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32話 永遠の存在

 港に放ったゾンビーの気配は消えた。焼夷弾の火で浄化されたのだ。軍の犬の行方は知れないが、あの猛火の中で生き残っているとは考えにくい。おそらくはゾンビーどもと運命を共にしたのだろう。


 ……いや、それは楽観的に過ぎる。軍の中で唯一このワシが恐れた者。おそらくは陰陽(おんみょう)の技、常に周囲に結界を張り呪詛(じゅそ)返しに長けた女。簡単に焼け死ぬと思うは自ら油断を招く愚行ではあるまいか。


 まあいい。どちらにせよ大勢に影響はない。


 順調に「気」は溜まっている。妖精の王国を呪言の力で制圧するにはあと五手。抵抗は激しさを増しているものの、呪言の獣の現出が止められた訳ではない。世界樹を中心とした五芒星を描ければ、女王の強大な力は我が意の下に封印され、あの世界に満ちるエーテル体をすべて手中にできる。そうなれば。


 そう、あの膨大なエーテルを意のままにできれば、この世界をエーテルで埋め尽くすことが可能となろう。さすれば人間の肉体に縛られたエーテル体は外部のエーテルと共鳴を起こし、解き放たれるはずだ。すなわち。


 人類は精神生命体として、永遠の存在へと進化する。


 それこそがワシの望む世界。肉体を捨てられぬまま輪廻の中で宿業に囚われ続ける人類が、個人としてではなく、種として解脱するための第一歩。精神生命体へと進化した人間には、もはや執着はなく、したがって争いも愛憎もなくなるはずだ。


 見よ、あの燃える街を。何と美しく、何と愚かしい。


 しかしこの炎が愚昧(ぐまい)なりし人類の最後の輝き。人は間もなくこの地上より消え去り、神に一段近づくこととなる。ワシはその実現のため、この身と命を捧げよう。ああ幸いなるかな、幸いなるかな。



◇ ◇ ◇



 ああ幸いなるかな。カワヤ・タクミの「予言」した通り、港には焼夷弾の雨が振ったものの、炎はまんべんなく均一に地面を焼き尽くしはせず、あちこちにムラを残した。そのムラがところどころで重なって道を作ってくれたおかげで、私たち二人は生きて港を離れることができたのだ。


 まあ外套のあちこちが焦げ臭いのは仕方ない。倉庫の二階の窓から飛び降りたときに打った尻も少し痛むが、これも仕方なかろう。命あっての物種だ。


 すでに爆撃機は飛び去り空襲警報は解除されているのに、街を舐める炎の舌は勢いを維持したままだ。空が赤く見えるのは時刻的に夕焼けなのかも知れない。だが、この惨状を見て自然の営みに思いを馳せる余裕のある者は少なかろう。


 ただ私はいつも思うのだ。炎とは何故こう恐ろしくも美しいのかと。湧き上がる黒煙や揮発性の油脂臭がキツイ空気の中には、逃げ遅れた人の粒子がかすかに残っているかもしれないというのに、踊るように揺れる火に、飛び散る火の粉に、私は心を奪われてしまう。それはこの胸の中に眠る狂気の発露なのだろうか。


「嫌なもんですねえ」


 燃える街を見下ろす高台の松の木にもたれかかりながら、カワヤ・タクミはつぶやいた。私は胸の内を見透かされたような気がして、思わず眉をひそめる。


「人の暮らしが破壊されているんだぞ、嫌なのは当たり前だ」


「いや、そうじゃなくてですね」


 カワヤ・タクミは困ったような顔で頭をかく。


「僕もさほど多くはないながら、人の暮らしが破壊されるのを何度か見てる訳ですが、炎って特別じゃないですか。その下にどんな悲惨な光景が広がっているか理解していても、心のどこかで美しいなって思っちゃうんですよ。そんな自分が嫌になるんです」


 しばし言葉が出てこない。自分のことを理解してくれるかも知れない、相手のことを理解できるかも知れない人間に出会った、そんな思いが胸に沸き上がる。だがそれはただの願望に過ぎない。人間はそんなに都合のいい存在ではない。それが現実だと理解しているはずだぞ、叢雲(むらくも)千鶴(ちづる)


「……何度か見ているというのは、空襲を何度も経験しているという意味か」


「いいえ。さすがに戦争の只中で空襲に直面したのは、生まれて初めての経験です」


「つまりこの近隣の生まれではないということだな」


 これにカワヤ・タクミは苦笑を返した。


「僕がどこから来たのか、そんなに気になりますか。確かにこの近隣の人間じゃないですよ。ていうか、この国の人間でもない。ああ、でも外国人なのかって言われると、それもちょっと違いますけどね」


「なぞかけ問答でもする気か」


 からかわれるのは好きではない。にらみつけた私に少年は、微笑みながらうなずいた。


「キーシャ、少尉殿の右肩に乗ってみて」


「おい、いったい何の話を」


 そう言いかけたとき、右肩にトンと小さな衝撃が降りた。視界の端に映る小さな人影。息が止まった。あまりのことに払いのける気すら起きない。


「ねえ見えてる? 聞こえてる? 返事してくんないかな」


 私の右頬に手を置く小さな人影は、不機嫌そうな声を上げている。見える。聞こえる。だが、これは何だ。脚に力が入らない。これまで二十二年生きてきて、恐ろしい物を見た経験なら何度もある。不思議な体験も数多くある。それでも腰を抜かしたことなど一度もない。なのに私はへたり込んでしまった。


「ちょっとぉ、何よコイツ」


 小さな人影はカワヤ・タクミに不満げな顔を向けた。申し訳ない、ごめんなさい。そんな言葉が口から出そうになるのだが、どうしても声が出て来ず、酸素不足の金魚のように口をパクパク開くしかできない。


「ちゃんと見える人間にとって、キミたちの存在はそれくらいとんでもないモノなのさ」


 カワヤ・タクミは笑顔で近付いてくる。助けを求める視線を向けた私は、そこにもう一つの影を認めた。カワヤ・タクミの脚に隠れるように、ひざ丈くらいの小さな子供がこちらをのぞいているのだ。幼児かとも思ったが、よく見れば少年の体型と顔つきをしている。これは、いったい。


 と、突然二つの小さな影が見えなくなった。右肩に乗っていた感触も消えている。


「はーい、ごくろうさん」


 パンと手を打ち少年は笑う。


「どうでした、少尉殿」


「どうって、いまのは何なのだ」


「妖精ですよ。この国にはない概念かも知れませんけど」


 妖精、敵国の情報として聞いた中にあったのは知っている。民話や伝説に登場する、この国で言えば妖怪の類に近いものたち。だが私が目にした姿は、どちらも人間。小さな人間そのもの。それでいて異界の妖気をまとっていた。その外見と目以外の感覚器が捉えたモノとの相違が私を混乱させ恐怖させたのだ。だとするなら。


「ならばカワヤ・タクミ、貴様は人間なのか」


「ええ、僕は人間ですよ。正真正銘。こことは違う世界の、という但し書きは付きますけどね」


 黒髪の小柄な少年は、とんでもないことをサラリと言ってのけた。

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