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20話 ルベロス再び

 女盗賊の指を一本斬り落とす、たったそれだけの仕事すら満足にこなせなかったことで、俺の組織内における立場はどん底にまで落ちた。しかし粛清の対象とならなかったのは幸運もあったのだろうが、すぐさま巡り来た汚名返上の機会は単に日頃の行いの招いた結果ではなかったろう。


 何かが動いているのだ。


 だがそれが何なのかはわからない。わかる必要はない。そんなことに興味などない。おそらく俺がいまこうやって生きていられるのは、好奇心が欠落しているからだ。


 俺は自分のできることにしか関心がない。つまり人を斬って飯が食えればそれでいい。たとえ相手が子供であっても、それはどうでもいいことだ。


 組織から命じられたのは、ハースガルド公爵家の屋敷の離れに暮らす若い占い師を斬ること、それだけ。前回にも増して単純明快な指示だ。これすらできなければ、俺の組織からの信用など無になるだろう。いや、生かしておく価値すら消滅するのではないか。


 死ぬのが怖い訳ではないが、見くびられるのは気に入らない。まずは俺の価値を組織に思い知らせる。生きるか死ぬかはその後の話だ。




 公爵家の見える場所に到着したとき、すでに陽は傾きかけていたものの、離れの前には人の列が続いていた。これがなくなる頃には周囲は暗くなっているはずだ。幸先がいい。俺は戦士ではないからな、白昼堂々衆目の面前で人を殺す趣味などない。人の目の届かない場所で人知れず人を斬る、それが俺の流儀。美学と呼ぶほど仰々しくはないが。


 やがて時間が経過し、陽は陰り、そして暮れた。辺りが闇に閉ざされたとき、もう人影は見られない。俺は音を立てずに動きだした。まずは小さな携帯ランタンに火を灯す。


 背中の長剣に手をかけ、いつでも抜ける態勢で離れに近付いた。見落としはないはずだが、それでも完璧など期待するのは無謀というものだ。自分の気付かなかった場所から誰かが出てくるかも知れないと注意を払いながら前に進めば、とりあえず入口の前まではたどり着けた。


 入口には鍵がかかっていたものの、そんな精巧な仕掛けはあるまい。小刀の薄い刃を隙間に差し込み跳ね上げると、留め金は外れて扉は簡単に開いた。中に明かりはない。しかし二階に明かりはあるようで、階段がうっすら見えている。そちら方向にランタンを向け、動線上に物がないことを足先で確かめながら前進した。


 二階に上がれば右手には母屋につながる渡り廊下がある。おそらく今頃は呑気に夕食でも食っているのだろう。進むべきは左側、寝室が見つかれば有り難いのだが。


 並んだ扉を順に開けて行き、三つ目の扉を開けたとき、小さなランタンの火に照らし出される寝室の様子。ここに隠れていれば、いずれ標的はやって来るだろう。問題はどこに隠れるかだ。壁沿いに大きな黒い布がかかっているな。この裏ならちょうどおあつらえ向きなのだが。俺が後ろ手に扉を閉め、布に手をかけた瞬間。


「やあルベロス、お久しぶり」


 声と共に黒い布は一斉にはがれ落ち、その向こうには無数のランタンの光が。待ち伏せだと。声の主を探す俺の目の前に立ったのは、小柄な黒い髪の小僧。思い出した。こいつ、イエミールの家の前にいた。


「貴様だったのか」


「そう、僕なんだ」


 満面の笑みを浮かべる小僧だったが、丸腰だ。ならば一太刀で。


 そのとき背後で音を立てて扉が開くと、若い男が剣を構えて立っていた。俺の手は反射的に背中の長剣を抜く。かつて電撃と(うた)われた初手の抜き打ちは、だがやすやすと受け止められた。


 着ているのは貴族の平服に見えるが、剣の扱いはなかなか堂に入っている。改めて剣先を男に向ければ、占い師が笑顔で言った。


「終わりだよルベロス、もう諦めてくれ」


 くだらん、それで動揺を誘うつもりか。


 剣を構える男には隙が見えない。真正面から斬りかかるのは愚策だろう。そもそもさして広くない室内だ、ここで剣を振り回すのは馬鹿のやること。少し相手の出方を見てみるか。


 しかし、男はジリジリと間合いを詰めはするものの、一向に斬りかかって来る気配がない。何を考えているかは知らんが、まあそれならそれで構わん。別に付き合ってやる必要などないのだ。


 俺は素早く構えを変えて男の喉元を突いた。かなり自信のある突きだったのだが、相手はやすやすと払いのけた。それでも俺は突いた。目を、腹を、心臓を、肩を狙って突く、突く、突く。だがどの突きも体にまで届かない。


 上手い。俺は思わず笑みを浮かべた。こいつは並みの腕前じゃない、剣の扱いがすこぶる上手い。そうそう滅多にお目にかかれる相手じゃないぞ。だが。


 こいつには一つ、致命的な欠点がある。


 剣が軽いのだ。


 剣は常に攻防一体、相手の攻撃を防ぐのは、その後で自分が斬りかかることと合わせて考えなければならない。俺の突きを払いのけられるのなら、そのままこちらの態勢を崩して自分から斬りつけるきっかけにするだろう、普通なら。


 なのにこいつは最低限の力で払いのけるだけ。俺を斬ろうという意思が見えない。だから剣が軽い。


 おそらくこいつは人を斬ったことがないか、人を斬ることを恐れている。もったいないが、これでは俺の相手は務まらない。次で終わりだ。


 俺がそう思ったとき、逃げもせず壁にもたれていた占い師が声を上げた。


「タルドマン」


 そしてぬけぬけと、臆面もなくこう言ったのだ。俺の前で。


「そいつは斬るな。殺すな。捕まえるんだ、できるはずだよ」


 ランタンの明かりに照らされる夜の中で、その変化は俺の目にハッキリと映る。タルドマンと呼ばれた男の中身が入れ替わった、そうとしか見えなかった。


 それまでジリジリと()り足でしか出てこなかった足が、力強く前に一歩踏み出す。素人がなめやがって。狭い室内で長剣は不利だが、別に振れない訳じゃない。剣の背を肩に担ぐと、俺はそのまま突進した。


 剣を水平に受けの構えを取るタルドマンへ、俺は体をひねりながら肩を支点に長剣をテコの原理で前に振る。「(やいば)食い」、受ける剣の刃ごと相手を断ち切る、速さはないが重い剣だ。最低限の力で弾こうなどとしても無駄に押し切られるだけ、かといって力任せに受け止めようとしても剣が砕かれる必殺の一撃。


 この技を会得するために俺が何人斬ったかを聞けば、こいつは腰を抜かすだろう。それほどまでに練りに練り上げた渾身の技を、しかしタルドマンは流した。


 弾くでもなく、力任せに受けるでもなく、剣に角度をつけ、手首をしならせ、まるで柔らかい草の葉の上を雨粒が流れるように、俺の一撃をするりと流してみせたのだ。そんな馬鹿な。


 俺の記憶はそこで途切れた。

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