31話 敗戦前夜
正和十九年十二月。我が国にすでに制空権はなく、敵国の巨大な銀翼の化け物が雨と降らせる焼夷弾によって多くの都市が灰燼に帰していた。間もなく戦争も終わるだろう、我が国の敗北という形で。
いかに女であろうと軍服を着るこの身でそれを口に出せるはずもない。上層部には敵を本土まで引き込んで最終決戦を挑むべきとの声もあるというが、さすがにそこまで愚かな幕引きを選んで欲しくはないところだ。戦争はあくまで手段である。この国は戦争をするために存在している訳ではないのだから。
街頭の拡声器がまた空襲警報を発している。以前は空襲と言えば夜に決まっていたのだが、最近はもう昼間でもお構いなしだ。迎撃機部隊がプロペラを回してまっすぐ上昇して行く。しかし果たして高高度を飛ぶ敵の爆撃機まで届くかどうか。
敵と我が国とでは工業生産力にも技術力にも差がある。精神力で不足を補うなどできるはずがない。早い段階で交渉に持ち込めなかった時点で我が国は敗れていたのだ。神風など待つだけ無意味だろう。
郊外へと逃げる人の波に逆らうように、私は先を急いだ。情報が確かなら、港の六号倉庫。奴らはそこにいるはず。おそらく敵国の爆撃機は、ここの港湾施設を狙っている。放っておいても綺麗に焼き尽くされるのかも知れない。だがそれは、奴らの手がかりを失うことを意味する。
新天命ホルス教団。外国の太陽神の名を使ってはいるが、実のところ教祖はただの祈祷師崩れで海外とのつながりはないという。無論、ありふれた泡沫宗教なら軍が動く必要などない。怪しい部分があるなら警察が取り締まればいいだけだ。しかしこの教祖、神豪寺才蔵には軍や警察の幹部、政治家など数名を呪殺した嫌疑がかけられている。
この文明社会の現代に呪殺など、とてもマトモな話とは思えないが、そのような超自然的な力が働いたとしか思えない状況で人が死んでいるのだ。新天命ホルス教団にとって邪魔な者ばかりが。
そこで私にお鉢が回って来た。新天命ホルス教団の実態を解明し、もしも呪殺が事実ならば、そのまま闇から闇に葬れと。この国には大君以外の現人神は必要ない。ごくわずかでもそのきらいがあるのなら、存在した事実を抹消しなくてはならない。
六号倉庫にたどり着いてみれば、人の気配はなかった。みな空襲から逃げ出したのだろう。ある意味幸いだ。灰となる前に手がかりを探し出すことができれば尚良しだが。
静寂の中、ブーツの音が虚ろに響く。薄い革の手袋をはめ直し、外套の胸のポケットから人型に切り出された白い紙を十枚ほど取り出した。式である。これを手のひらに乗せてフッと息をかければ、まるで命あるモノのように飛んで暗い倉庫の隅々まで人のいた痕跡を探すのだ。
だが式から返って来る反応が妙だ。確かにここには複数人のいた跡が残っている。なのに、食事を摂った形跡がない。寝床もなければ、そもそも休憩のできるような場所すら用意されていない。苦行に挑む修行僧でも、もっと人間らしい環境に身を置くだろう。ここに集まっていた者たちは奴隷以下の待遇で働かされていたことになる。
無論、ときに狂った宗教では過去にそういった例もないではない。だがそれにしてもここは極端だ。これではまるで。
「まるで死体が働いていたかのようだな」
神豪寺には「死人使い」との噂もある。遠い海の向こうの熱帯の島国に伝わる呪術を用い、死者の肉体を使役するのだと。もしもそれが本当なのだとしたら。
そのとき、式の一枚が二階で小さな動きを捉えた。人間大のモノではない。ネコかネズミだろうか。いや、それにしてはおかしい。いま感じた気配がもう消え去っている。式に気づいたのではないか。そこに意思の働きが透けて見えるのは気のせいではあるまい。直接出向くか。私が階段に向かって一歩踏み出したとき。
すぐ後ろに人影が立っていた。
作業着姿の三人。足音も気配もなく、この私に一切気取られず。
自動拳銃を向け誰何する。
「国軍内務局の者だ。代表者はただちに名乗り出ろ」
しかし声も上げず襲い掛かって来る三人。私は躊躇せず頭と心臓を撃ったが、それは相手の足を止める効果すらない。銃弾など無意味なのだ、死体には。
外套の内ポケットから取り出したのは青い星型の式。宙に放てば高速で回転し、三人の首筋に突き刺さる。その瞬間、三人は青白い燐火に包まれた。悲鳴すら上げずにただ立ち止まり、倒れ込む三つの死体。だがその火の向こう側、入口をくぐって顔を見せる新たな人影が四つ、五つ、六つ。これではキリがない。
