」


 動く死体の動きが止まった。興味深げに応じた神豪寺の声に、裏切者は明るくこう返す。


「ええ。少尉殿をそちらに引き渡すので、僕を仲間にしてください」


「たわけたことを。いま仲間を裏切った者を信用せよというのか」


「でも合理的な判断でしょう。僕は結果が欲しいだけです、過程はどうでもいい」


「くだらぬ、おまえ諸共(もろとも)その女を殺せば済む話だ。目先の利益に判断を誤ったな小僧」


 神豪寺の嘲笑が聞こえる。だがこれに対してカワヤ・タクミはこう言い放ったのだ。


「ああそうですか。じゃあ、僕が少尉殿を殺しても構わない訳ですね」


「何?」


 私は混乱した。コイツは何を言っているのだ、狂ったのか。


 神豪寺も同じことを考えたのだろう。


「狂ったか小僧。自分が何を言っているのか」


「わかってますよ。僕の言ってることが何を意味するのか、僕はね。わかってないのはあなたですよ、神豪寺さん。あなた、自分が何者なのか忘れてるでしょう」


「どういう意味だ。ワシがいったい何者であるのかなど、わからぬはずがあるまい」


「残念、それがわかってない証拠です。あなたはもう何者でもない。だってとっくに死んでるんですから」


 場を支配する沈黙。さしもの神豪寺もこれには言葉を失ったらしい。


 一方カワヤ・タクミは繰り返す。


「あなたはもう死んでる。随分前に、少尉殿の呪詛返しでね。いまは生前の意識の一部を死体に貼り付けられた、ただの動く死体だ。もっとも、死体が原形をとどめているかどうかまでは知らないけど」


「ワシが……このワシがゾンビーだとでもいうのか!」


「違うと言うのなら、僕の見ている前で少尉殿を殺してみれば? できるんならですけど」


 平然と、あっけらかんと恐ろしいことを言う少年に、神豪寺はまた沈黙してしまった。というより。


「貴様は、私を疑っているのか」


 振り返った私の視界の中で、菜箸を一本手にしたカワヤ・タクミは満面の笑みを浮かべている。


「疑いじゃありません。これはすでに起こった過去の事実です」


「私が神豪寺を殺したなどと本気で言ってるのか」


「はい。神豪寺才蔵を殺したのはあなたです。妖精の王国フェルンワルドの存在に気づき、その力をこの世界に呼び込もうとしたのもあなたです。そのために自分の身代わり、そして力の中継点として神豪寺の死体を使ったのもあなたですし、僕がやって来ることを知って自分の記憶を改竄(かいざん)したのもあなたです」


「馬鹿な。何のためにそんなことを!」


「もちろん、この世界を破滅させるためですよ」


 当たり前じゃないか、と言いたげな少年の顔。


「何故破滅させたいのかは知りません。興味もありませんから過去を探ってはいません。あなたが自身の記憶を封じたのは、僕が読心の能力を持っていたらと警戒したためでしょう。タイムウォッチャーという概念がなかったのですね」


「知らない、私は、私はそんなこと」


「あなたの思念能力は凄まじい。時間と空間の壁を超越するんですから尋常じゃありません。でも所詮は人間です。どう足掻(あが)いても神にはなれないんですよ」


「違う、私は!」


 怒りに震える体に電流が流れた。比喩ではなく、私の体から放たれた青白い稲妻が部屋中を埋め尽くす。ただカワヤ・タクミの周囲だけを除いて。そのときうっすらと見えたのは、カワヤ・タクミの前に浮かんで稲妻を防ぐ小さな妖精ブロックの姿。


 そして稲妻が止んだとき、私は思い出した。自分が何者であり、何をしたのかについて。あるいは私の力を恐れた軍が、もしくは利用しようと考えた父が、幼い私に何をしたのか、何を受け入れさせたのかをすべて。汚辱に満ちた過去をすべて。


「……貴様だって」


 ようやく気付いた。両の目から滴る涙に。


「貴様だって同じじゃないのか! 力を持っているからというだけの理由で、力のない者から恐れられ、憎まれ、何もかもメチャクチャにされたんじゃないのか! 私が何故この世界の破滅を望むのか、一番理解しているのは貴様じゃないのか! 神にはなれないだと、神になる必要がどこにある! 悪魔になれれば十分すぎるだろうが!」


「かも知れませんね」


 平然と、神々しいまでに平然と、カワヤ・タクミは微笑んでいる。


「だけど、それだけが答じゃなかったのかも。もう遅いですけど。昨夜話した通り、戦争は来年終わります。新型爆弾はこの国を破滅させ、やがて時間をかけて世界のすべてを破滅させるはずです。あなたが何もしなくても、望みは叶いました。悪魔はもう間に合ってるんです。あなたのしようとしたことに意味はありません。何の価値もない」


 私の心の中で、何か大切だったものがガラガラと音を立てて崩れて行く。意味がない。価値がない。私には、もう何も残っていなかった。

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