「叢雲少尉、二階へ!」
階段の上から聞こえてきた覚えのない声に、私は身を翻して走った。階段を一気に駆け上がると、背後で階段扉が閉じられ、かんぬきがかけられる。
「いやあ怖い怖い。ネクロマンサーなんて実在したんですね」
閉じられた扉の向こうでは爪を立てて引っ掻く音が聞こえている。しかし言葉に反して黒髪の小柄な少年は、たいして怖くもなさそうに笑っていた。その笑顔に銃口を向ける。
「本当なら礼を言うべきなのだろうが、いまそんな余裕はなくてな。貴様、何者だ。何故私の名前を知っている」
少年はいささか呆れたような顔で両手を挙げた。
「僕は占い師なもので」
「ほう、見た目から名前を当てる占い師か。随分と便利なものだな。教えてもらいたいくらいだ」
「吉凶占い程度なら少尉にだってできるでしょう」
「ああ、できるさ。そもそも占いとはその程度のものだ。何もかも当てられる占いなど存在しない」
「あー、どっかで聞いたなそれ」
「いい加減、質問に答えてもらおうか。私は気が長い方ではないのだ」
相手の額に銃口を向けたまま一歩近づけば、少年はやれやれといった風に苦笑してみせる。
「僕の名前はタクミ……カワヤ・タクミ。こちらの立場を少尉にご理解いただけるよう説明するのは、ちょっと難しいですね。ただ、神豪寺才蔵という人物を探しているのは間違いありません」
「神豪寺を探してどうする気だ」
「現在進めている計画を中断してもらいたいと思ってます」
「計画? 貴様、神豪寺の計画を知っているのか」
階段扉の向こう側では、いくつもの拳が扉を打ち壊さんと叩いている。さっきより人数が増えているかも知れない。だが、そんな心配よりもいまは目の前の少年だ。神豪寺が何かを計画しているのなら、それは看過できる類のモノではあるまい。
カワヤ・タクミを名乗る少年は、また一段と困った笑顔を見せている。
「本当のところ、彼の最終目的はわかりません。何を望んで、何を目指しているのか。でもそのために何をしようとしているのかは、ある程度わかっています。おそらく神豪寺才蔵は、この世界を破滅させようとしてるんですよ」
「この世界の破滅、だと」
その言葉は子供向きの空想科学小説の一節のように響く。悪い冗談にしか聞こえないが、カワヤ・タクミは真剣だ。
「ええ、目的ではなく手段として。神豪寺才蔵は強烈な思念能力者です。念ずることで簡単に人を殺せるくらいに。でも彼はいったい何をどうしたものか、真実に気付いてしまいました。この世界とは別の、時間と空間の壁を飛び越えた向こう側に大きな力が眠っていることに。彼はいま、その世界とこの世界を直結して巨大な力を呼び込もうとしています。僕らとしては、これをやめさせたい」
僕らと言うからには仲間がいるのか。まあ、それ自体は驚くことではないが。とは言え、だ。
「まさかとは思うが、神豪寺を止めるために力を貸せと言うつもりか」
「是非。僕一人ではとても手が回りませんしね」
少年は笑顔を崩さない。それがちょっと気に食わない。
「貴様を外国勢力への内通者として逮捕することもできるのだが」
「誰も得をしないのに? まあ、ご自身の立身出世のためならこの世界がどうなろうと構わないとでも言いたいのなら別ですが、あなたがそんな人だとは思えません」
「浅薄な知識で他人を理解したつもりになるのは、敵を増やすだけだぞ」
「いやあ、その点は重々承知しているつもりなんですけどね。なるべく気を付けます」
私は拳銃を銃鞘にしまった。このカワヤ・タクミという少年の真意がどこにあるのかは不明だが、現状で敵対する利点はない。神豪寺の情報も聞きださねばならないし、まずは信用した振りが必要だろう。
「とりあえずは信用しよう。だが扉の向こうには動く死体が群れている。どうやって切り抜けるつもりだ」
するとカワヤ・タクミは相変わらずの笑顔で平然とこう言い放った。
「動く死体は火で浄化されるんですよね。ちょうどいいじゃないですか、もうすぐ空から火の雨が振って来るんでしょ」
「……貴様、不謹慎にもほどが」
「この港も火の海になりますよ。でも逃げ道が完全に塞がれる訳じゃない。大丈夫、何とかなります。僕の占いは当たるんです」
何の根拠も提示されない、行き当たりばったりとしか思えない放言。だが何故だろう、それがまるで偉大な予言者の言葉に聞こえるのは。




